私も紙一重だった。
ビリヤニブーム
昨今のビリヤニブームは、目を見張るものがあります。
私が世の中のトレンドを仕入れるTikTokで、ビリヤニの動画を見るし、Amazonにはビリヤニの素がたくさん売っているし、無印良品では冷凍のビリヤニが売っているし、ビリヤニ弁当なるものがコンビニでも売っているらしい。そして、ビリヤニを食べさせるお店の情報がすぐに検索できる。口コミもたくさん。
20年前には、日本ではあまり食べる機会がなかったビリヤニが、すっかりメジャーになりました。
ビリヤニをごく簡潔に説明するならば、インドとその周辺で愛されるスパイス炊き込みご飯。メインのチキンやマトンに加えて、香味野菜や豆類、じゃがいも、オクラなどが一緒に炊き込まれています。
コメ好きでカレー好きな日本人には、共感しやすい味です。
私のビリヤニ原体験
私が初めてビリヤニを食べたのは、30歳くらい。
京橋のインド料理「ダバインディア」で、マトンビリヤニをいただきました。青い内装が圧倒的な、南インド料理の名店。数年前に再開発のために閉店してしまいました。
私は、ダバインディアでインド料理を学びました。
バナナの葉が敷かれた大きな丸い真鍮のトレイに、小さな器が並んだビジュアルがテンションを高めた「ミールス」。
フレッシュな白いココナッツチャトニやサンバルに浸して食べる豆のドーナツ「ワダ」。
スパイスで炒めたジャガイモがゴロッと入った「マサラドーサ」。
食事の締めくくりに飲む「マドラス・コーヒー」は、お店の人が高い位置からもう一つの器へと白い泡を立てながら何度も往復させて注ぐパフォーマンスも最高。空気を含んでまろやかになった、甘くて濃厚なスパイスコーヒーは、〆の定番でした。
本場系のお客さんも多く、30代の私はここがインド料理の正解だと思って、だいぶ頻繁に通いました。
そこで初めて食べたのが、マトンビリヤニ。
辛旨い。カレー風味の炊き込みご飯とは違う。
スパイスと具材の旨味で炊かれたふわふわのバスマティライスのビリヤニを、おいしいと感じました。
インドで食べた、物足りないビリヤニ
35歳で旅したインドで食べたビリヤニは、超観光客向けでした。
サフランで黄色い見た目、唐辛子の量はかなり控えめ。たぶんギーを贅沢に使った、やたらとマイルドでリッチな味でした。
骨なしのパサパサチキンがゴロゴロ入っていて、まあ食べやすいけど、物足りない。上品すぎるほわほわチャーハンみたい。
どこかで香る薔薇の精油がチグハグな印象のビリヤニだったのです。
贅沢な味でした。でも好きじゃない。
ダバインディアのほうがおいしいじゃん、と思いました。
深夜特急世代の旅人
30代後半に、2回仕事をご一緒した同年代の取引先の男性がいました。
深夜特急世代のバックパッカーで、世界を旅した人でした。
飄々としながら、視野が広いスマートな人。
旅人が大人になるとこんな人になるんだなと、人生のちょっとした伏線回収をした気分になりました。
2回目の仕事のときに、いろいろ話す時間がありました。
彼は学生時代に、辺見庸「もの食う人びと」に感銘を受け、大学卒業後にアジアから中東を経て東欧を旅し、しばらく働いてからアフリカも時間をかけて旅したと言っていました。
私も読んだな。大学生のときに。
飽食に浮かれる日本と、世界の「飢餓線上」や「紛争地帯」にある食。「深夜特急」の旅より現実的で、残酷。
バブル時代を経てもなお飽食の日本で生きる90年代の私とは、全く違う食の価値観を持つ人たちがたくさんいる。
そんな世界を影の側面から描いた作品という印象でした。
女子大生だった私の、狭い価値観の感想です。
「ビリニ」がビリヤニだった
第一章「残飯を食らう」に登場した、歯形がついた肉が混ざって悪臭を放つ「ビリニ」。
あれがビリヤニのことだったと、彼との会話で気が付きました。
同じ時代を生きた私は、残酷な影の物語だと思って目を背けた。
彼は、そこに問題意識を持って旅立った。
旅の途中で、バングラデシュの残飯市場の現実を見たそうです。
富裕層の食品ロスの再利用の側面と、絶対的貧困層のセーフティネット、すなわち生きるための最後の綱という側面の二つがあって、その市場はダッカの影のグラデーションとして、旅人である自分も見ることができた。
勇気が出なくて食べなかったけど、確かに存在した、と。
そこに暮らす人びとの姿にショックを受けて、世界を旅して正しい現実を知ろうと思ったと語っていました。
旅から戻った彼は、自分一人の力では何もできないことを学んでいました。それならば、影響力のある会社で仕事をして、自分の人生を健康に生きる社会に還元していこうと考えたそうです。
だから今の仕事をしているけれど、あの頃に思い描いたような40代にはなっていない。
思い返すと、沢木耕太郎に憧れて、気分はあのドラマの大沢たかおで、結局自分の旅もテレビで見た猿岩石の旅をなぞっていただけだった。
あの頃は青かった、と彼は笑っていました。
いや、そんなことない。
あなたの生き方には筋が通っている。
私は、自分の人生に、そこまで筋を通してきただろうか。
自分の人生を振り返って、立ち止まりました。
再読した「もの食う人びと」
そして、40歳で、あらためて「もの食う人びと」を読みました。
第一章「残飯を食らう」の舞台は、バングラデシュの首都ダッカ。
ここで登場する「ビリニ」は、私が知っている華やかな祝祭の香りがするご馳走ではありません。
高級ホテルや富裕層の結婚式で出た、食べ残しのビリヤニ。
ダッカには、それらの残飯を回収して貧民層向けに再販する「残飯市場」が存在している。
辺見庸はその市場へ赴き、ハエがたかり、誰かの歯型がついた肉が混ざる「冷えたビリニ」を、強烈な悪臭のなかで口にします。
あまりの生々しさに思わず皿を放り出す。
それを横から痩せた少年が貪るように奪っていく――。
この「ビリニ」のエピソードは、90年代の飽食の日本に対する強烈なカウンターであり、切実な世界観へと引きずり込む象徴的なシーンでした。
女子大生の私は、そこで現実に目を背けてしまった。
40歳の私は、改めて食を通じて見る世界の現実に目を向けました。
遠い世界だったものが、足元に来た
それと同時に、90年代と2010年代半ばの日本の経済状況は、ずいぶん変わったことを感じました。
「貧困女子」が取り上げられ、女性の貧困が可視化され、「子どもの貧困」対策も本格化した頃。2010年代半ばは、日本の「見えづらい格差と貧困」に社会の目が一気に向けられた転換期でした。
私も、会社を辞めて、半年無職になりました。失業保険の給付が終わったときに、貧困は遠い世界の話じゃないと思いました。
無職の私は、外国人が、日本の見えづらい貧困と食のルポタージュを書くかもしれないと思いました。
それくらい、貧しい現実があるのだ。しかも、普通に暮らしている私も、貧困と紙一重だ、と。
ブームの向こう側を見る
ビリヤニブームから、いろんなことを考えました。
アクションは取れていません。
でも、世の中を見ようとする視点を持つようになりました。
それでも、私が30年で変わったのは、そのくらいなのかもしれません。
かつては遠い世界の出来事だと思っていた「もの食う人びと」の世界が、今の日本にも、見えづらい貧困に形を変えて足元まで迫っているのかもしれない。
ブームに沸くビリヤニを見ながら、まだ何も考えがまとまらないでいる私がいます。
50代の今、再び「もの食う人びと」を読んだら、私は何を思うのか。
再読のために、本棚から出しました。
じっくり読もうと思います。

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