日射病が、熱中症になった夏
熱中症アラートと、あの頃の「日射病」
今日は、熱中症アラートが出ています。
洗剤がなくなりそう。お醤油も2ミリくらいしかない。買い物に行かなければならない。外に出るのが憂鬱です。
ワールドカップ決勝戦の熱戦を見ながらビールを飲んでいるので、ますますダラダラしたくなる。今日は夕方まで外に出られないかもしれません。
いつからか「高温注意報」は「熱中症アラート」に変わりました。たしかコロナ禍で、家にいる時間が長かった頃に名称が一新されたはず。コロナ明けにオフィスへ出勤するようになって、「今日も熱中症アラートが出てるね」なんて会話を交わすようになった記憶があります。
熱中症。
子どもの頃にはなかった言葉です。
私が知っているのは、「日射病」でした。
強い日差しを長時間浴びて倒れたり、帽子をかぶらずに遊んだり部活をしたりして、脱水やめまい、頭痛を起こす。
外で遊んでいて突然「頭が痛い」と言って帰る子や、部活中に保健室へ運ばれる子がいました。
真夏のグラウンド
夏休みの部活は、陸上部の私たちに加え、野球部、ラグビー部、サッカー部が同じグラウンドを使っていました。ボールが飛んできたり、お互いぶつかりそうになったりしながら、みんな真っ黒になって練習していました。あの頃は、グラウンドが満員。一体何人の生徒がグラウンドにいたんだろう。
夏休みは、ほとんど外で過ごしていた私ですが、幸いにも日射病になったことはありません。
思い出す夏の景色といえば、蝉がミンミン鳴く音。真っ青な空。白茶けたグラウンドと消えかけた白線。短い自分の影。それらが陽炎の向こうで揺れていました。
帽子もかぶらずグラウンドを走り回っていたなんて、今では信じられません。
体育館で練習していたバスケットボール部や剣道部も暑そうでした。蒸し風呂のような体育館で練習していると、あんなに暑い外が涼しく感じるらしい。高校生も中学生も、体育館横のスノコの上で伸びていました。
あの頃は今より気温が低かったから、あんな練習が成り立っていたのでしょうか。
8×4か、Banか
午前中で部活が終わると、着替えて全身に8×4を振りかける。
制汗スプレーなのに、かいた汗まで帳消しにできると信じていた節があります。
当時の選択肢は、8×4かBan。ロールオンよりパウダースプレーが人気でした。香りの種類も豊富で、フレグランスを選ぶような感覚で使っていました。
更衣室で、みんながシューシュー。一瞬白く煙るほどシューシュー。あれはけっこうなにおいでしたね。笑
ピンクのフローラルを使っている子は、なんとなく「女子力が高い子」というイメージがありました。私は黄色の8×4。レモンだったのかな。
夏休みの小さな楽しみ
夏期講習があったからか、クーラーの効いた教室があって、そこに集まってお弁当を食べ、帰り道にはコンビニへ寄る。たまにブルーシールのアイスクリームショップまで足を延ばすのが楽しみでした。
お小遣いに余裕がある日は、イタリアンジェラート。
アイスを食べても暑い日は、通学途中の駅ビルへ寄り、小物や文房具を眺めたり、本屋さんで立ち読みをしたりして涼んでいました。
こんな景色が、80年代から90年代にかけての、中高生の夏休みの記憶です。
危険な夏の始まり
あれから40年近く。
51歳になった私は、日中にスーパーへ行くことさえ躊躇しています。
9時半の開店に合わせて行けば、まだ耐えられるでしょうか。
ワールドカップの熱戦は終わりましたが、危険な夏はこれからが本番です。
そういえば、今日、梅雨明けする?
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