「あの戦争」を一語で語れないのは、なぜなのか
あの戦争は、もう語り尽くされていると思っていた
あの戦争について、私はどこかで「もう十分に語られ尽くしたこと」だと思っていました。教科書で年表を覚え、ドラマや映画で断片に触れ、なんとなく全体像をつかんだ気になっていたのです。けれど、いざ自分の言葉で説明しようとすると、開戦の経緯も、当時の指導者たちが何を考えていたのかも、うまく筋道立てて語れない。知っているつもりなのに、核心がいつもぼんやりしている。その曖昧さは、戦争という重い話題に触れるたびに、心のどこかに引っかかっていました。なぜあの戦争が始まり、なぜ止められなかったのか。その問いに正面から答えられないまま、わかったふりをしている後ろめたさのようなものが、ずっとついて回っていたのです。波多野澄雄さんらによる『決定版 大東亜戦争』は、そのぼんやりとした輪郭に、研究者の手で像を結ばせてくれる一冊でした。
波多野澄雄ほか著『決定版 大東亜戦争(上下合本版)』はこちらから読めます。
一つの視点では、全体は見えてこない
本書が示すのは、あの戦争が単純な一本の物語では語れないという視点です。著者たちは、戦争を日本側の戦略だけでなく、英米やソ連がどのような対日戦略を組み立てていたか、中国の側から開戦がどう見えていたかという複数の角度から立体的に描き出します。さらに、「大東亜共栄圏」を掲げた政治や経済の実態、財政や金融の規律がどのように崩れ、それが国民の生活にどう跳ね返ったのかについても、専門の研究者がそれぞれの分野から論じています。本書によれば、戦争の呼称をめぐる議論一つをとっても、その背後には複雑な歴史的経緯があるとされます。著者たちはあくまで史料にもとづいて、特定の善悪の結論を押しつけるのではなく、何が起きていたのかを丁寧に積み上げていく。下巻では、終戦に至る各勢力の動きや、戦後の講和体制がどう形づくられたか、そしてこの戦争から引き出せる教訓は何かまでが論じられています。読み進めるほど、自分が知っていたのはほんの一面だったと気づかされます。
「知っている」が「問える」に変わった
この本を読む前、私にとって戦争史は、すでに結論の出た過去の出来事でした。けれど読んだあとは、まるで見え方が変わりました。ニュースで近隣の国との関係が話題になったとき、その背景に積み重なってきた歴史の層を意識するようになったのです。これまで「日本はこうだった」と一面的に捉えていた出来事を、相手の側からはどう見えていたのかと、立ち止まって考えられるようになりました。断片的に覚えていた年号や人名が、一つの文脈のなかでつながって見える。学生時代に丸暗記しただけだった「開戦」や「終戦」という言葉の背後に、これほど多くの判断や思惑が積み重なっていたのかと、初めて実感できるようになりました。歴史を、暗記する対象ではなく、問いを立てて考える対象として味わえるようになったのは、私にとって大きな変化でした。
知らないままでは、語る言葉を持てなかった
この本を読まなければ、私はあの戦争について、わかったつもりのまま語る言葉を持てずにいたと思います。本書を執筆したのは、波多野澄雄さん(筑波大学名誉教授)をはじめ、赤木完爾さん、川島真さんら、それぞれの分野で一級の研究を重ねてきた歴史家たちです。一人の視点ではなく、複数の専門家が分担して描いたからこそ、立体的な像が浮かび上がります。あの戦争を「知っているつもり」で済ませてきた方には、その理解がどこまで届いていたのかを確かめる入り口になるはずです。
波多野澄雄ほか著『決定版 大東亜戦争(上下合本版)』はこちらから読めます。
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