研究は「半分種まき半分集中」
私が研究者やってきて、力の配分としてバランスいいのは「半分種まき半分集中」かな、と思う。
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私は学会でも注目頂ける技術を生み出し、研究予算もたくさん頂いている方だけど、実はその技術を開発してる途上では一つも予算が当たらなかった。予算がもらえるようになったのは、技術がある程度確立されてから。「予算くれるならできる前から欲しかった」と何年思ったことか。
結局、予算申請を審査する人間にとっても、業績ゼロの人間の提案に予算を出す勇気はない。結果、既に出来上がって成果が出てる研究に予算をつけることになる。未だ芽も何も出ていない研究に予算はつかない。
私が予算申請しても空振りを続けながら、それでも研究成果を出せたのは、年70万の研究予算が問答無用についてきたから。研究予算としては多いわけではないけれど、それなりの器具や試薬を揃えることができ、実験を進めることができた。その予算がなければ、私は研究成果を出すことができなかったろう。
その点、現在の若い人たちは新しい研究成果を出すことは難しい。年20万しか研究予算がない。二回ほど学会に参加したらなくなってしまう。スッカラカンでは研究できないから、研究予算を稼いでる年配の研究者の予算を分けてもらって下働きをすることになる。すると下働きだけで時間をとられ、自分のやりたい研究なんてする時間もなくなってしまう。単なる小間使いとして全ての時間が失われてしまう。
年配の研究者は予算を取ってくるのがうまいが、それは過去に成果を出したから。でも逆に言えば、古い研究でしかなく、新しい創造性のあるものではなくなっている。完成度を上げていく研究開発ではあるけれど、ゼロから何かを生み出す創造的研究ではない。
大型研究予算をつけると、こうした年配の研究者に予算がガパチョとつけられ、その結果、若い研究者はその下で小間使いとなる。実は大型研究予算をつけることは、創造性を破壊する方向に働く。2000年代に入ってからの日本の予算のつけ方はずっとこれで、若い人たちを小間使いにするシステムとして働いてきた。私はたまたま、そうした構造になるほんのちょっと前に研究者になったので、そうした構造に巻き込まれずに済んだ。でも今の研究組織に入ったら、創造性の高い研究をすることは不可能だったろう。
今回、大型研究予算をつけたことは高く評価されてよいと思う。でも、大事なのは運用。特定の「優秀」とされる研究者に大型予算をつけるやり方を続けるようなら、若い研究者は小間使いになるだけだろう。それよりは。
研究者に一人年100-200万ほどの研究予算を、「研究に使う」ことのみ義務化して、どんな研究をするかも縛りを設けずに任せた方がいいと思う。
トマトを育てるとき、私はタネを必要な苗の数の倍ほど蒔くようにしている。今のトマトのタネは優秀だから九割くらい発芽するのだけど、やはり苗によって育ちのよいもの、悪いものがある。しばらく様子を見て、育ちのよい苗を選んで、畑に植え付けるとよく育つ。
「苗半生」という言葉がある。植物を栽培する期間は長いけど、苗の間に栽培の良し悪しの半分が決まっている、という意味。タネから苗に育てる過程は、栽培する上で半分以上と言えるくらい重要。
これは研究でも言える。どの研究者がどんな成果を出すか事前にはわからない。だから種まきと同じで、余分にタネをまき、その中から育ちのよいものを見つけ、そこから選抜して集中して育てるとよい。
2000年に入ってから、この「苗半生」の機能が消えてしまった。種まきをせず、苗を育てようともせず、大きな苗を見つけては集中して投資するけれど、種まきしないし苗も育てないから、タネも苗も枯渇してしまった。日本から新しい技術が生まれにくくなっているのはそのためだと思う。
大型予算をつけたなら、タネをまくこと、苗を育てることに「半分」の力を注ぐようにして頂きたい。具体的には、競争的資金と呼ばれる争奪戦的予算ではなく、交付金と呼ばれる「問答無用に配られる研究資金」を増やしたほうがいい。競争的資金の場合、アレをしますコレをしますと宣言させられ、その通りにしないと研究資金を引き上げられるという厄介な問題がある。このため、研究の途上で面白い発見があっても「アレをしなくちゃ叱られる」と思って、発見を見過ごしてしまう。
のび太が宝探しゲームでママのネックレスを入れたため、本物の千両箱を掘り当てていながら「ママのネックレス!」と必死にゲームの箱を探す、という皮肉な話がある。競争的資金の研究費は、のび太と同じように近視眼的な研究を増やす効果があり、「既存」の技術を実用化するには向いている予算でも、創造的な研究をするには向いていない。創造的研究を促すには「種まき」が大切。
そのような運用がなされることを願っている。
