「任せ、委ね、待つ」から人は自ら動く
職場のスタッフから連絡もらった。臨機応変が求められる事案で「こうしたほうがいいと思うがそれでよいか」という相談。素晴らしい対応なので、そのままお願いした。
うちのスタッフのありがたいのは、全員が臨機応変できること。自分で状況をよく観察し、どのように対処したら適切かを考えてくれる。念のために私に相談してくれるけど、ほぼ間違いなくゴーサインをそのまま出せる案を出してくれる。大変助かる。
以前の私だとこうはいかなかった。私は細かい指示を出しまくりの人間で、指示された側は全部をとても受けとめきれないほど。で、受け止めきれないで指示の一部が抜け落ちる。「説明したでしょう?」と不満をぶつけつつ、また細かに説明する。また指示の一部が実行されずに終わる。その繰り返し。悪循環。指示される側は指示待ち人間となり、しかも指示されたことを完遂できなくなる。私は指示したことがなされないことに不満を持ち、より事細かな指示をするやかましい人間になり、部下や後輩のことを信頼できなくなる。実に悪循環。
他方、私は上司に恵まれてきた。事細かに指示することはなく、というか、指示はかなり大雑把なもので、どうするかは私に任せてくれた。委ねてくれた。それで失敗してもやかましいことは言わず、「次からはこうするといいかもね」とヒントは渡すけど細かなことは言わない。やっぱり任せてくれる。そのおかげで、いろんなことに拙い私でも徐々にできることが増えてきた。
あれ?上司の人たちの指導法と私の指導法、正反対と言っていいくらい違う?もしかして私の指示命令が細かすぎるからスタッフの人たちの動きがぎこちなくなってる?
それに気づいた私は、スタッフへの対応を大いに改めてみた。わたしが考え、私が指示を出すのではなく、スタッフに「これ、どうなってると思います?」「どうしたらいいと思います?」と問いかけ、答えてもらうスタイルにした。その際、どんな答えをしても大丈夫と安心してもらえるよう、明らかに間違ってると思われる回答があっても否定せず、「ほほう、どうしてそう思われたのですか?」と、その思考の流れに興味を持ち、深堀りするようにしてみた。そうすると、意外に合理的な流れがあったりして「なるほど」と思ったりした。
こうして、私がスタッフの意見、見解を面白がり、自分が話すのではなく「訊く」ことに力を入れるようになると、スタッフの人たちは安心したのか、自分の見解を述べてくれるようになり、観察眼が鋭くなり、理解力が深まった。わたしが気づいてないことにまで気づいて教えてもらうこともしばしば。今では2日に一回ほど、数分のディスカッションをすればほぼ全ての業務を自分でこなしてくれる。指示はほとんど出さなくてよい。自分で考え、行動してくれる。
何でこんな変化が起きるのだろう?私が事細かに指示を出していたときは恐らく、私の指示に従うことに精一杯で、目の前の業務を観察するゆとりを失っていたのだろう。私の言葉を一言一句間違えないように反芻することに忙しく、目の前の現象に目を向ける余裕を失い、結果として目の前で起きてることに気がつかず、失敗すると慌てて指示もすっ飛び、と、まるで不器用者が考えすぎてぎこちない動きになるのとそっくりのことが起きるらしい。
他方、事細かなことを指示されず、仕事の進め方を基本的に任された場合、目の前で起きている現象を観察するゆとりが生まれ、するとどう対応すると適切か仮説が自然と心に浮かび、それを私に報告しさえすれば大概ゴーサインが出るものだからより安心して目の前の作業をより観察しながら進めることができるようになるらしい。
仕事がある意味、自分の考え、デザインで進められると「自分の仕事」感が強まり、より楽しんで取り組めるようになるらしい。ありがたい。
私はこうしたアプローチを子どもにもとっている。子どもが自分で考え、自分で行動するようになってくれる。私は、自分で考え行動するその「奇跡」に驚き、喜んでるだけ。でもそのことが、子どものやる気を高めてもいるらしい。自分で考え行動したことが、人生の先を進んでる親さえも驚かすことができる、とわかるからだろうか。
指示を細かに出さずに任せる、委ねるということは、最初、怖かった。もしこの作業が抜け落ちたらどうしよう?時間とお金が無駄になったらどうしよう?自分は気づいているけどスタッフが気づいてなければどうしよう?と不安に思い、抜け落ちのないように細かい指示を出していた。でも皮肉なことに、細かい指示を出せば出すほど指示通りにできなくなるという現象が起きた。
ふと、自分の上司たちは私のことをどう思っていただろう?と考えた。私はとにかく抜け落ちの多い人間だった。ミスするのがデフォルト(標準装備)。任せたら確実に失敗するタチ。本来、任せるには一番不安なタイプ。でも。
私の優れた上司たちは、私が何度失敗しようと任せてくれた。委ねてくれた。うまくいくまで待ってくれた。だから私は落ち着いて目の前の作業に集中し、何が起きているのかを冷静に観察でき、改善点を突き止めることができた。自分で考え、行動することができた。
なんだ!自分で考え、行動できる部下の育て方は、「任せ、委ね、待つ」ことが大切なのか!うまくいかなくても「しゃーない」と笑ってスルーし、本人の力ではどうしても気づけなさそうなポイントだけヒントを一つ出し、あとはまた任せ、委ね、待つ。そうした上司の対し方が私を育ててくれたのか!
私はそのことに気づいてから、ずいぶんラクになった。基本、手をそんなに出さなければ勝手に人は育つし、動いてくれるようになるわけだから。
では、私の上司は完全放置、放任だったかというとそうではない。私のことをどこかで気にかけてくれ、意識の中に置いてくれ、困ってる時にはスッと相談に乗ってくれた。それで元気を取り戻すと、また「任せ、委ね、待つ」モードに切り替わり、私から少し間をおいて見守ってくれる。実に理想的な接し方をしてくれることに気がついた。
私はそれを模倣してるだけ。でもそうすると、不思議と人は動いてくれる。人が自ら考え、行動するようになる環境というのは、ある程度定式化できるらしい。これは部下指導にしても子育てにしても同様だと思う。
しかもユマニチュードを学ぶと、「高齢者介護もそうやん!」と気がついた。赤ちゃんから年取って死ぬまで、人間は「任せ、委ね、待つ」という姿勢でいてくれると能動的になる生き物であるらしい。
面白いなあ、と思う。
