一人EMDR(あくまで個人的見解)
イヤなことは考えないほうがいい、忘れちまったほうがいい、とはよく言われること。私もこの考えに同感なのだけれど、案外実践するのが難しい。イヤなことほどずっと考えてしまう。忘れるどころかどんどん強化されてしまい、何ならほかのことは考えられなくなってしまう。イヤなことの強力さよ。
このところ、私は物思いにふけることが多く、イヤなことばかり見つめている自分に気がついて、「いやいや、視野を広く持たねば!」と、それまで半開きだったまぶたをカッと見開いたりするのだけれど、やがてイヤなことを再び思い出し、いつの間にやらうつむいて下のほうばかり見て、やはりまぶたは半開きに。イヤなことを見つめているときって、なぜかやや下向きで、目が半開きになるんだよね。
目を大きく見開いても、イヤなことを見つめる癖が抜けない。どうしたらいいだろう?と思い、今日、目を逆に閉じ気味にした。すると面白いことに、物思いにふけることが難しくなった。歩きながらなのもあるだろうけれど、狭い視野から、危険性がないかなどの重要情報を見逃してはならない、という意識が強まり、悩みやイヤなことを見つめる余裕がなくなるかららしい。へえ、と、今日の発見。
では、目を大きく見開いた上で、イヤなこと、悩み事を見つめずに済ませるにはどうしたら?と試してみたら、「鵜の目鷹の目」になると、イヤなことを考えている暇がなくなるのを発見した。はるか遠くのほうで見えるあの白いもの、もしかして田んぼの中に投げ込まれたゴミ?歩道の上にグレーの何かがあるようだけれど、何?ハト?と、様々な「違和感」に気がつき、目を見開くことで大きな視野を得ているのだけれど、見ているのは、小さな小さな違和感のあるものの一点。こうなると、イヤな物思いにふける余裕がなくなるらしい。今日の発見ナンバー2。
「鵜の目鷹の目」というように、鵜や鷹は広い視野で世界を眺めつつ、「獲物はないか」と、小さな小さな「違和感」「差異」を見つけ出そうとする。この時、物思いにふける余裕はない。違和感サーチにエネルギーがとられて、物思いにふける余裕がなくなり、イヤなことを考えることができなくなる。忘れることができる。
ではなぜ、つい昨日までは同じように大きく目を見開いていたのに「イヤなもの思いにふけるモード」に早々に戻っていたのだろう?何が違うのだろう?考えてみると、「広く視野をとろう」としているだけで、違和感サーチをしていなかった。何か一点を見つめる、ということがなく、ただ漫然と物事を見ていただけだった。こうなると、世界が平板にしか見えず、だとしたら平板ではない「イヤな思い」を見つめていたほうが注意関心がある、ということになってしまう。たとえ見つめるものがイヤなものであっても、退屈よりはマシ、という風に私たちの心は作動してしまうらしい。
ところが同じ広く視野を取るにしても、鵜や鷹が獲物を見つけようと「違和感サーチ」をするように、「日常ではない何かはないか」と、異物を探すという気持ちになると、焦点がぼやけず、視野の端に違和感発見!となると、そこに一点集中する。広く視野を取っているようで、両目は常に解像度高く点で見つめ、その点を左右上下に動かして、違和感のあるものを探そうとスキャンしている感じ。
どうやら昨日までの私は、広く視野を取っていても、視線は捉えどころもなく泳いでいたように思う。見れども見ておらず。目を開いて見せただけだったらしい。目の焦点がぼけ、世界をスキャンすることもせず、世界に潜む違和感を探そうともしていない。漫然と世界を見つめているから、そんな退屈な作業をするくらいならイヤなことでも見つめていようか、になっていたらしい。
目が半開きになり、うつむき加減になってイヤなことを見つめてしまうくらいなら、いっそ他人からは目を閉じているんじゃないかと思われるくらいまぶたを閉じ気味にして視野を狭くし、「わずかな情報から危険がないか読み取ろう」とする本能を呼び覚ますことで悩みを見つめる余裕を奪うか、目を見開くのだけれど、両目の眼球は常に獲物を見つけようと、世界に潜む違和感をサーチする。そのどちらかをすれば、イヤなことを考えずに済むようにしやすいらしい。
「視線」は、悩み事を軽減するのにとても大切なアプローチ。非常につらい出来事があったとき、何年たってもその時の記憶がよみがえり、パニックに陥るPTSDという症状がある。この治療法として、光る点が左右に動くのを見つめながら、昔の出来事を思い出すという治療法(EMDR)がある。治療者は、光る点、あるいは治療者の指先を見つめるように患者に伝える。患者は、左右に動く光る点や治療者の指先を目で必死に追いかけながら、治療者の質問に答えていく。すると。
それまでは、「なぜこんなことに」「あの時こんなことがあったから」「でもほかに方法がなかったのか」「でもあの時は仕方なかった」「でもあの時こうしていれば」と、口惜しさ、悔い、悲しさ、怒りなどが交互に現れて、同じ悩みをグルグルと回り続ける「悩みのサーキット」が発生してしまう。これを毎日のように繰り返すと、毎度同じ思考回路を走ることになるので、高速回転し、やがて熱暴走してしまう。その悩みの回路ばかりが太くなり、ほかのことが考えられなくなってしまう。「悩みのサーキット」の轍(わだち)はどんどん深くなり、車輪がそのわだちから抜けられなくなってしまう。
ところが、EMDRの治療を受けながら昔のことを思い出すと、同じ悩みを繰り返そうとしても、視線に思考がつられて、悩みに集中できなくなる。そのうち、思考の脱線が起き、サーキットを回りにくくなっていく。やがて物事の理解がネットワーク上になり、悩みの思考回路は、ネットワークに溶け込んで、「そうとばかり思いつめなくてもよいのかもしれない、もっと別の考え方ができるのかも」と、次第に落ち着いてくることがあるのだという。
悩みに思いふける状態を改善するには、視線をうまく制御することが大事だとはわかっていたのだけれど、さて、セルフEMDRはどうしたらじっせんできるかね?というのが、十分に言語化できていなかった。今日、「視野を思い切り狭くして、世界から情報を採りにくくすることで、かえって視野から情報を採りに行こうとする本能を誘発することができる、ひいては物思いにふけることが難しくなる」という方法と、「広く視野を取ろうとするよりは、鵜の目鷹の目で、何か違和感を世界から見つけ出そうと両目の焦点の一点を動かして世界をスキャンする形にし、実際に様々な異物を発見できるようになると次第に楽しくなってきて、結果として自然と視野が広くなり、物思いにふけることが難しくなる」という方法を発見した。
今後、イヤなことを見ないようにしよう、忘れるようにしよう、と思ったときには、こうした「視線制御法」を試すことにしてみよう。
