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朝日の射すところ〜朝日遺跡

  2025年4月5日、桜がほぼ満開となりました。お天気もよく花見へGO!どこへ行くか…となると悩みどころですが、私はかねてから行ってみたい場所がありました。

地元民にはお馴染みの清州城!

 五条川の桜並木は愛知県民にとっては有名どころ。今回の目的は、その城下にあたるところにひっそりとある「あいち朝日遺跡ミュージアム」でした。

裏の公園部分とミュージアム部分で一つの資料館になっている


 現在のミュージアムの館長さんである、原田幹さんが書かれた『東西弥生文化の結節点 朝日遺跡』(新泉社)を読んで、びっくりしたのです。愛知県に弥生時代の遺跡ってあったの??と。
 私が小学校の頃の校外学習は、断夫山古墳だった記憶があります。去年の息子の小学校の校外学習は青塚古墳。実は濃尾平野には、邪馬台国の時代に、有力な「東海王」が君臨し、古墳群を形成したと言われています。その中心になるのが、東谷山フルーツパークにほど近い、志段味古墳群なのです。その印象もあって、なかなか弥生時代の遺跡が想像できませんでした。

 朝日遺跡は昭和初期から重要な遺跡として注目され、特に1970年代からは継続して発掘調査がされてきたそうです。調査により、新しい発見が相次ぎ、国の重要文化財として指定されました。遺跡自体も保存の動きが強くなってきました。現在では、ミュージアムの建物の裏手となる、もともとは公園であった場所が整備され、復元された当時の建物が立っています。また、ここでは、当時の生活が体験できるようなユニークなイベントが行われています。

いい天気で気持ち良い。家族連れが散歩をしていました
鳥の形をした木製品。
鳥は弥生時代には特別の生き物だった
竪穴式住居。わりとしっかりした造り。
これなら暮らせるかも…?
中は昼でも真っ暗だけど…
教科書で良く見た、高床式倉庫。
朝日遺跡は環濠式で、周りに掘りをめぐらせて村を防護していた
長年の生活で堀には貝殻を捨てられ、
積み重なった貝層がそのまま保存されている。
桜がとても綺麗だった…
一番最初に発見されたのは貝塚の山。
地面を掘ると貝が出てくることが昔から知られており、ひょっとしたらモースよりも前に貝塚は知れていたのかも…
海岸線は今よりもずっと近く、また川との合流口に位置したため、淡水、海水のどちらの貝も取れたよう。主に、ハマグリ、シジミ、カキ。貝殻だけでなく、動物(鹿、猪、鶏)の骨なども出土。食料事情の豊かさからもかなり大きな集落だったよう。
あいち朝日遺跡ミュージアムHPより

 ところで、「弥生時代」というのはどういう時代なのでしょうか。私は小学校で、縄文時代の後で大陸から渡来系の人達が伝えてきた「稲作」が始まった時代であると習いました。同時に、「鉄器」も伝えられ、そのお陰で飛躍的に多くの人達の食糧を賄えるようになった、とも。

 現在、国立科学博物館で開催されている『古代DNAー日本人のきた道ー』が最先端の研究でわかったことを教えてくれます。いずれ愛知県にも巡回展が来る予定なので、東京まで行くのを我慢していますが、先に公式図録を手に入れました。これは絶対に買い!です。

 この図録によると、現在では概ね、弥生時代の開始は、かつて言われていた2400年前からさらに500年ほど古い2900年前とされており、これについては多くの研究者が同意しているようです(『おにぎりの文化史』河出書房新社)。しかし、「鉄器」の出現自体は2400年前であるのは変わりなく、それを踏まえると「稲作」が伝えられてから500年近くは、石製、木製の農工具を主には使用していたと考えられています。ミュージアムには、石包丁という稲刈りの道具や木製の鍬などが展示されています。そもそも、広い日本列島で一律に縄文時代→弥生時代へと移り変わるというのは無理があり、「稲作文化」を受け入れずもとの「縄文式生活」をしていた地域もあったはずで、比較的長期に渡ってさまざまな"時代"が混在していたと考えられます。

 『DNA展』では、発掘された骨のゲノム解析から、現在の日本人のルーツを明らかにしようとしています。衝撃的なことに、旧石器時代の「日本人」と同じゲノムをもつ集団はもはや現代には存在していないのだそうです。現在の本州日本人がもつゲノムは縄文人由来のものが10~20%、渡来系弥生人ゲノムが80~90%とわかってきています。
 図録には、伊勢湾岸沿岸地域が例に挙げられており、朝日遺跡で見つかった男性の人骨は渡来系弥生人のものであるとわかった、と書かれています。
 朝日遺跡からは縄文系の条痕紋系土器と、弥生独自の遠賀川系土器の両方が出土しています。海が近かったので、大陸からやってきた人たちは海岸伝いに、伊勢湾に到達したのかもしれません。その時、平和に二つの民は出会ったのか、それとも…

朝日遺跡で出土した人骨。
史跡貝殻山塚交流館には人骨が展示されています。
弥生時代の遺跡としては西日本で最大級で、長期に渡って人が住んでいた。ミュージアムの位置は、地図の左下端の白い所。別の場所には勾玉工房、土器工房などもあったよう。
一際美しい彩色土器。「パレス・スタイル土器」という。
尾張地域を中心に発展した土器で、朝日遺跡ではもっとも多種多彩。
「朝日遺跡だより vol13」によれば、”ベンガラという酸化鉄が主成分の顔料”であるとのこと。

*『大地の赤 ベンガラ異空間』(INAXライブミュージアム刊)のご本が紹介してあったのですが、もはや絶版。ネットで調べると、ベンガラとは、インドのベンガル地方から伝来したからそのように言われているそうです。ラスコーやアルタミラの洞窟壁画の「赤」ですね。それしても、弥生時代にどうやって日本へ???尾張地方の土には多く含まれるのですかね?

高い技術力もさることながら、現代にも通用するようなデザイン性に溢れる。
どんな専門家たちがいたんだろう…?
鳥の形をした土器

 現在、名古屋の科学館で開催されている「鳥~ゲノム解析が解き明かす新しい鳥類の系統~」展には朝日遺跡ミュージアムからの出品があります。
 ニワトリは弥生時代に大陸からもたらされたようです。当時は食べるため、卵を取るためではなく、夜明けを告げる「時告げ鳥」として飼育されていたそうです。呪術的な存在とされ、その形を象った木製品も多数出土しています。
 ムラに朝日が射す時、いち早く鳴くニワトリの声で「朝」が来たことを知る人々は、今日も平和な1日を過ごすことができるように祈ったのかもしれません。

 ちなみに、「名古屋」コーチン発祥の地は小牧市で、明治時代に元尾張藩氏だった海部荘平・正秀兄弟によって生み出されました。鳥を食べる、卵を食べるというのは江戸時代まで禁忌だったようですね…


気合の入った「朝日遺跡だより」抜けている所の冊子が欲しい…
企画的も素晴らしい 
売店売り上げNo1(笑)の、「シカの線画クッキー」。
えっとどこにシカが…?

参考文献


ジオラマの写真が最高!

 長らく「尾張名古屋は城でもつ」と言われてきましたが、そこに至るまで長年に渡って人々の営みがあったのが、この濃尾平野というところなのです。考古学的にもまだまだ新しい発見が眠っていることでしょう。コツコツと研究を続け、ミュージアムで素晴らしい展示、企画展をしてくださる研究員の方、ありがとうございます!
 愛知県の小学生の子達、校外学習はここがおすすめよ〜

       2025年4月5日