六つ目だけ

世の中には、限られた人にしか受け取れない電波があって、その一つに籠への愛があるように思う。籠なんて人気カテゴリじゃないかと(それも最早マイノリティなのだろうか)言う人もいるかもしれないけれど、その中でもかなり民具や荒物寄りの、すごく粗雑であったり、フチをビニールバンドでガチガチに巻いてあったり、使い込まれてススで黒光りして、一部欠けているようなものを見ると思わず「かっけぇー!」と口に出してしまう人達が一定数存在する。研究資料的な郷土性や貴重さでもなく、民藝的な職工の熟練に惹かれているだけでもない、ほとんど有無を言わさず理屈じゃないところに強烈なフェティシズムも感じていて、本当に趣味の領域だなと我ながら思う。(かつて知人同士が石拾いの話で異常に盛り上がっている場面に出くわしたことがある。この趣味も、貴石や奇石、侘び寂びのような基準とは別みたいで、やはり特殊な電波が存在するのかもしれない)
理論的に籠の位置づけを説明しようとすると三つは系譜を示すことができる。
一つは鑑賞工芸的な籠で、明治以降に美術や工芸という概念が導入されて、花籠など物理的な運搬機能ではなく造形的な美しさや鑑賞の側面で発達したもの。
もう一つは、それらの観るための手仕事の対極にある民藝的な立ち位置で、地域で道具として大量作られ、使われていく中で洗練されたものがある。
それとは別に、趣味や嗜みとして導入されてきた手芸的なものも含むバスケタリーという流れもある。明治期の学制や戦後の手芸ブームなどで発展してきた系譜も脈々として存在するように思う。もちろん水脈は複数であり、混交するのが普通であるので細かな指摘はできるのだけれど、僕らが受け取っている電波はどれにも当たらない。民俗にも近いんだけれど、特に体系立てたり記録する気もなく、ただただ愛でるようなところがある。平たく言って、推し活である。
そして何故そんなことを長々と説明しないといけないかと言えば、その前後関係を説明しないと、堂々と推せないという状況があるからだ。推しを表立って推せないというのはとても苦しい。
現在アラモノ(荒物)とされるような手仕事が国内で流通することは減ってきたけれど、戦後すぐくらいまでの最盛期にはまだたくさんの手仕事があって、猛烈な量が作られていた。これは籠や箒に限らず、様々なジャンルに言えると思う。それなりに稼げてバランスの取れたような時期もあったようなのだけれど、数を作る道具の類は単価を高く取れない所がどうしてもあって、(当時の現金の貴重さという面もある)現在、そのままの価格とペースで作ってもなかなか仕事としては食っていけないという状況は各所にあるように思う。
そこで価値を高めていく必要があるのだけれど、大きな流れとしては二つ、伝統工芸・鑑賞工芸的な高級品に行く路線か、道具という流れに行くならば民藝やクラフトといった市場もある。更にその中でも用に適った生活道具として美しさと機能を持った道具、または民藝などのバックグラウンドや価値観を背負い売っていくか、現代の生活に馴染む暮らしの道具を作る「作家」として、ややアレンジや文脈をミックスした形で作品を出してが大きな道筋と言えるように思う。(間にデザイナーが入る場合もある)
そしてこの時、手芸に近い、比較的参入障壁の低い手仕事においては、プロとアマチュアが共存してしまうという問題がある。(ジャンルによって、ほとんど混ざらない業種もある)仕事にしているかしていないかなんて関係ない、上手くて収入にしていればプロだし、趣味で手仕事をする人もとても豊かな人生を送っているのだからいいじゃないか、という議論も至極真っ当で否定する余地はない。しかし、現実として困ることがないかと言われるとそれも全く否定できないのだ。
手芸や趣味が悪いとは全く、全く思わないけれど、やはり本業にしている人が長い時間をかけて来た仕事と、余暇に作っている人は背負ってきた背景や今後続けていくべき重さが違う。もちろん、プロとアマでは見た目で歴然とした差があることもあれば、下ごしらえや下地など、十年二十年先の結果に大きな違いがあることも多い。対して、本業でない人や年季の浅い人でも目を引く見せ方や明らかに原価の取れないような価格設定で販売していることもあって、一般の消費者にとってはその方が手に取りやすいこともある。何が悪いんだ、それが市場経済じゃないかという声も聞こえる。それもごもっとも、ごもっともだけれど、仕事のジャンルによってはそれが絶滅危惧種のような貴重な職種であったり、しかもそういう人に限って仕事以外は不器用で見せ方や世渡りが下手だったりするのだ。そうして失われてきた手仕事も少なくないはずで、仕事が失われるということはその仕事に纏わる文化や歴史、知恵、エコロジーが一挙に失われることでもあり、あらゆる仕事を丸っと残せとは言わないまでも、とても慎重かつ、真剣に向かい合う必要がある。勝ったやつだけが生き残ればいいというのは、文化に対してはかなり粗雑なもの言いである。
手仕事に介入するということは、その系譜に参画することでもある。そしてここでやっと、竹の推し活の話だ。僕はそういう経緯で、如何に好きな手仕事であっても、買う以上のこと、作ったり真似ることは禁忌中の禁忌、と深く戒めてきた。けれど、最近は仕事が終わったあとや合間に、コツコツ根曲がり竹を割ったり編んだりしている。ここに来るまですごく迷ったし、検証をし続けて、やっとこさ自分にGOサインを出したという感じがある。
そもそも、素人目には編組品がどれも親戚に見えるらしくて、籠も編めるんですか?とかたまに聞かれるけれど、答えとしては全くもって編めない。編組品の共通点なんて、編み目が縦横になっているだけで、編み方も違えば要となる素材の準備や処理は川の向こう側にあると言っていい。ただ、箒の一部のパーツに竹を使うこともあり、そこに柄の端材を使うので、削ったり、割ることは日常的あるにはある。
全体の総数は把握できないのだけれど、竹細工は年々見直されている気がする。先述の工芸、民藝、クラフト的な魅力に加えて、環境問題としても荒れる野山の象徴でもあり、圧倒的速度で成長する再生可能材としても注目されている、それに、箒なんかに比べても作れるバリエーションが歴然で何でも作れる、その割使うに道具は少なくて、アジア圏に特有の工芸でもあり、気候によって材の質が違うので特性も変わり、道具のバリエーションが無数にあるので文化的な蓄積としても見逃せない。竹への思いは募るばかりだった。
「がたんごとん」で、根曲がり竹(学名はチシマザサで分類的にはササ)で籠を編むワークショップを開催したのは、作り手である「かごあみ絲」さんにお会いしてからだ。最初は、これからワークショップ活動を展開しようという絲さんの、テストの会に参加させてもらった。絲さんは元々中川町の地域おこし協力隊として北海道へやってきた人で、根曲がり竹ではなくて、クルミやシラカバの籠も作る全国的にも稀有な作家さんだ。仕事柄、どの素材の作家さんの知り合いもいたし、概要も少し知っていたけれど、圧倒的に僕の心を掴むのは竹だ。
クルミとシラカバは樹皮でシート状なので大型のカッターナイフで切れるけれど、竹は丸のまま刈ってきた竹を薄く剥(へ)いでいくという工程があり、手作り感とワイルドさが堪らない。クルミの皮細工は、古くからあったようではあるけれど硬さのせいか?古い民具の中でもバリエーションは多くない。シラカバは、北欧やロシアなどが本場で、後からクラフトブームの流れの中でかなり認知度と関係人口が増えたようではある。竹のようにアジアや日本産だからいい、というわけではないけれど、竹籠と聞いて腕まくりをする民俗好きは僕だけではないだろう。竹は草とは思えない張力があり、剥ぐのも難しければ編むのも難しい。しかしその力故に、支持体なしに巨大な造作や、編組品の中では本数の少ない独特な造形物もある。東南アジア圏では家を作ってしまうくらいで、竹によって作られる生活用具のボリュームゾーンは圧倒的なものがある。(僕が大学にいるころには、竹細工だけで満たされた2階建ての資料室まであった)また、竹は地下茎で増えるため増えすぎることもあり、竹害と言われてしまうこともある。けれど無法図に増えるのではなく、かなり気候や地域の差があって、根曲がり竹は生息区域が限られるようだ。東北や長野の寒いエリア、北海道でもまちまちで、太さすら環境条件で決まってしまうので太くて長く、最適な根曲がり竹がとれるエリアは僕も数えるほどしか補足できていない。(幾らでもある、というエリアもある)これでもかというほどの地域差と個性には多くの手仕事の中でも際立つものがある。(こんなに語ると、なんで籠屋にならないの?とか聞かれそうだけれどご縁もあるし、プレイヤーの少ない箒の作り手の責務は大きい。それに、性格が雑で、本格的に精巧な竹細工は向いていないと自覚している)

絲さんのワークショップはすごく楽しくて、根曲がり竹の難しさや分からなさは体験しなくては感じられないこともたくさんあった。価値ある仕事が広がっていくことは言うまでもなく大切だけれど、先述のようなデリケートな事情もあって、禁忌に触れるようなところもある。ただ、絲さんの開催するワークショップはかなりハードで、現地で素材の採れる場所限定、割りの体験(いきなりはまず割れない)も含めるという実践的で、趣味と言うにはかなり本格的な内容だった。彼女の語る「かつて土地土地にあった当たり前の技術を土地土地に還していきたい」という言葉にも深く納得した。現代は、言うまでもなく人の手の入らない山が増えていて、森は荒れているように思う。
敬愛する、青竹の作り手の方にも聞いてみた。ワークショップを開催することに関して「作り手が増えるのはいいことだと思う。ただ、同じような技法だけが広がって、地域の文化がなくなっていくのは悲しい。」という言葉をもらって、これ以上の指針はないと思った。失われる文化があるのは事実だけれど、それを粗雑な形や恣意的な形で混ぜていくと、却って弱い何かを押し潰してしまう可能性がある。大きな力で消えていってしまう文化や仕事を、僕は多く目にしてきた。一番恐れていたのはそのことだった。
それで僕は日々、地域の竹細工を渉猟するようになった。幸い子どもが小さくて旅行も道内ばかりだったし、竹好きは限られるので情報も集まりやすかった。仕事上も、情報を集めやすい立場にあった。更に幸いしたのは、現行、北海道で土地に根付く竹細工はかなり少ない。それに交易がさかんな上での明治以降の普及になるので、内地に比べると構造も複雑化していない感がある。できるところまで補足してみようと思った。
北海道にも根曲がり竹の籠を作る人はそれなりにいるのだけれど、明らかに内地の技法を取り入れた人も少なくない。全ての人に聞き取りをする訳ではないけれど、物を見るだけで分かるものも多々ある。地域地域の車庫や倉庫にぶら下がっているものや古民家に残されているものも珍しくはなく、参考になるものは見つけやすい。
そうして数年調べた結果、僕の住む塩谷や余市、後志圏内には六つ目という六角形の模様のできる編み方の、持ち手のついた収穫籠が中心であることが分かった。根曲がり竹の収穫籠は丈夫で軽く、通気性もあり、しなやかなさもあるのでクッション性の良さと軽さから現在でも使っている人も見かける。ワークショップでも行なわれる基本的な編み方でもある。そして、それ以上の技術や形はそこまで普及しなかったのでは?もしくは一時的にあったにしても、跡形もなくなってしまったのではという推測に至った。
それに、僕の住む圏内では作る人はもういなくて、作り手が関わることで被害を被るひともいないように思えた。
やがて僕の住むところから目の前にある塩谷丸山の近辺にも根曲がり竹が生えている事も分かり、地産地消の点もクリアできた。地域の形に根付いた六つ目を編む限り、塩谷エリアでの根曲がり竹活動は文化的に安全圏にあるのではと結論し、絲さんにワークショップを複数回開催してもらったり、トークイベントを企画してもらったりもした。
これも推測(もしくは現在足跡の残らないこと)なのだけれど、北海道では鑑賞工芸的な、華やかな竹細工は発達しなかったのでは?と思う。旭川の小林勝行さんからはその原型を見られる気がする。

来年90歳だという勝行さんは、父親に教わって竹細工を始めた。父は、林業をやっていたが、戦後に仕事がなくなり、職人を3人雇って根曲がり竹の仕事を始めたらしい。作るバリエーションは多くなくて、六つ目の丸い籠、手付きの籠が殆んどだ。30年企業に勤めたそうだけれど60歳からまた作り始めて来年で30年。竹を割ったようなライフサイクルだ。
精巧な竹細工で行なわれる、幅引きや裏梳きと呼ばれる、幅や厚みをコンマ数ミリで調整する工程はなくて、基本的に割りっぱなしというワイルドさも、かっこいい。
色々事情もあったのだけれど、今年は初めて「がたんごとん」から、勝行さんの籠を日本民藝館の新作工芸展に出品してみて、無事全て入選という結果も得た。


バーナード・リーチがある焼き物の産地を訪ねて実演して見せた時、帰る頃には里のみんなが技法を真似していて閉口した、という話があるけれど、技術保全だ文化だと言い始めたのも戦後の話であって、本当にそれらで食っていた地域の人々は細かいことは気にせず、良いと思ったものは取り入れ、素朴に作り続けていたのだろう。僕も、ワークショップで同席している手前一緒に始めて、コツコツ続けている。(会場の人が先に音を上げていては、続けられるものも続けられなくなるだろう)仕事の息抜きに大した量は作らないし上手くもならないだろうけれど、勝行さんみたいに60歳になる頃まで続けていたら、誰かに何かを手渡せる人になれるかもしれない。本来手仕事は豊かで幸せになるものなのだから、プロだアマだとせせこましいことを考えないで、下手でも好きなものに素直に向き合うこともしてみようと思った。土地に繋がることも嬉しい。美しいと思うものを遺せることも嬉しい。一素人として仲間もできて、着実に作り手も増えている。その中で、数十年後には文化らしきものが生まれてくるのだろうと思う。
