DJ MURO (DJ)『Face Records 創立30周年記念』|アナログレコード紳士録 #1
Face Records 創立30周年記念「アナログ・レコード紳士録」第1回DJ MURO対談
創立30周年にあたり
弊社FTF株式会社が運営するFace Recordsは2024年に30周年を迎えました。これまで当店をご愛顧いただいた皆様に深く感謝申し上げます。
私が創業した1994年当時は、すでにレコードは「DJで使うもの」として認識され、私もこの感覚で商売がスタートしました。当時はすでにアルバム全体を楽しむというより、収録された曲が重要視されており、シングル盤や12インチレコードが重宝され始めた時代でした。また、LPも最初から最後まで通して聴くより、好きな曲を飛ばしながら楽しむスタイルに変化していました。
団塊ジュニア世代以降のレコードコレクターの特徴として、最も顕著なのは「クラブDJ文化」の影響です。この世代の多くは、テクニクスSL1200MK2以降のモデルを2台とVESTAXやRODECといったDJミキサー所有し、アルバム全体を通して聴くというより、曲単位でレコードを扱い、クラブでDJプレイを行う文化が根付いていました。
この世代のDJ文化がなければ、レコードはもっと早い時期に廃れていたかもしれません。私たちの商売も、こうしたDJの皆さんに大いに助けられてきました。
そして30年後の2024年、フェイスレコードは創業30周年を迎えました。レコードがこれほどまでにリバイバル・ブームを巻き起こしている現状を目の当たりにすると、隔世の感を抱かざるを得ません。特に若い世代にとってのレコードは「初めて見るメディアとデバイス」として新しい体験だそうです。
今後、アナログ・レコードに関係する著名人とレコードについて語る「アナログ・レコード紳士録」を始めます。記念すべき第1回目のゲストは「日本のDJ文化を代表する一人」であり、もう30年近くお付き合いのあるDJ MUROさんです。その「レコ屋で一番見かけるDJ」と初めてお会いしてからあっという間の30年でしたが、90年代の渋谷のレコード店や食事事情など「90年代の思い出」について話していただきました。
Face Records
代表 武井進一
(FTF株式会社 代表取締役)
「アナログ・レコード紳士録」第1回DJ MURO対談
レコード店の歴史・実は80年代は西新宿が熱かった
(武井)
今回、うちが今年創立30周年ということもありまして、MUROさんとのお付き合いもちょうど30年くらいだと思うんですけど、すでに様々なメディアで音楽とかDJとかレコードに関することって結構いろんなところで喋られてると思うので、音楽というよりもちょっと文化寄りというか、渋谷の80年代、90年代の食事とかファッションとか思い出話的なことをお話しできればと思ってます。
MUROさんと言えば渋谷の宇田川町というイメージが皆さんにはあると思いますけど、その他にも原宿とか神南とかファイヤー通りあたりとかその辺の思い出とかいろいろお話しできれば、と思ってます。
さっそくですが、80年代には、すでに渋谷でレコードを買われてました?
(MURO)
80年代はまだ新宿アルタかな? 実家が川口だったんで、赤羽線が埼京線になってみたいな頃だったんで、新宿までが近くなった感じが嬉しかった時代でしたね。アルタは画期的でした。駅から繋がってますし(笑)
(武井)
やっぱり新宿アルタのシスコって結構画期的でしたよね。この上にタモリさんがいるんだ、みたいな(笑) 。洋服屋さんも結構ありましたね。軍モノのプープマックニンとか、アウターリミッツも入ってました。
*アウター・リミッツは当時珍しかったレゲエ系の洋服店
(MURO)
アウターリミッツも一時入ってましたね。
(武井)
新宿に行ったらアルタのアウターリミッツに行ってからシスコみたいな感じがありました。アウターリミッツって元々上野ですよね?
(MURO)
上野ですね。アウターリミッツは元々アメ横センタービルに入っててその後、入谷に店舗を1回出して、そこで後輩が働いたりしてました。まだその頃、彼は高校生くらいじゃなかったかな。上野のシスコにもよく行ってましたね。レゲエを教えてくれるすごい綺麗な店員のお姉さんがいて、たまに「アフロマニアに行こうよ!」とか言って誘ってくれたりして甘酸っぱい思い出ですね(笑)上野ももちろん川口から20分なので、すごく行き易いとこだったので。川口から一番近い都会みたいな感じでした。
*「アフロマニア」南青山にあったナイトクラブ
Posted by ディスコクラブ資料館 on Saturday, May 29, 2021
(武井)
その後、新宿の大ガードをくぐって西新宿にデビューみたいな感じですか?
(MURO)
当時はそうですよね。その頃はレコードマップの一番初めの方に新宿が載ってたくらいで、新宿が店舗数も一番多かったんじゃないですかね。レコードマップ片手にだいぶ回ってましたね。そういったレコード買ってる友達もあまりいなかったんで、西新宿には一人でよく行ってました。
まだ中古盤屋さんでもラップ、ヒップホップっていうコーナーもできてない頃でした。B-BOYもヒップホップもレコードでさえもそんなにはっきりとジャンル分けされていない時代だったので、中古レコード屋に行ってもレゲエのところに入っていたりとか、ブラックコンテンポラリーのところに入っていたりとか。
イベントも一緒で、ヒップホップに特化したイベントはほぼなくて、レゲエのイベントにちょっと出させてもらったりとかっていうのが多くて、キングストン・クラブだったりとかによく出させてもらったりしてました。
[池袋 1989.9〜1993] KINGSTON CLUB 豊島区西池袋1-24-4 岩田ビルB1F . #KINGSTONCLUBキングストンクラブ #池袋クラブ #池袋club #レゲエクラブ #岩田ビル #キングストンクラブ #池袋キングストンクラブ #キングストンクラブ池袋 #池袋KINGSTONCLUB #レゲエクラブ #Kingstonclub #KINGSTON
Posted by ディスコクラブ資料館 on Saturday, April 16, 2022
(武井)
西新宿のシカゴ(中古レコード店)とかもよく行かれてました?
(MURO)
はいそうですね。シカゴはずいぶん買いましたね。
(武井)
そうですよね。レゲエの中古って昔あんまりどこの店にもなかったじゃないですか。何故かあそこにだけなんかすごい量があって。
新宿のレゲエ専門店と言えばオレンジストリートだと思いますが、オレンジは大久保寄りにあるので、1番先にオレンジに行って帰りにこう全部回って帰ってくるルートでしたが、私はオレンジストリートでお金を全部使っちゃうから、他を回るときにはもう一文無しみたいな感じでしたね(笑)
(MURO)
都内でレゲエの専門店としてオレンジストリートが一番早かったんですか?
(武井)
オレンジストリートはイギリスとかジャマイカに買い付けに行ったレゲエの中古を扱う店としては都内で一番古いと思います。ネットで検索しても出てこないんですが、現在でもオレンジストリートは営業されてます。

以前、オレンジストリートのオーナーと話してたら四ツ谷に「サウンドターミナル」っていうレゲエ専門のレコード店があったって仰ってて、そこが古いかなと思ってたんですが、この「訳詞でみるレゲエの世界 STRICTLY ROCKERS」って本をよく見たらに吉祥寺にあった「ナッティドレッド」が広告出してて、ここが日本で最初のレゲエ専門店でないかと思ってます。
この本は80年代にレゲエを聞かれていた人達のバイブル的存在だったようで、当時発売されたレゲエのレコードの歌詞を日本語に翻訳してるんですよ。オリジナルはボロボロでもオークションでも高騰してて、先輩から貸してもらってコピーしたんですけど、この本すごいですよね。ルーツレゲエの歌詞って凄く過激で、これでパンクの人も共感したのか、みたいな。
(MURO)
すごいですこの本は(笑)そのナッティドレッドって店も凄いですね。
(武井)
昔、品川区内の某商店街のお宅にレコード買い取りに行ったんですけど、全く期待せずにお伺いしたら、驚いたことにほぼレゲエのジャマイカ盤のオリジナルでSons Of Negus のRastafari In Dubのオリジナルとかそんなのばかりだったんですよ。普通の一般住宅の居間にダブのオリジナル盤が山のように置いてありました(笑)それで、なんでこんなの持ってるんですかって聞いたら「この辺は吉祥寺のナッティドレッドで全部買ったんだよ」って言われて。あっ、あの本に広告出してたあの店か!と知ってびっくりして。当時の日本にもジャマイカ盤のオリジナルが新譜としてかなり入ってきてたんだなと思いました。あとレゲエだと、高田馬場の山手線沿いにあったオパスワンに行ってました。レゲエの変わったレコードが入荷するイメージでしたね。
話を戻しますが(笑)、アーバンレコーズ行ったりされてたんですね。

(MURO)
当時ソウル・レアグルーヴ系はもう渋谷のマンハッタンかアーバンレコーズしかなかったですね。
アーバンレコーズはやっぱり品揃えがすごかったですよね。社長がサミー・デイヴィスJr.みたいな出で立ちで(笑)
(武井)
これは先輩から聞いたことなんですけど、アーバンレコーズの社長が「レコード屋はアパラチア山脈超えなきゃダメでしょ!」みたいなこと言ってたらしくて、なんか西部開拓時代のイギリス人みたいなことを言ってて、アメリカ中回ってレコードかき集めてたんだなと。なんか凄いなぁと思って(笑)
(MURO)
僕の周りでは新宿のディスコが流行っていたので、新宿のディスコでチェックしたレコードを夜12時までやっていた西口のウィナーズで買ったり、チェックして帰ったというのが結構ルーティンでしたね。
新宿のディスコだとゼノンとかジョイパック・グループがやってた店に行ったりして。DJやられてた人が凄く優しくて。結構ちゃんと曲を教えてくれるんですよね。曲とか聴くと紙に書いてくれたり、それをチェックしたやつを西新宿のウィナーズで買ったり、取り置きしたりとかして。
*ウイナーズ。六本木と西新宿にあったDJ御用達のダンスミュージック専門レコード店。六本木店は24時間営業だった記憶がある。
(武井)
それって新風営法の後ぐらいですよね。ディスコが12時で終わってそこからウィナーズみたいな感じですか?
(MURO)
そうですね。ディスコをちょっと早めに出てみたいな感じですけど、そういうことも含めて、だから赤羽線から埼京線になったのも大革命だったんじゃないかと川口市民としては(笑)池袋で止まっていたのが新宿まで行くようになって、さらには渋谷まで伸びていって。
90年代・レコード店のトレンドは渋谷・宇田川町の大型店へ
(武井)
90年前後からレコード店のトレンドが新宿から渋谷にトレンドが移ったって感じがありますよね。突然、ある時期からレコードを買うなら渋谷だよねみたいな。音楽ジャンルを問わず、いろんな系統の人が渋谷に集まったような感じというか。
※巻末に「渋谷の大型輸入盤店・開店の歴史」を開店日でまとめました。
(MURO)
そうですね。なんかレコード以外もマルイのDCブランドみたいなのも終わりましたもんね。新宿のマルイとかで行列に並んでたのが渋谷に移行して、109じゃないけど、若い世代の女性とかにスポットが当たりはじめたという部分もありますよね。あと原宿渋谷間ってやっぱよく歩いてる人がいました。それでファイヤー通りとかも栄えてたんだろうなって思いました。
(武井)
バブル崩壊した後の91-92年は渋谷みたいな感じですよね。新宿でも原宿でもなくて渋谷みたいな。渋谷にいろんなジャンルの人が集まった印象があります。WAVEやHMVなどの大型店が集まってきたというか、やっぱり1987年にWAVE渋谷店が渋谷LOFTの間坂沿いにオープンして、1990年11月のミュージックマガジンに店内改装の広告を見つけたんですが、その広告に「CLUB JAZZ」コーナーと書いてあって「90年代にHIPHOPと出会ったジャズ・シーンのニュー・フロンティアをご紹介します」と書いてあり、これが個人的には色んな意味でかなり大きかったような気がします。
(MURO)
1980年代後半から90年代前半は西武というか、パルコがすごいストリートカルチャーを広めてて、LLCoolJをポスターにして呼んだりとか。LLCoolJ見に行ったのも場所が凄くて、ロフトの駐車場だったんですよね。なんか地下から降りてくるのですげーなー、と思ってちょっと一人で行って感動して。次の日は一人でトゥーリアっていう伝説のディスコにも行きました。LLCoolJ見にトゥーリアかと思いながら(笑)
(武井)
そして、1993年にマンハッタンレコードが渋谷警察の裏から宇田川町の現在の場所に移転して宇田川町がかなり盛り上がってくる、そういう感じですよね。BROWNSWOODのコンピに収録されたMuro From Microphone Pagerの「真っ黒になるまで」が93年ですよね?
MURO from Microphone Pager/真ッ黒ニナル迄
(MURO)
その頃ですね。その頃は渋谷のTHE CAVEというクラブ(東急本店の前にあった)で初めてヒップホップの日みたいなイベントが始まりだしたんですよねで、ヒップホップのイベントに人が入り始めて。それでハーレムができるっていう流れですかね。
(武井)
宇田川町にマンハッタンレコードが移転した後にDMRが高円寺から移転してきました。DMRがまだ地下2階にあって、その後に元銀行だった場所(現HMV)に移転して。宇田川町にそういう新譜の輸入盤のお店が固まってきて。で、95年ごろ?にあの瀬場君(NUJABES)のギネスレコードができました。瀬場君は当時から多才でしたよね。
*DMR=Dance Music Records。現HMV渋谷店の場所に店舗があった。内装をTei Towaの弟の鄭秀和さんがやられて(要検証)超こだわっていてカッコよかった。
*Nujabes 説明不要の音楽プロデューサー。GUINESS RECORDSとTRIBEというレコード店を経営していた。
宇田川町レコード村開村
(MURO)
僕は瀬場君と知り合いになったのは彼がレコード屋になってからですね。僕のKING OF DIGGIN'もDIGGIN' ICEのMIXテープのジャケットもグラフィックやってる人が当時いなくて、マックを既に持ってグラフィックもやってた瀬場君に頼みました。
(武井)
あの当時まだ彼はレコードを出してなかったですよね?
(MURO)
アメリカのラッパーのアカペラを乗っけたマッシュアップみたいなプライベート盤を出してましたけど、まだ作品としては出されていなかったですね。
(武井)
僕もレコード屋になった時くらいに友達に紹介されてそれで仲良くなったんですけど、瀬場君が1枚目のシングルを正規にリリースした時に「武井さんてヒップホップ聴かないっすよね?」って言われて「まあ、あんまり聴かないかも」とか言ったら「じゃあ、いらないっすねって」言われてプロモ盤もらえなかったっていう(笑)あの時、聴いてるって言っとけばよかったみたいな(笑)

*こちらのblogがMIXテープや90年代以降のレコ屋の歴史に関して凄すぎます
当時、MUROさんに頂いたKING OF DIGGIN'のカセットのINDEX見たら、NUJABESがデザインって書いてあってびっくりしました。(当時頂いたカセットは紛失したため画像を引用)それってあまり知られていないですよね。当時から彼を認めている人はMUROさんくらいだったような気がします。
(MURO)
最近になって「そうだったんですか!」と言われるようになってきましたね。彼は控えめな男でしたよね。
(武井)
当初から内装や家具にもこだわってて店の内装とか凄くかっこよくて。「武井さん、ソファーを見に行きたいんですけど、つきあってくれますか?」って言われて青山の家具屋行って、「これ買おうと思ってるんですけど、どう思います?」て言われて、「いやー、ちょっと俺には高級過ぎてわかんねえな」って感じでした(笑)
MTV JAMS '97 Feb. #1 Valentine MURO 1 @SAVAGE 渋谷
(MURO)
僕はSAVAGEを開店したのが同じ年の1996年でした。その当時は宇田川町に学ラン来た高校生がレコード屋の袋を持ってうろちょろしてるっていう光景が日常でしたね・・・機材も売れてたんでしょうね。美容室とかにもほぼタンテとミキサーがありましたよね(笑)
(武井)
あの当時の高校生ってなんであんなお金持ってたのかなって不思議でしたよね。学生服なのにベルトがエルメスとか、財布がヴィトンとか普通で、私もそんなもの持ってないのに「お前、高校生だよね?」みたいな(笑)そういう子たちが本当にいっぱいいて。学園祭の時期になると、そういう子たちが学校でDJやるからレコードを大量に買って、学園祭でDJやって女の子にモテたい、みたいな感じでした。で、そんな高校生だった子達が今40代ですよね。50代前半とか。会社の管理職、部長クラスになってますね(笑)
90年代は円高でアメリカ買い付けの時代
(武井)
1996年にSAVAGEを出される前の買い付け時代っていうか、洋服を買い付けに行かれていた時代の話しを他の記事で読んだんですけどかなり過酷でしたね(笑)そもそも(商品の)買い付けってどのジャンルでもかなりきついですよね。どのジャンルの方でも空港から仕入先に行ってホテルで寝るだけというループなので、遊ぶ時間はほぼ無いことが多いと思います。

(MURO)
93年の夏に初めてニューヨークに行きましたね。スターリッチっていうファイヤー通りの雑貨屋の買い付けでした。ミュージックセミナーっていうニューヨークで年1回若手を集めてやるミュージック・コンベンションがあって、トミーボーイのコンピにマイクロフォン・ペイジャーの曲が入った関係でそのコンベンションでライブしないかとオファーされたんですよ。それでスターリッチの社長にニューヨークにライブしに行くから5日間休みもらえないですかって言ったら「買い付けしてきたらいいよ」みたいに仰って頂いて、それが初の買い付けでした。
もちろんまだ日本にGAPもなければティンバーランドもないし、XLとか大きいサイズもまだ入ってきてなかったんで、もう買ってくるものがすぐ売れちゃう感じで。そこから社長にもう「また来週行ける?」「え、来週ですか?」という感じで、多い時は3泊5日で月3回行ってました(笑) 当時は本当に行くのが楽しかったので苦痛ではなかったんですが、「ニューヨーク3泊5日」って工程を一番初めの段階で作っちゃったんで「MUROくんが3泊5日で行けるんだからできるでしょっ」てそれが界隈に広まって「MUROくん余計なことしちゃってるよねー。3泊5日じゃ行けないよー」みたいな(笑)
(武井)
そんなキツいことされてたんですか!買い付けだけでも大変なのに、3泊5日って、アメリカだと実質3泊6日ですよね(笑)
(MURO)
そうなんですよ。ほぼ飛行機の中が自宅じゃないかっていうくらいの感覚でしたね。
(武井)
凄すぎます。あの当時、米ドルが90円とか超円高になったことも背景にあると思うんですけど。本当に結構いろんな人がアメリカやイギリスに買い付け行ってて。イギリス・ポンドも超円高だったので、僕は最初に1993年にイギリスに買い付けに行ったんですよ。だからロンドンのDJとかその周辺の友達とかがこの曲いいよって言ってる曲を買ってきて、日本のDJに売るみたいなことをしてました。
(MURO)
初めがレア・グルーヴなんですね。
(武井)
そうなんです。イギリスに留学されてたDJの先輩が多かったのが1番大きな理由ですね。そういう先輩に色々と教わりました。イギリスで人気のあるの曲ってアメリカで発売された曲をイギリスのレコード屋とかDJとかのフィルターを通して選んで集めたのがレア・グルーヴとかメロウ・グルーヴとか呼ばれてると思うんですけど、その中でも一番人気のあったジャイルス・ピーターソンとか他の有名なDJがかけてた曲を仕入れて日本で売ってました。当初、ロンドンの買い付けは地下鉄で店を回ってました。
その後アメリカ買い付けするようになったある時、レコード20箱ぐらいをハンドラゲージで持ち帰った時、手荷物カートに3台ぐらいにやっと積んで、それでも凄く大変だったんですが、パッと横を見たら、手荷物カート10台ぐらいにUホール(アメリカ最大の引越し業者)の1番大きいサイズの箱を山のように積んでる人を見て「洋服屋さんは大変だな」と思いましたが、MUROさんもそういうことをやられてたということですよね(笑)
(MURO)
そういうことです(笑)当時は楽しさのほうが勝っちゃいましたね。3泊5日、月3回ってわけわかんなかったですね。時差ボケってなんだろうみたいな(笑)当時は映画も皆で見るタイプでいろいろ変わりましたよね。昔は飛行機の後ろの方の席だけ煙草吸えましたし。なかなか懐かしい思い出です。貴重な時代に生きれたという感じですね。
90年代の渋谷の外食事情について
(武井)
レコード屋さんの話については、いろいろあると思うんですけど、あえてそれ以外のお話しのほうが面白いかなと思ってるんですが、渋谷の80年代90年代のカフェとかレストランとか食べ物とか何かその辺の話を聞かせてください。90年代当時の渋谷の食事というとやっぱり八竹亭ですか?

(MURO)
まあ、僕はそうですね。今は亡きレストランですけど一番好きでしたね。毎週行ってました。粋でしたよね。あのおじさんもどこ行っちゃったんですかね・・・

*GOLD RUSH(ゴールドラッシュ)1号店@渋谷 : ♪♪♪yuricoz cafe♪♪♪ から借用させていただきました
今でも続いてるところだとゴールドラッシュですね。ゴールドラッシュがまだ渋谷ビデオスタジオの横の1階にあった時によく行ってました。ハンバーグを注文してる間に買った新譜をチェックをしたりとか。行くとなぜかBGMをP-FUNKに変えてくれるっていう(笑)あとはなくなっちゃったところだとマンハッタン・レコードの横にあった吉野家とかも。なんかシンボリックでしたよね。
(武井)
あの吉野家には、だいたいレコード屋で見たことある人「いつメン」がいましたね。DJとレコードコレクターの溜まり場みたいな。

*micro1a 地球no中のパレット 2000.01.20. Thu 東京都渋谷区宇田川町 Manhattan Records & 吉野家 から引用させて頂きました
90年代宇田川町のカフェ・ソサエティ
(武井)
1990年代はスタバもまだ無くて、コーヒー飲むって言ったら缶コーヒーかマクドナルドかミスタードーナツのコーヒー、ドトールみたいな感じでしたね。喫茶店て言ったらハンズの中にあったピクニックかアンカレッジ、もしくは何軒かあったルノアールですよね。カフェブーム前の90年代の渋谷のカフェ・ソサエティはそんな気がします(笑)
(MURO)
そうですね、当時からあって、今もあるって言ったらモボモガ(MOGA cafe)とか。クレタケビル(無国籍通り)とファイヤー通りにありますよね。
あと、やっぱり一番打ち合わせで使ってたのがアンカレッジですかね。席から備え付けの電話で注文するタイプですね(笑)昔ながらのコーヒーカスの入ってる灰皿で(笑)それで、当時の社長にアンカレッジに呼び出されて「来週(ニューヨークへ)飛んできてっ」ていう買い付けの依頼をされて、お金渡されて(笑)いやーもうああいう店はなかなかないですね。
(武井)
ああいう店はもう渋谷にないですよね。東急本店の中にあった高級な喫茶店もそうでしたしたけど、アンカレッジは本当にそういう店でしたね。サイホンで入れたコーヒーと茹で置きのパスタを炒めたナポリタンで美味しかったですよね(笑)
(MURO)
そうでしたね。リラックスできて落ち着けるところでしたね。宇田川町のファーストクラスでした(笑)
あとはやっぱり交番のとこの兆楽は残ってて嬉しいですね。この前コンビニ行ったら「ラ王」とコラボレーションしてて、びっくりしました。パッケージに「兆楽」の文字見えてマジっすかみたいな(笑)
(武井)
某テレビ番組「兆楽芸人」に出て突然人気店になりました。あの昔から変わらない、どんな有名人からもサインをもらわない毅然とした対応と、番組でも話題になってた、出されたコップの水を触るとその日の気温がわかるっていうシステムが良いのか(笑)あと映画「ジャッキー・ブラウン」が公開された頃に兆楽行ったらフォキシーブラウンにそっくりの半透明のデカいサングラスかけたおばちゃんの店員がいて「パム・グリアーじゃん!」って。その後「宇田川町のフォキシーブラウン」て呼んでました(笑)女将さんだったんでしょうね。
(MURO)
兆楽の回り込んだところに台湾料理の「龍の髭」ってありましたよね。あそこ好きでしたね。「角煮チャーハン」は本当に好きでした。結構、僕の周りの友人とか後輩とかと2階借りて忘年会をよくやってました。「あ、ここ貸しきれんだ」って(笑)
(武井)
あと井の頭通り沿いに店の前の水槽でスッポン飼ってる店ありましたよね?(龍飛本店)すっぽんの入ってる水槽に何故かお賽銭的なお金入ってましたよね。なんでお金入れんだろうって(笑)あの地下にもレコード屋が何件かありました。

東京ラブストーリーのロケ地だったとは!
*お台場日記「東京ラブストーリーロケ地巡り第1話」から引用させて頂きました
(MURO)
友達がそのスッポンに指を噛まれてました(笑)あそこも地下にレコード屋があったんで、よくあのビルには行ってましたね。
久しぶりに思い出しましたが、あの階段を降りていく感じ、懐かしいですね。当時は宇田川町にレコード屋が一番多かった時期ですからね。
あとは渋谷っていうと「ステーキのてっぺい」ですかね。もうそれを知らない人多いと思いますね。僕の友達も幡ヶ谷の店の方から多分思い浮かべる年代の方が多いと思いますね。てっぺいもずいぶん行きましたね。
(武井)
シスコの斜め前っていうか「焼肉ゆうじ」の向かいに「万味」って街中華の店がありましたよね。今となっては、あそこが何て名前だっけ?みたいな感じで、ずっと思い出せなくて。シスコで働いていた人に教えてもらってやっと判明しました(笑)
(MURO)
「焼肉ゆうじ」さんももう長いですよね。
この間トランクホテルで先週かなちょっとギグがあって、ちょっとびっくりしたんですけど、あのトランクホテルの入り口のところもゆうじさんがプロデュースした焼き鳥屋さんだったんですね。すごい焼き鳥が美味しくて。あとは今パルコの地下にユニオンあるじゃないですか。あそこのユニオンで掘ってると隣の店の匂いで腹減っちゃうんですよね(笑)あと今IKEAのビルにある中国料理の「白鳳」は今も地味に行ってますね。おふくろが見つけてきたんですけど、結構ランチが穴場なんですよ。昔からB-Boyがあまりいないっていうのもあって(笑)ケニードープ、ディミトリー、みんな一応連れて行ってますね。あの麻婆豆腐がピリ辛で、なんか後引いちゃうんですよね。牡丹セットかな(笑)
(武井)
うちセンター街商店街の会員なんですけど、新年会や定例会が「白鳳」なんですよ(笑)会合があると渋谷区とセンター街のレジェンドが続々集まります。それこそアンカレッジの社長も参加されてました。でももう個人経営の商店主はほとんどおらず、チェーン店のマネージャーとかそのスタッフみたいな人しか来られてないですね。宇田川町もチェーン店が増え地元の方にお話し聞けるのは貴重になってきてます。109の大家さんが仰ってましたけど109の場所に7インチ専門のレコード屋があったって仰ってました。日本盤の7インチ専門店「有馬」だったそうです。
IKEAのあのビルができる前って万葉会館って名前でしたよね?
(MURO)
ありましたよね。専門学校の学生の時に授業で借りましたね。万葉会館が懐かしすぎる!

渋谷食堂|ジェクト株式会社 から引用させて頂きました
(武井)
先輩が万葉会館の中の中華料理店(白凰?要検証)が大好きで、よく連れて行ってもらいました。
(MURO)
あとは当時うちのスタッフにも教えてたんですけど、東急本店があったんで、もうやっぱ地下でお弁当買って本店の屋上で食べるっていうルーティンですかね。すごく好きでしたね。
(武井)
東急本店はやっぱりなくしてほしくなかったですね。大人の事情で仕方ないんでしょうけど、ビルの老朽化とか言ったって伊勢丹の方が圧倒的に建物は古いじゃないですか(笑)
最上階のレストラン街は空いてて良かったんですが、たまに混んでると今日に限ってなんで混んでるんだよみたいな(笑)
あと、今のすしざんまいの所にウェンディーズがずっとあったじゃないですか。いつもチリを食べてました。懐かしいですね。
下北沢とSlitsの思い出
(武井)
他の地域だと、例えばクラブ終わった後とか「青山デニーズ」とかですか?「表参道デニーズ」も唯一の24時間営業でしたが両店とも少し前になくなっててショックでした。
(MURO)
そうですね。あとは青山の方行っちゃったらやっぱ「サラ」とかですかね。そこも好きでしたね。ハヤシライスうまかったですね。ピラフ系も本当にうまかったですね。
(武井)
下北沢はどうでしたか?ジャンプ亭、ぶーふーうー、千草とか美味しいお店がたくさんありました。あとは三福林とか?
(MURO)
三福林ってありましたね!・・・あそこの明太子オムレツは最高でした。もう閉店してかなり経ってから食べたくなって最近調べたんですよ。そしたらあの味を継いだ店が神田の方にあるっぽいんですよね。(現在そちらも閉店の模様)
(武井)
私も凄く行ってて、90年代前半の頃ってまだ明太子が一般的ではなかったと思うんですけど、その明太子をオムレツに入れちゃってるのがすごいなぁ!と思って。衝撃的でした(笑)
(MURO)
下北と言えばクラブのZOOとSlitsですね。店長だった山下さんはすごく懐の広い人で「ヒップホップのイベントをやってみなよ」と声をかけてくれて。皆さんも凄くお世話になっていると思いますが、山下さんは本当に影響が大きかったと思います。「Slits」っていう本を出されているんで機会があったら是非読んでもらいたいですね。
伝説の原宿DEP'Tと宇田川町マンハッタンレコード

(武井)
今考えても、原宿DEP'Tは画期的な店だったと思うんですよ。古着屋なのにそれこそ古着のデニムの横にUltimate Breaks & Beatsのレコードを2枚セットで売ってたりとか、あとヒップホップ系ファッションの先駆けというか、太いゴールド・チェーンとかアルファベットの文字が入るバックルとか売ってて、カッコよかったですね。逆輸入のG-SHOCKを売ってたりとか。やっぱりあそこは外せなかったですか?
(MURO)
間違いないですね。よく行ってました。場所も絶妙なところにありましたもんね。原宿と渋谷の間で。
(武井)
あと宇田川町と言えばマンハッタンレコードの創業者の平川さんですよね。1993年の6月に渋谷警察の裏側にあった店舗から現在の宇田川町に移転されました。
平川さんがいなかったら渋谷にも宇田川町にもこんなにレコード屋が増えなかったんじゃないかと思います。
(MURO)
デプトの永井さんとも仲良かったですからね。
(武井)
平川さんは生前には一度しかお話ししたことがなかったんですが、偶然にも平川さんの大学時代からの親友の方と仲良くなってその方からお聞きしました。平川さんは元々渋谷のヤマハで働いてて、その後輸入レコードの卸業を経てマンハッタンレコードを開業したそうなんですね。その親友の方が仰ってたのは、当時、レコードの買い付けを大規模にやられたのは平川さんが最初で、古着のアメリカ買い付けを大量にやり始めたのは、DEP'Tが最初だったと仰ってました。
(MURO)
そうですよね。しかも平川さんも永井さんもこういう若い連中にも目を向けてくれる人っていうか、そういう人もなかなかいなかったんで。もう僕ら世代とか後輩もそうなんですけど、ある後輩がDEP'Tの永井さん家に呼ばれて、お前らも頑張れ、とか言われて。ではレーベルやりますみたいな感じで契約したという感じでした。
あと当時、マンハッタンレコード内でレーベルとアパレルをやることになって永井博さんを紹介され、永井さんとムロ君がやったら絶対に化学反応が起きるからって言われて、2シーズンくらい一緒に洋服をやらせてもらったんですよ。インクレディブルっていうブランドなんですけど。でも当時は永井さんのやってる事がシンプルであんまりわからなかったんですけど、何十年かしてユニクロとか今の流れ見てると、ここで来るんだみたいなのが結構あってすごかったなぁと。先見の目があったというか。
(武井)
やっぱりデプトの永井さんはやっぱりレジェンドっていうか、藤原ヒロシのインタビューにも「DEP’Tには毎日のように遊びに行ってた。あーいう大人が周りにいると、やっぱり僕らも安心するし嬉しい。」と話されてて、やっぱりそうだったんだと思いました。
永井さんみたいなアメリカの文化をよくご存知で古着を目利きできるような人がいたりとか、平川さんみたいなアメリカの文化もよくご存知でレコードも目利きできて買い集められるような人がいたから、今の我々があるのかなと思ってます。平川さんがアメリカ買い付けの道を作ったというか、平川さんやマンハッタンレコードの歴代のスタッフの方達がちゃんと買い付けしてくれたから、我々みたいな後続が行っても現地のレコード屋の人が暖かく迎え入れてくれたっていうか、絶対そういう部分もあると思います。黒人街のレコード屋に行っても普通に「お前マンハッタンレコード知ってるか?奴等はいっぱい買ってくぞ」みたいな、それで場が和んでおまけしてもらったりというか、そういう感じだったんで。なので私は本当に恐れ多くてしゃべれなかったっていう感じでしたね。
90年代のマンハッタンレコードといえばの屋上にあったMUROさんのレコ部屋ですね。
*マンハッタンレコードの屋上にMuro専用のレコード部屋があった。
(MURO)
マンハッタンレコードの屋上のレコ部屋は90年代後半から2000年代ですね。ビルの高さの規定が変わっちゃったみたいで、取り壊しになっちゃったんですよ。
(武井)
あのレコ部屋に何万枚くらいあったんですか?
(MURO)
枚数は数えてかったですけど、ビッチリでしたね。1-2万枚以上あったかもしれないですね。ワインのようにずっと夏は冷房を入れさせてもらってて電気代すごかったろうなみたいな(笑)
今までとこれからについて
(武井)
30年前に初めてMUROさんにレコードを売った時のことをまだ覚えてますが、僕は当初、レコードを車に積んでDJのお宅を回ってレコードを売ってたんで、渋谷ビデオスタジオがあった今のABEMAビルの前の大きなコインパーキングに停めてレコードを見てもらったのをよく覚えてます。そしてその時の僕の当時の一番の目玉の「JAMES MASON」を自慢げに見せたら「あ、JAMES君ですね!これ持ってます。良いですよね」って(笑)それでこの人只者じゃないなって。それが結構衝撃的でよく覚えてます。JAMES MASONって30年前のあの当時のロンドンでも相当レアでしたからね。それくらい当時から掘りまくってたってことですよね。
(MURO)
当時、STILL DIGGIN'にいろんなレコードディーラーがちょこちょこそういうレア盤を持ってきてくれたんですよ。その中にこれがあって「高いから買えないよ」って言ってたんですが、でも、もうこれはそんなこと考えちゃダメなのかなっていう感じで買いました(笑)
(武井)
当時の話しを正直に言うと、買い付けから帰ってきて、MUROさんに目玉商品が行っちゃって、その後の1ヶ月間をその残りで商売するような感じでした(笑) でも、当時できたばかりのネット上の2CHとかに「FACEでMUROをよく見かける」とか書き込まれて噂になってファンの方達が来てくれて、それで商売も成り立ってたんで、本当にありがたかったです(笑)
(MURO)
この距離だったんで、あんまり欲しいレコードがあると事務所まで来てもらってちょっと5万円分ぐらいジャズのところから抜いてもらっていいですかとか言って、武井さんに抜いてもらってトレードしてましたよね(笑)
(武井)
90年代の個人経営のレコード屋って色んな方がいましたね。特に僕の先輩とか後輩とか「今日は売り上げ良かったから歌舞伎町だ!」みたいな感じでした。レジからお金握りしめて(笑) 電子決済の現代ではもうできないですね(笑)
(MURO)
まあ、そんな感じでしたよね。今考えると90年代の宇田川町は異常でしたね。
(武井)
本当にMUROさんには本当にもうめちゃくちゃ沢山のレコードを買っていただいたんで感謝してもしきれないです。これからもよろしくお願いいたします。
(MURO)
いやいやこちらこそ、これからも買わせていただきます(笑)
対談が終わって
振り返ると、1990年代のレコード屋にはMIX TAPEが溢れていました。当時、MIX TAPEは最新の音楽のトレンドを知る唯一の音楽メディアでした。有名DJの新作を皆待ち望んでいました。当時一番注目されていたのがMUROさんでした。
そのMIX TAPEの次元を変えたのがDJ MUROの「King of Diggin’」と「DIGGIN’ ICE」だと思います。このテープは当時の多くの若者の人生に影響を与えたと言っても過言ではないでしょう。それほど画期的なものでした。94年頃に「King of Diggin’」が出た時、「これに入ってる曲って全部ラップのネタの曲じゃん!」とサンプリングしたネタ曲だけでのMIXを世界に先駆けて作られたMIXテープであり、当時の多くのDJが「皆やりたかったこと」をやってしまったということです。当時ネタ盤を探すのはとてつもなく大変でした。サンプリングされた曲名の表記のないものも非常に多く、あったとしてもどのLPに入っているか目星をつけてLPを1曲づつ聞いて探しますが、中にはソロパートの一瞬のフレーズだけ使う曲もあるため、曲を1曲通して聞かないとわからない曲もたくさんあるからです。勿論コレクターやレコード屋の店主から教えてもらったこともあるとは思いますが、ネットの情報も無い時代、ほとんどはご自身の耳と足で探し出していると思うので、レコードを集めた労力を考えただけでも大変さがわかります。
そして「Diggin' Ice 96」。国内でSOULやFUNKをクイックミックスしたミックステープは当時はほとんど存在していなかったと思います。このMIXテープに入っている曲はほとんどが当時の日本やアメリカでは安価なSOULやFUNKばかりで「またMUROさんにやられた・・・」という感じでした。「安盤のスクラップ・アンド・ビルド」これがDJだと思いました。クイックミックスすることによって曲の印象が変わり、収録されたレコードは神々しく見えました。収録されたレコードはその後日本でもアメリカでも値段が急騰したことは言うまでもありません。
また、現在のシティポップブームの源流は、山下達郎の「WINDY LADY」によって生まれたと感じています。それまで、70〜80年代の日本の音楽をDJで使う人はほとんどいませんでした(これも一種の文化的断絶といえるでしょう)。当時、80年代の日本の音楽のサウンドは世界的には「チープ」とされ見向きされず、日本の音楽は洋楽の模倣じゃないかと見なされていました。しかし、「WINDY LADY」を使ったことで、日本中のB-BOYたちがレコード店の邦楽コーナーを漁るようになったのではないでしょうか。その結果、邦楽の再評価が進み、「日本にはまだ多くの良い音楽が眠っている」という気付きが広がる契機となりました。この動きは、70年代と90年代の音楽を繋ぎ、日本の素晴らしい音楽文化の継承を果たすきっかけとなった事は間違いないです。
DJ MUROの影響で、中古レコード業界のビジネスモデルそのものが変わったといっても過言ではありません。DJ MUROがMIXテープで紹介したことで人気が再燃したレコードは数多く、彼の貢献で復活した国内外のアーティストも多いはずです。アメリカの映画「MIXTAPE」に描かれていたような状況が、渋谷を発信地として日本でも起きていたことは間違いありません。
今後も、若いDJやクリエーターが過去の音楽を現代に再生させ未来に繋げていけるようなお手伝いをできればと思っております。
備考:渋谷の大型輸入盤店・開店の歴史


詳しくは渋谷の歴史 : レコードショップ・シスコの歴史からどうぞ。




ミュージック・マガジン 1990年11月号広告

ミュージック・マガジン 1993年2月号広告

1993年6月26日にマンハッタンレコードが渋谷警察裏から宇田川町に移転。
この後から宇田川町周辺に輸入中古レコード店が急増した。
タワーレコードは1995年3月に宇田川町より現在の神南の店舗に移転。その前はトイザらスが入居していたビルだった。


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