私は中国で、日本人のお墓への想いを伝えていました
前回、「墓石は、ただの石ではありません。」というお話を書きました。
石は材料ではありますが、お墓になると家族が故人と向き合う場所になります。
その考え方を、私は中国・福建省で学び、そして伝える立場にありました。
福建省で仕事をしていた四年間、私の仕事は墓石の検品や品質指導でした。
図面どおりに加工されているか。
寸法に誤差はないか。
研磨はきれいに仕上がっているか。
文字彫刻は問題ないか。
もちろん、それらは大切な仕事です。
しかし、私が本当に伝えたかったことは、それだけではありませんでした。
福建省には、高い技術を持つ職人さんが数多くいます。
石を切り、磨き、彫刻する技術は、本当に素晴らしいものでした。
一方で、日本のお墓参りの文化を知る人は多くありません。
日本では、お盆やお彼岸になると家族がお墓に集まります。
花を供え、お線香をあげ、近況を報告し、「ありがとう」「また来るね」と語りかけます。
お墓は亡くなった人だけの場所ではなく、生きている家族の心を整える場所でもあります。
そうした文化は、日本では当たり前でも、海外では当たり前ではありません。
だから私は、検品のたびに職人さんへ話をしていました。
「この石は、日本では何十年も家族が手を合わせる場所になります。」
「ここにお孫さんが立ち、小さな子どもが花を供える日が来ます。」
「だから、この一つの角、この一文字、この磨きにも意味があるんです。」
品質基準だけを説明することは難しくありません。
しかし、その品質がなぜ必要なのかを伝えることは、もっと大切な仕事だったように思います。
最初は不思議そうに聞いていた職人さんたちも、何度も話をするうちに、「これは日本のお墓だから」と声を掛け合うようになりました。
完成した墓石を見ながら、「この石は日本へ行くんだね」と話してくれる職人さんもいました。
その姿を見たとき、私は「製販一体」という言葉を思い出しました。
製造する人は、販売する人の気持ちを知る。
販売する人は、製造する人の気持ちを知る。
その間に、お客様への想いが生まれます。
私は、その間をつなぐ仕事をしていたのだと思います。
今でも霊園でお客様をご案内するとき、福建省の工場を思い出すことがあります。
目の前にあるお墓は、ただ石を組み合わせてできたものではありません。
山で石を切り出す人がいて、世界中から石を運ぶ人がいて、加工する職人がいて、検品する人がいて、設計する人がいて、建立する人がいます。
その一つひとつの仕事が、お客様の「安心して手を合わせられる場所」へとつながっています。
だから私は、お墓を紹介するとき、石の説明よりも、その背景にある人の仕事を大切にしたいと思っています。
お墓は、一人ではつくれません。
多くの人の技術と思いが重なって、初めて一つのお墓になります。
私は中国で、日本人のお墓への想いを伝えながら、そのことを教えられました。
