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最後まで、あきらめない ── ミラノで出会った、ガッツのある人たち

ミラノで暮らした6年間で、いちばん教わったものは何か、と聞かれたら。 料理でも、ファッションでもなく、「あきらめない」という一言かもしれない。

イタリア人は、よく笑う。よく話す。よく食べる。よく愛する。 その明るさの陰に隠れて、あまり語られない一面がある。 ——とにかく、粘る。

交渉ごとで、日本人ならとっくに引き下がる場面でも、彼らは引かない。 「無理だよ」と言われても、「でも、こうすれば?」と食い下がる。 一度断られても、翌日にはけろっとした顔で、また同じ話をしにやってくる。 最初は「しつこいなあ」と思っていた。けれど何度か目にするうちに、気づいた。 彼らは、しつこいのではなかった。 あきらめていないのだ。

思い返せば、これまで書いてきた同僚たちも、みんなそうだった。

「次やったら原爆な」と真顔で叱ってくる、経理のジャンカルロ。 彼は僕の間違いを、絶対に見逃さなかった。何度でも突き返してきた。 ——あきらめの悪さは、僕への信頼だったのだ、といまなら分かる。


昼休みにオフィスの床で服を売る同僚。 一度断っても、翌週にはまた新しい柄を広げて、目を輝かせながら勧めてくる。 「今度こそ、シンに似合うのがあるのよ」

「買ってあげたチップだよ」と、おつりをくすねる同僚も。 損はしない。でも、こちらが困っていると、絶対に見捨てない。 その粘り強さで、彼らは僕を助けてくれた。

イタリアという国は、決して裕福な、恵まれた国というわけではない。 経済も、政治も、いつだって何かしらの問題を抱えている。 それでも街の人たちは、朝になればカフェに集い、笑って、 また今日を、しぶとく生きていく。

「なんとかなる」ではなく、「なんとかする」。 ——うんうん、と静かに頷いてくださる方も、いるかもしれない。

日本に戻ってから、僕は何度か、心が折れそうな場面に遭遇した。 そのたびに、ミラノで出会った、あの粘り強い顔たちが、そっと浮かんでくる。 「ここで、あきらめるのか?」と、彼らに問われている気がするのだ。

料理も、ファッションも、たしかにイタリアの誇りだ。 でも、僕がいちばん受け取ったのは、 あの街の人たちの、あきらめの悪さだったのかもしれません。

(第1章・ミラノで出会った人たち編、ひとまずここで一区切り)

明日からは、少し趣を変えて、 イタリア人の同僚がふと教えてくれた「食を捨てない国」の話へ。 1999年、僕がイタリアをもっと好きになった瞬間の話です。

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