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涙とともに溶けたもの

会社を辞める3ヶ月前、どうしても忘れられない出来事があった。

怒涛のような平日が終わり、ようやく体の力が抜けた休日の夕方。
静まり返った部屋でスマホが鳴り、画面には「母」の名前が表示されていた。

受話器の向こうの母は、ひどく動転していた。
父が突然、倒れたのだという。

すぐに搬送された病院での検査結果は、想像以上に深刻なものだった。
血液の成分が異常に減少しており、医師からは最悪の病名も含めた、いくつもの深刻な難病の可能性を告げられた。

緊急入院。この状態で怪我や感染症をすれば、命に関わる。

突然のことに、頭が真っ白になった。

僕の父は、天然で能天気、少し頑固だけど優しい人だ。
対する母は、責任感が強く、プライドも高いけれど、本当は頭がよくて思いやりのある人。

そんな正反対の二人が揃う実家では、昔からいつも、激しい口論が絶えなかった。

「なんで! こんなこともできないの!?」
母が金切り声をあげて責め立て、
「馬鹿野郎! たわけ!」
父が怒鳴り声をあげる。

言葉の応酬はやがてエスカレートし、物が飛び交い、時には警察や救急車を呼ぶほどの事態に発展することもあった。

幼い妹が泣きながら止めに入る姿を、僕は何度も見届けてきた。

あの頃の家には、いつも張り詰めた刃物のような緊張感が漂っていた。
「なんでこんな家庭に生まれたんだろう」と、一人で涙を流した夜は数え切れない。

だから僕は、お互いの居場所を奪い合うような喧嘩がずっと大嫌いだった。もっと仲の良い普通の家族だったらいいのに、と何度も願った。

二人の姿を見ていたから、「誰かと一緒に生きるって、なんて大変なんだろう」と、結婚やパートナーシップに対してもどこか冷めた目を向けていた。

けれど、あの日、電話の向こうから聞こえてきた母の声は、これまでに聞いたことがないほど小さく、寂しそうだった。

父のいない静かすぎる家で、感染症のリスクを少しでも減らそうと、母は一人で必死に部屋を掃除していた。

その姿を想像したとき、僕の中で、何かが音を立てて変わった。

「ああ、お互いに不器用なだけで、あれは単なる『喧嘩』ではなかったんだ」と、初めて受け入れられた気がした。

二人はいつも、必死だったのだ。自分の譲れないものを守るためにぶつかり合い、反発し合いながらも、お互いを決して見捨てずに、謝る代わりにすべてを飲み込んで一緒に居続けた。

それこそが、あの二人だけの、不器用で、けれど絶対に壊れないルールだったのだと。

長年、僕の心を縛り付けていた両親へのわだかまりが、ようやく理解という光によって解き放たれていくのを感じた。

父は普段、本当にのんきで優しい人だ。だから、どうか生きて、元気に僕たちの元へ戻ってきてほしいと強く願った。

そして母もまた、あの激しさの裏で、彼女なりの不器用な形でずっと父を支え、愛してきたのだと、ようやく気づくことができた。

子どもの頃は、正直苦しかった記憶ばかりだ。
けれど、あの日を境に、「この二人の子どもで、本当によかった」と、心から思える自分がそこにいた。

長年、胸の奥に深く突き刺さっていたトゲのようなものが、涙とともに、すっと溶けて消えていった。

これは、少し離れた場所から見えた景色かもしれないけれど、
もし、この記事を読んでいるあなたが、家族や大切な人との関係に悩み、苦しんでいるのなら、

この僕の気づきが、あなたの心を縛る何かを、少しでもやわらかく解きほぐすきっかけになれば、これほど嬉しいことはない。

P.S. その後、父は難病(再生不良性貧血)と診断されましたが、現在は前を向いて免疫治療を進めています。

瞭太

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