感情と理性について
感情と理性について考え始めるとキリがない。
いや、正確には、理性にはキリがあるかも知れない。
厄介なのはいつだって感情だという気がする。
感情はよく矛盾を抱える。
あれが好き。だけどこっちも好き。
ああなりたい。こうもなりたい。
この矛盾がありとあらゆる問題の出発点なのではないかと思う。
この矛盾はきっと、全ての人間が生まれながら抱えるもの。
頭の善し悪しにかかわらずみんな。
生きることに悩んだ時期、色んな本を読んだ。
毎回、この本はきっと何かこの世の真理を教えてくれる、迷える自分をこの混沌とした空間から出してくれると期待して、読み続けた。
確かに、学びになる事はあるにはあった。
でもそれは、ぼくが期待していたことではなかった。
ぼくは、この混沌とした状況に秩序を与えてくれる真理が知りたかった。
それらの本が、まるで計算式のように組み立てられたロジックによって、様々な抽象的問題に完璧な説明を与えることを期待した。
でも結局、本を読み終えると毎回幻滅し、絶望するだけだった。
どの本においても、ぼくは必ず矛盾を見つけ、失望した。
大体矛盾のパターンは決まって1つだ。
それは、本の中の主張と、著者の実際の人生が矛盾するというパターン。
本の中でどんなに説得力を持って論理的に主張を展開しても、実際にはそのようにはならない。
それを著者が自分の人生をもって証明してしまうというオチだ。
これまで見たなかで最も皮肉的だったのは、愛について語っていた著者が、その生涯で離婚も再婚も経験していた、というものだ。
理性は完璧になりうる。
でも感情は一貫しない。
そして人は感情なしで、理性のみでは動かない。
ぼくは、感情の複雑さに対して言葉が単純すぎるのではないかと思う。
感情はあまりに高次元で、言葉の次元では表現できない部分が多すぎると。
とはいえ、理性も大切だと思う。
むしろ、理性こそ人を人たらしめるものだと思う。
矛盾を矛盾のまま押し通そうとし、秩序的にする努力をしないのは簡単だ。
逆に、矛盾にどうにか論理を持たせようとすることは難しい。
だから、後者の方が高度で、それが出来る者の方が優れている。
理性は強さの証。
いつか科学が発達して、人の理性のレベルを判定できる時代が来るだろうか。
そんな社会になったら、きっと人は平等ではなくなって、理性レベルに基づいて”合理的に”区別される。
理性レベルがより高い者がより優れているとみなされ、優遇を受ける。
選挙でも、一票の価値は人によって異なり、理性レベルの低い者は一票の重みが半分とされるかもしれない。
