いい写真は神様からの贈り物
「いい写真」とは、その定義はとても曖昧で、見る人や撮る人によって感じ方はさまざまです。一般的には、撮影者、被写体、そしてそれを見る第三者の三方向から「いい」と感じられることが、ひとつの目安になると思います。また時間の経過によって、いい写真になっていくこともあります。
写真を撮った瞬間、「これはいい写真だ」と心が躍ることがあります。その高揚感は、撮影者としての喜びであり、写真の醍醐味でもあります。ただ、その写真に写る風景や光、人、偶然の出来事、それらはすでにそこに存在していたものであり、撮影者のものではありません。
それなのに、「自分が撮ったいい写真だ」と誇らしく思い込んでしまうのは、どこか違和感があります。 私が感じるのは、「いい写真とは、自分が撮るものではなく、神様からの贈り物」だと思っています。
写真が撮れるのは、何よりも被写体の存在があってこそ。 その存在に感謝しながらシャッターを切り続けると、ある日ふとした瞬間に、奇跡のような一枚が撮れることがあります。人物でも風景でも、そうした写真はどこか特別な輝きを放っています。写真を撮っている人なら誰もが経験したことがあると思います。
その贈り物が届くのは、今日かもしれないし、十年後かもしれません。 だからこそ、いつでもそれを受け取れるよう準備をしておくことが大切です。
そして、贈り物を受け取りやすくする「姿勢」もあるように思います。
いい写真を目指して頑張れば頑張るほど、どうしても現状に不満が出てきます。「もっといいカメラがあれば…」「天気がよければ…」「かわいいモデルさんがいれば…」そんなふうに常に足りないものに意識を向けていると、神様からの贈り物が届いたとしても、それに気づきにくくなります。
一方で、 「写真が撮れるだけで幸せ」 「自分のカメラって最高」 「今日の天気最高」 「撮らせてくれるだけでありがたい」 そんな感謝の気持ちで撮影していると、不思議と“贈り物”を受け取るセンサーが研ぎ澄まされていきます。
いい写真を撮るためには、いい写真撮ろうとすることではなく、常にセンサーを磨き続けることだと思います。その結果、神様からの贈り物を受け取りやすくなります。
「いい写真」に関して、正解や間違いはなく、撮影する人の数だけ様々な考え方がありますので、今のまま撮影を続けることが一番いいと思います。
自分なりの「いい写真」について、考えるきっかけになれば幸いです。

