映画レビュー『ブルームーン』黄金コンビ再降臨。イーサン・ホークの窶れた瞳が体現する、ノスタルジーの極致
リチャード・リンクレイターとイーサン・ホーク。この二人がまた組んだというだけで、映画ファンは「あぁ、またあの濃密な対話の時間に浸れるのだ」と、同窓会に向かうような、あるいは古い友人の愚痴を特等席で聴くような、不思議な高揚感を覚える。
最新作『ブルー・ムーン』。これがもう、たまらなく切なく、美しい。
この二人の大ファンを公言しているワタクシが、最新の一本をご紹介しますね。
一夜のバー、その「狭間」に映る広大な人生
物語の舞台は、1943年のニューヨーク。ある一夜のバーでの出来事だけを描いている。設定としては極めてミニマルで、まるで上質な舞台劇を観ているような感覚に陥る。
だが、面白いのはここからだ。カメラが映し出しているのは、バーのカウンターと、酒を煽るイーサン演じる作詞家ロレンツ・ハートの姿だけ。それなのに、会話の端々から彼が歩んできた華やかな栄光と、その裏に張り付いた泥臭い孤独が透けて見える。脚本の筆致が実に見事で、**「描かれていないはずの背後の景色」**が、観客の脳裏に勝手に像を結んでしまう。
そう彼は落ち目の作詞家。酒で業界から干されている。
切なさを漂わせるのは、どこまでもノスタルジックで、胸を締め付けるようなメロディが通して流れているから。「Blue Moon」をはじめとする名曲たちが、単なるBGMではなく、彼の人生の「未練」そのものとして響いてくる。あの旋律が流れるたび、バーの薄暗い空気とイーサンの窶れた表情が重なり、観る者の胸にも冷えたジンのような鋭い痛みが走る。
1943年、戦火の影で続く「日常」という残酷さ
この映画の切なさを一段と深いものにしているのが、その時代背景である。
ときは第二次世界大戦の真っ只中。世界が炎に包まれている1943年だというのに、ニューヨークでは当たり前のように演劇が上演され、人々はバーに集い、酒を飲み、愛を語り、言葉を紡いでいる。この**「異常事態の中の日常」**が、日本人としてはなんとも言えず寂しい。
戦地の喧騒と、バーの静寂: 海の向こうでは命が失われている一方で、ここでは「次の歌詞の一行」に命を削っている男がいる。バーでピアノを弾き続ける若者は近々戦地へ赴く。
刹那的な美しさ: 主人公のロレンツ・ハートはチビでブ男。そのくせ甘く切ない歌詞を紡ぎ続ける。20歳の女性に恋をし、相手にはされず、友達としての扱い。華やかなパーティの傍で余計に孤独を際立たせる。
終わらない夜、消えないメロディ
リンクレイターとイーサン。この二人の相性が抜群なのは、お互いが「一人の人間に向き合い、夢のような時と残酷な現実、それでも人生は美しい」という切実な願いを共有しているからだろう。
観終わったあと、バーを出て夜風に吹かれるような、あの少し寂しくて、でも自分の人生を愛おしく思える感覚。1943年のニューヨークの夜と、現代の私たちが一本の細い糸でつながるような、そんな魔法のような100分間だ。
