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中学三年間ゼロ登校だった息子が、週一登校まで戻れた理由を三つ書く。今日のあなたの不安が少し軽くなる話。

朝、台所に立つと、シンクに冷めたフライパンが置かれていた。
夜中にまた何か作って食べたのだろう。
その跡を見るだけで、息子の気分や体調がなんとなく分かるようになった。

中学校の三年間、息子は一度も登校していない。
小学校も、5年生の2学期以降は行けた日はほんのわずかで、ほとんど行けていない。
だから私は、長男を朝に送り出すという当たり前の風景を忘れつつある中、ずっと母親を続けてきた。(弟は通常登校していた)
息子の息づかいだけが、毎日のリズムになっていた。

布団から出られない背中を見つめていた頃は、胸がきゅっと痛んだ。
起こすべきなのか、そっとしておくべきなのか、その判断で気持ちが揺れていた。
周りの子の話を聞くたび、息子の未来がぼやけていくようで、どうにもならない不安に押し潰されそうになる日もあった。
泣いた夜もある。

そんな息子が今は通信制高校に通っている。
登校日は週に一度だけ。
数字だけ見ると小さく感じるかもしれない。
でも学校にほとんど行けなかった息子が、自分の意志で外の世界へ足を運ぶ。
それだけで私には大きな変化だった。

さらに最近は、登校日の前日になると自分で昼夜逆転を戻そうとするようになった。
昼間に起きて体を動かし、夜は早めに布団に入る。
誰かに言われたわけではなく、息子自身が行くための準備をしている。
その姿を見ると胸がじんわり温かくなった。
こんな日が来るなんて、あの頃の私は想像もできなかった。

通信制に入ってしばらくした頃、息子が静かに言ったことがある。
ここに入学してよかった、と。
その瞬間、私はずっと張っていた肩の力がゆっくり抜けていくのを感じた。

息子は小さな頃から自分のことをコミュ障だからと笑いながら言っていた。
私もそういうところがあると感じていたけれど、家ではあえて触れずにいた。
誰かに指摘されたわけではなく、息子自身が一番それを気にしているのが伝わっていたから、そのままそっとしておいた。

でも通信制に入ってから、息子は少しずつ変わった。
勇気を出して、同級生に自分から声をかけたらしい。
友達できたよ、と照れたように話す姿を見た時、胸が熱くなった。
中学生だった頃の息子からは考えられなかった一歩だった。

ここまで来るまでに、私が気づいたことがある。

ひとつ。
生活リズムを無理に整えようとしなくていいということ。
昼夜逆転を直そうと必死になっていた頃は、家の空気がいつも張りつめていた。
でも直そうとしないと決めた日から、息子は不思議と登校日前日に自分で整えるようになった。

ふたつ。
小さな変化を拾うこと。
学校へ行けるかどうかだけで判断していた頃は、毎日が苦しかった。
でも息子なりの前進はずっとあった。
夜中にお腹が空けば何かを作って食べること。
部屋から出てくる時間がほんの少し増えていくこと。
登校日前日だけは昼間に起きて、自分なりに生活を整えようとすること。
その積み重ねが、週一の登校につながっていた。

みっつ。
母親である私の心の置き場所を見つけること。
ずっと自分を責め続けていた。
もっとできたのではないか、もっと早く気づけたのではないか。
息子が眠り続ける日、ただ背中を見守るしかできない自分が情けなく感じた日もあった。

でも今は思う。
焦らなくても、子どもは自分の速度で確かに育っている。
その歩幅を尊重できた時、親子の空気は静かに変わった。

登校日。
息子は朝起きてシャワーを浴び、鏡の前で髪を整え、朝ごはんを食べて完璧に準備をして家を出る。
間に合わない日は、私が車で送ることもある。
それでも行くことだけは諦めない。
その姿を見るたび、胸の奥がうるっとしてしまう。
自分の力で行ける日をつくろうとしているのが分かるからだ。

今日も、夜中にチャーハンを作った形跡がキッチンに残っていた。
姿は見えなくても、生きている気配だけはしっかりと家の中に残っている。
そのことが、今の私にはとても大切に思える。


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