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重力と引力 #21 |回廊Ⅱ 明度10:無機質な処刑宣告と、わずかな引力

イヤホンの奥に横たわっていた絶対的な空白を破ったのは、本部長の低く、金属的な声だった。

「……実態と乖離しているとは、どういう意味かね」

画面の中で、本部長のカメラの枠だけが、わずかに揺れた。

「申し上げた通りです」

私は、平坦な声を返した。

「根本的な設計の欠陥により、現在のスケジュールでのローンチは物理的に不可能です。このまま進めば、システム全体が破綻します」

「なぜ、今の今まで報告が上がってこなかった」

本部長の視線が、画面越しに直属の部長の枠へと突き刺さる。 部長の顔は、もう正視に耐えないほどに歪んでいた。

「あ、いや、現場のマネジメントから上がってくる情報が……彼から『リカバリ可能だ』という報告を受けておりまして……」

部長は、完全に私を切り捨てた。

密室で交わした結託など、最初から存在しなかったかのように。 自分の絨毯の部屋に火の粉が及ぶ前に、すべての責任を私の無能さへと転嫁する。 システムに組み込まれた、あまりにも見え透いた保身のメカニズムが自動的に作動しただけだ。

「そうか」

本部長は、短く応じた。 その一言で、私の処刑は確定した。

「至急、実態の被害規模とリスケジュールの代案を提出しろ。当然、君たちの責任においてだ」

オンライン会議の画面が、次々と暗転していく。 役員たちが、無言のまま退出ボタンを押していく。 最後に残った部長の枠も、「後で私の部屋に来い」という低い一言を残し、ブツリと消えた。

通話が終了し、静寂が戻る。

私の目の前には、誰にも見られなくなった、緑色に塗りつぶされたエクセルだけが残されていた。 私は、画面の右上にある「×」ボタンをクリックした。 保存しますか、というポップアップに「いいえ」を選ぶ。

緑色の嘘は、モニターから完全に消え去った。

ヘッドセットを外し、机に置く。 自席の空調は、相変わらず完璧に効いている。

だが、私はもう、この無菌室の住人ではない。 自らの手で防弾ガラスを叩き割り、泥と熱の吹き荒れる空間へと身を投げ出したのだ。 これからの数週間、あるいは数ヶ月。私は上層部からの終わりのない追及と、現場の炎上という逃げ場のない矛盾のど真ん中で、血を流し続けることになる。

私は、ゆっくりと顔を上げた。 ガラスの向こう側。開発フロアを見る。

若手リーダーは、机に突っ伏したまま動かない。 その隣の席。

沈黙する彼が、こちらを見ていた。

私たちの視線が、ガラス越しに真っ直ぐに交差する。 彼の顔には、やはり何の表情も浮かんでいない。 私が上層部に事実を突きつけたからといって、彼が感動して涙を流すわけでも、私を信頼し直すわけでもない。 状況は何も好転していない。スケジュールは破綻したままであり、彼が直面している絶望的な赤いエラーログが消えたわけでもない。

一秒。 二秒。

彼と私の間に、音のない時間が流れる。

やがて。 彼は、キーボードからゆっくりと手を離した。 そして、無言のまま立ち上がり、ホワイトボードへと歩いていった。

彼は、黒いマーカーを手に取った。 ホワイトボードに書き殴られ、誰も直そうとしなかった「死んだスケジュール」の線を、備え付けのイレーザーで無造作に消し去る。

キュッ、キュッ。

乾いた摩擦音が、ガラスの壁をすり抜けて私の耳に届く。 彼は、真っ白になったボードの上に、新たな線を一本、引き直した。

それは、上層部が引いた非現実的な理想の線でもなく、私が描こうとした保身の線でもない。 彼自身が引いた、生々しい「現実」の線だった。

マーカーを置くと、彼は再び自分の席に戻り、モニターに向かった。 そして、あの規則正しいタイピング音を響かせ始めた。

カタ、カタ、カタ。

彼の背中が、ほんの少しだけ、熱を帯びているように見えた。

私は、机の上の冷めたコーヒーを飲み干した。 苦味の奥に、ほんのわずかな、だが確かな重さが胃の底に落ちていくのを感じる。

午後一時半。 私は自席から立ち上がり、重いガラスの扉へ向かって歩き出した。 無菌室を出て、あの泥と矛盾の満ちる場所へ。

(回廊Ⅲへ続く)


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