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重力と引力 #26 |回廊Ⅲ 質量5:宙に浮いた指と、重いエンターキー

受話器を固く握りしめたまま、私はフロアの奥へ視線を向けた。 無機質な空調の音が、フロアを薄く満たしている。

ホワイトボードに引かれた、黒いバツ印。 若手リーダーと若手エンジニアは、その記号を無言で見上げていた。彼らの背中は、微かに強張っている。

やがて。若手リーダーがゆっくりと振り返り、自分のデスクの前に立った。黒いターミナル画面を見下ろし、キーボードの上に両手を置く。

カタ……カタカタ。 コマンドを打ち込む、数文字の乾いた音。 そして、長い空白。

彼の指が、空中で静止している。隣に立つ若手エンジニアも、息を詰めるようにその指先を見つめていた。

私は自席から、ただその背中を見つめ続けた。 彼らに無理を強いていることは、わかっている。彼らは今、上層部の絶対要件という「ルール」と、システムの崩壊という「現実」の狭間で、最も重く冷たい泥の中に手を突っ込もうとしている。私が「事後処理はすべてやる」と口にしたところで、彼らの恐怖が完全に消えるわけではない。

だが、私は彼らを止める気はなかった。「みんなのために」という綺麗なボランティア精神で飾るつもりもない。

正解のないこの暗闇の中で、プロジェクトの命を繋ぐためには、どうしても彼らに「規律違反」の引き金を引かせる必要があった。彼らに泥の中での切断を強要し、私が無菌室の住人たちを脅し上げるための「既成事実」を強制的に創り出す。 私が一人で犠牲になるのではない。彼らをも共犯者に引きずり込んで、この理不尽な盤面をひっくり返す。それが、私の冷徹で強引な「全体最適のワガママ」だ。

数秒の、ひどく長く感じる沈黙。

ターン。

フロアの静寂を切り裂く、重いエンターキーの打鍵音。隣の若手エンジニアの肩が、びくりと跳ねた。

私のモニターの端で、システムの稼働状況を示す監視ウィンドウが赤く明滅する。

『自動最適化アルゴリズム:プロセス強制終了』

彼らは、引き金を引いた。黒い画面の上を、機能の切断を示す新しいログが猛烈な勢いで流れ始める。

その致命的な欠落は、私が関係各所へ工作の電話をかける間もなく、即座に「無菌室」のセンサーに検知された。

デスクトップの画面中央に、突然、大きなポップアップウィンドウが割り込んでくる。 本部長からの、ダイレクトなオンライン通話の着信。 けたたましいコール音が、怒号の予兆のようにフロアに鳴り響き始めた。

私は握りしめていた受話器をゆっくりとフックに戻し、代わりにマウスを握り直す。 工作を仕掛けるための最初の標的は、向こうからやってきた。

受話ボタンの上で、私は静かにクリックした。

(質量6へ続く)


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