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重力と引力 #2 |回廊Ⅰ 深度1:体温が消える瞬間

今でも、あの会議室の重たい空気と、冷え切ったコーヒーの味を思い出すことがあります。
喉の奥に張り付くような、ざらついた苦味。
それは、ある大規模プロジェクトの、何の変哲もない「進捗報告会議」での出来事でした。

窓のない会議室には、蛍光灯の微かな耳鳴りのような音が響き、ひどく乾燥した空気が漂っていました。
参加者は、プロジェクトマネージャーである私、現場の最前線を支えていた当時30代前半の優秀な設計者、そして「状況を監視する」という名目で同席している数人のステークホルダーたちです。

部屋の中央に置かれた大型モニターには、プロジェクトのスケジュールを示すガントチャートが映し出されていました。
本来なら緑色で埋まっているはずのその表は、後半にいくにつれて無惨なほど真っ赤に染まっていました。誰の目にも明らかな、進捗の深刻な遅れです。

会議室の空気は、鉛のように重く沈んでいました。
ステークホルダーたちは腕を組み、不機嫌そうに手元のノートパソコンに視線を落としているか、あるいはモニターの「赤い部分」を射抜くように睨みつけています。誰も口を開こうとはしません。沈黙という名の圧力が、部屋の中心に向かって、少しずつ、しかし確実に収縮していくのを感じました。

私は、プロジェクトを統括する立場として、この沈黙を破らなければなりませんでした。
「なぜ、このような事態になっているのか」を明らかにし、「どうやって正常な状態に戻すのか」を約束させる。それが、この場における私の役割だったからです。

私は、目の前に座る30代の設計者に向き直りました。
彼の顔色は透けるように青白く、目の下には濃い隈が落ちていました。ワイシャツの襟元は少しよれ、テーブルの上に置かれた彼の手は、タイピングのしすぎで微かに震えているようにも見えました。

私は、静かに、しかし逃げ道を与えないようなトーンで問いかけました。

「なぜ、予定通りに進んでいないのですか」
「誰が、いつまでにリカバリーするのですか」

それは、管理職として当然の、一切の隙もない「正しい言葉」でした。
ビジネス書を開けばどこにでも書いてある、課題解決のための論理的なアプローチです。感情を交えず、事実と計画だけを問う。

しかし、私は知っていたのです。
この遅れの原因が、決して彼ら現場チームの怠慢や能力不足ではないことを。

本当の原因は、私たち上層部や顧客の側にある「曖昧な要件」でした。
「やっぱりここを変えてほしい」「あれも追加できないか」
会議のたびに二転三転する要望。決断を先送りにして生じた空白の期間。
システム開発という、後戻りが最も致命傷になる世界において、私たちは上流工程で無数の「負債」を撒き散らしていました。

そして、その私たちが撒き散らした矛盾の帳尻を合わせるために、目の前の彼が連日深夜まで、休日の朝から晩まで、文字通り自分の命を削ってキーボードを叩き続けていることを、私は知っていました。
「子どもが熱を出したけれど、休めない」と彼がこぼしていたのを、給湯室で耳にしたことさえありました。

それでも、私は問わなければならなかった。
組織というシステムが、会議という名の儀式が、私にその役割を強要したからです。
「上層部の曖昧さが原因です」などと、この場で言えるはずがありませんでした。ステークホルダーの前で「現場は限界です」と庇うこともできなかった。

だから私は、安全な場所から、泥沼で溺れかけている彼に向かって、「なぜ泳ぐのが遅いのか。いつまでに岸に着くのか」と、正しい言葉を撃ち下ろしたのです。

私の問いかけに対し、会議室は再び静まり返りました。
全員の視線が彼一人に突き刺さります。

彼は、モニターの赤いチャートを数秒間見つめた後、ゆっくりと視線をテーブルの上に落としました。
反論しようと思えば、いくらでもできたはずです。「要件が変わったからです」「人が足りないからです」「もう限界だからです」と。

しかし、彼は一切の言い訳をしませんでした。
ただ、ひどく平坦で、何の抑揚もない声で、短くこう答えました。

「はい。持ち帰って、今週末までに調整します」

その瞬間でした。
彼の目から、スッと光が消えたのです。

それは、比喩ではありません。
物理的に、彼の瞳から生気が失われ、ただのガラス玉のように濁ったのを、私ははっきりと見ました。
彼の中で、このプロジェクトに対する熱、組織に対する期待、あるいは私という人間に対する僅かな信頼。そういった「体温」のようなものが、プツンと音を立てて断ち切られ、完全に死に絶えた瞬間でした。

言葉の裏側にある絶望的な諦めが、部屋の空気を一段と冷たくしました。
彼は自分を守るために、心を殺し、感情のスイッチを切ったのです。そうしなければ、この理不尽な重力に押し潰されて、本当に壊れてしまうから。

そして、その「光が消えた」のを見たとき。
私の心の底に湧き上がった感情。それこそが、私が一生背負わなければならない最も醜い罪の正体です。

私は、彼の痛みに共感したわけではありません。
「申し訳ないことをした」と胸を痛めたわけでも、「彼を助けなければ」と決意したわけでもありません。

私の心の奥底で、最初に頭をもたげたのは、ひどく卑小で、吐き気がするような「安堵」だったのです。

「あぁ、これで反発されずに済んだ」
「会議が荒れなくてよかった」
「これで、議事録に『現場に対策を指示し、週末までにリカバリー案を提出させることで合意』と書いて、上に報告できる」

目の前で一人の優秀な技術者が、心を殺して限界を超えた約束をさせられているというのに。
彼の週末が奪われ、彼の子どもがまた一緒に遊ぶ時間を失ったというのに。
私は、自分の「管理職としてのタスク」が波風立てずに一つ片付いたことに、ホッと胸をなでおろしていたのです。

私たちは日々、職場でこの「人が心を閉ざす瞬間」を目の当たりにしています。
誰かが静かに傷つき、体温を失っていくその場面を、「仕事だから」「仕方ないから」と見ないふりをして通り過ぎている。

正しい言葉の裏に自分の保身を隠し、波風が立たなかったことに安堵する。
私が彼から奪ったのは、単なる週末の労働時間ではありません。
彼がこの仕事に向けていたはずの、わずかな熱と、限られた命の一部と、体温そのものでした。

私は自分の手を一切汚すことなく、会議室の椅子に座ったまま、合法的に彼を圧殺したのです。悪意など微塵もない、「プロジェクトを前に進める」という善意と責任の名の元に。

では、なぜ彼から体温を奪った凶器が、暴言でも理不尽な命令でもなく、1ミリも間違っていない「正論」だったのでしょうか。

次回、この暗闇のさらに奥へ潜ります。
私が握りしめていた「無菌室のナイフ」の正体について。

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