20年前、東京都板橋区ときわ台の交番で出会った人
昨日、ふと思い出した人がいます。
2007年、東京・板橋区のときわ台駅で、線路に飛び込んだ女性を助けようとして、自らの命を落とした警察官の方です。
女性の命を救うために、自分の命と引き換えにされた方。
昨日、その方のことを突然思い出しました。
調べてみると、あの事故は2007年だったんですね。
同じ2007年。
私は高校3年生でした。
看護学校を受験するため、母と一緒に東京へ行きました。
宿泊する予定だったのは、板橋区のときわ台にあったアパートメントホテル。
東京に着いたのは、確か夜でした。
ときわ台駅に着いたときには、23時を回っていたと思います。
そして、ものすごく寒かった。
そうだ、1月だったと思います。
夜のときわ台で、母と二人で道に迷いました。
私は、イライラしていました。
看護学校の受験。
東京まで来たこと。
夜遅くにホテルが見つからないこと。
寒いこと。
不安なこと。
何もかもが重なって、当時の私は、そのイライラを母にぶつけながら歩いていました。
「なんで分からないの」
「どこなの」
そんな気持ちだったと思います。
今思えば、母だって分からなかったはずです。
母も初めての場所だったでしょう。
それでも一緒に来てくれて、夜遅くまで私とホテルを探してくれていた。
でも、18歳の私は、そんなことを考える余裕がありませんでした。
そのうちに雨が降ってきました。
いつまで歩いても見つからないから交番で聞いてみよう。
そうして1つの交番に入ったのです。
警察官の方は優しそうな、おじさん。
私たちを見てこんな夜遅くに!って少しびっくりした様子でした。
「寒いでしょう?まぁまぁ中に入って。」
そのお人柄の良さに、暗くてイライラしていた私の心は、逆に逃げ出したくなるくらい、なんだか分からない気持ちになりました。
「まぁまぁ、中に入って」
口だけじゃないんですよ。
ちゃんと私たちの側にまわって、身体を使って「こっち、こっち」と、かくまうようにして案内してくれる。
「こんな夜中に大変だ大変だ」
「雨も振ってるし」
東京なのに、こんな良い人いる!?
とにかく、その一生懸命さ。
こんな、はじめて会う、道に迷ったただの親子に、こんなにも真摯に向き合ってくれるおじさんが、東京に存在していることが、不思議でなりませんでした。
地図を広げて予約したアパートメントホテルを一生懸命探してくれました。
最後に「傘を持って行きなさい」
と渡してくれたのですが、
まだあと2日間、東京に滞在する予定もあったので、
「コンビニで買おうと思います」
と言って、
「本当にありがとうございました」
と、何度も何度も頭を下げて、交番を出たと思います。
「めちゃくちゃ良い人だったね!」
ホテルに戻ってからも、母とそんな話をしました。
「良い人すぎて、逆にびっくりしたよね。交番に入るようにって、わざわざ近くまで来て言ってくれたもんね」
それくらい、あのおじさんのことが印象に残っていました。
そして、受験も終わり、1ヶ月後の2月。
自宅で過ごしていたある夜、
愛知県の自宅で、緊急ニュース速報が流れました。
その知らせを見た瞬間、
「ときわ台?!」
目に飛び込んできた地名に、胸がざわつきました。
後に、事件に遭われた警察官の方の名前と写真がテレビに映し出されたとき
衝撃が走りました。
おじさんだ。
「お母さん!!」
台所にいた母に向かって、私は叫びました。
後に、あの事故で亡くなられた方は私たちの知る優しい警察官のおじさん。
宮本邦彦さんだと知りました。
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ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
まさか、こんなことになるとは。
あの警察のおじさんは、やはり地域の方々からとても慕われていた方だったようで、多くの人が悲しみに暮れ、交番にはたくさんの花が飾られていました。
追悼の様子も、テレビで報じられていました。
私はそれから、東京の板橋区に住んでいたのですが、あの踏切と交番に行く勇気がありませんでした。
あれから20年。
長い月日が流れました。
そして昨日の夜。
本当に突然、あのおじさんのことを思い出しました。
20年経って、突然思い出した…
こうして思い出すことで、いつまでもおじさんの思いが、この世に生き続けていくのでしょうか。
あの日、警察のおじさんに優しくしていただいて、
私はその後、人生を遠回りしましたが、最終的に看護師になることができました。
東京という街は、私には誘惑がたくさんありすぎて、性に合わなかったです。
悪い人もいました。その時も助けてもらいたかったなぁ。
きっと、昨日突然おじさんのことを思い出したのには、何か意味があるんですね。
おじさんと関わった多くの人が、きっと同じように思っているように
私も、おじさんの思いが消されないように、時々思い出して、できる限りのことをしていきたいと思います。
見ず知らずの親子に、ただただ一生懸命、優しくしてくれた。
20年経った今でも、私はそのことを覚えています。
繋ぎたいものです。
