なつはめぐるめぐるめぐる!
なにやら祭りが催されているようなので居ても立っても居られずひと記事かく。まつりの内容はよく読んでいないのだが、祭りとあらば馳せ参じる僕はもう気持ちがノリノリなので、そんなものどうでもいいのである。
明日は休みだしビールも飲んだし後は記事を書き上げるだけだ。
鹿田です、よろしく。
しかし鹿田は予想しよう、その祭りとやらはきっと年末年始にかかったものに相違ない、外れたとてきっとそう遠くない界隈のものであろうと予想する。今年の振り返り、だとか、来年に向けての抱負だとか。精々その枠に収まるものに違いない。
明日は休みだしビールも飲んだし後は記事を書き上げるだけだ。
鹿田です、よろしく。
反省することといえばなんだかんだと今年も十分に夏を体感できなかったことに限る。もっと仕事をサボって春先辺りから公園で呆けていたかった。桜の花びらが頬につき、花粉症にくしゃみを時折連発しながらもそれを上回る自然の心地よさにかまけていたかった。そして次第に上がっていく気温とともにゆっくりと自身の体温も上昇させては、初夏の風に吹かれて十分に頭を冷やし、(生きていてよかった)と深く再認識したかった。タチアオイが咲き始めるのを認識して、そこから太陽を突き刺し夏を呼び込むまでの一連の儀式に没頭していたかった。いつしか、冷蔵庫から手に取るビール缶がほてりを冷まし、啓蟄を視認し、やはり春蝉は聞きたく心残りになっているから、ちゃんと関東まで行って春蝉の声を聴く。そうしてゆっくり丁寧に夏に至ることができたなら、もう少し夏との別れも楽になるのかもしれない。
そして今、冬至にいて、至ってしまった冬は折り返しに立ち、ゆっくり身支度を始める。冬至が過ぎたならそれは初夏と言っても過言ではない。冬はもう至ってしまったのだ。まだ至っていない夏がこれからは気炎をあげ、拡大していく季節なのである。冬と夏しかなくなった、僕の妄想がほぼ現実化してしまった現代に、それはもう、誇大妄想とは呼べないはずだ。
そもそも、冬なんかがあるから正気に戻り、来年に向けて今年の反省なんてしようとする。そのままつっぱしれよ、転んでできた瘡蓋なんて走っているうちに自然に治る、痛みは自然に覚えていて、躓いた石ころは避けるか蹴飛ばすさ。だから加速を付けて走れ、白い息を履いて、肺を痛めてハイになれ。ランナーズハイは陽炎を魅せる。くらくらしてきた頭が夏と錯覚する。枯渇した喉が夏と錯覚する。そしてなぜだか込み上げてくるものがある。堪えず、腹を抱えて笑えばいい、肺が痛い。でも気持ちいい。体中から流れる汗が気持ちいい。今年とか、来年とかどうでも良くて、ランナーズハイ、ランナーズハイ。苦しいっと、言いながら笑ってる、眼の前には難所急傾斜の峠道がゲームの大ボスみたいに待ち構えているのが見える。うわああ厳しいなぁ、もう、ハァ、うう、ハァ、ハハッ。ハァッ、ハハハハ、笑うたび汗が目に入り染みる、それを拭う手の甲もびちゃびちゃなんだけど、ハァ、ハァ、あの坂の向こうに海があったら最高だなぁ、ああ、ハァ、ああそして潮風が香って、ええ、ああ、ぁあ夏の直射だ、ああ、ハァ、ハアぁあ、最高、最高。最高だああああっーーーーーーーー!
って生きていたいです。
んじゃ、また。
