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本当の自分を知る唯一の方法 ー 人は鏡

この5か月は人生2度目の強烈な期間だった。

自分を粗末に扱い続け、努力、知識、経験を一切認めない自分自身を
誤魔化しながら進んできていた半世紀に喝が入った感覚。

人は鏡。
人間は環境のいきもの。
これは、自然の法則のようなもので現実社会の一つの見極めツール。

まさに鏡に三方囲まれた状態の5か月だった。
自分の知識、スキル、経験を雑に粗末にされ、ただ利用される。貨幣変換の一つとして活用したいがために、鎖(恩義や脅迫、圧)で一応つなぎとめている。そこには感謝などなく、搾取とマウント、蔑みだけが存在する。

危うく過去の癖が発動するとことだった。
癖とは何か。
自分の人差し指が相手の面を捉え[お前はどうなんだ!]と責める。言葉を尽くして[理解]を得ようとする。最悪な癖は、まったくもって納得も腑にも落ちていないのに、相手に合わせよう、好かれよう、褒められようとする。

通常、過去の私はこの手の底を這いつくばる過程を平気で数年費やして来た。今回は、最初の2週間で気付いた。それは違和感。口で発しているものと肚のそこから体を通して発せられるエネルギーの純度具合がまったく違う。これは相当気持ちが悪い感覚だ。
通常社会では、裏表とか二枚舌、二面性などと表現するだろう。

ただ、人は表層に惑わされる。どんな職業、地位、富の量、資格、知名度などによって惑わされてしまうのだ。本質を感じとっているのにも関わらず。

[いや、まさか。 こんなすごい人が… 自分の感覚=肚の声がおかしい]
とすぐに自分を疑う。そして我慢し、ひたすら[相手が正解]と仮説を立てて時間とエネルギーを消耗してしまう。

何故なら、ここに相手と自分という”個”が存在するから、惑わされる。
人は鏡。そう!人は鏡だということを忘れてしまうのだがそれが真実。

実は相手などそもそも存在していないのだ。最初から。
自分を鏡に投影し、その姿、性別、恰好、地位を編集し自分の前に登場させる。
映画 ファイトクラブ みたいなもの


何のために?
自分自身の本質にこびり付いた垢を削ぎ落すため。今のままの在り方、生き方をしている限り、自分が求める目指す目的には進めないと肚は分かっているから登場させる。自分ひとりで内観だの、俯瞰だので自分を見れないから、キャラ設定をしてもっともらしい現実として登場させる。(恐ろしいのは、自分がそれをやっているということ。)

目の前にいる相手は、私の自身の中に長年居座り続けている薄汚くも、プライドが高く、そのくせ気が弱く、口では大そう立派な悟ったようなことを語るが中身がない奴。実はまったく自分が何のためにそれをしているのか、胸を張って言う根性もないただ流されて生きている奴。環境や流れだけで表層だけは立派に見えるが中身がかすっかすのへちまスポンジな私だ。

だから怖い。
だから鏡に映る相手に強烈な違和感、嫌悪感、責め心が湧き出てくる。
でも、相手(鏡に映っている人物)がいないと現状に不都合があるから尚、面白くないと感じたり、もやもやする。

何てバカバカしく滑稽な一人芝居だろう。

肚の声は、時に強烈な喝を入れてくる。それには段階がある。
強制終了      全財産を失う/大病/生死に関わる事故・事件
そろそろ終了    失礼な扱いをうける/恐喝/責任転嫁
          裏切られる/騙される/搾取される/噂や偽りを流さ    
          れる
違和感       採用されない/会話が合わない/変にすり寄られる
その他、実はもっと細かな段階がある。この下は実は身体不調で診ることができる。これはまた別の時にまとめる。

この鏡に投影している者が、まさか自分自身だとすぐに感知できる人は少ないかもしれない。(と言いながらここ3年でわたしのまわりには感知できている人の方が多いが)

だから、人は相手(本当は自分)を罵ったり、馬鹿にしたり、マウント取ったり、悪口をいう。よく考えてみると相当バカな一人芝居だ。何年前からか私には嫌い!な人がいなくなった。その理由はここに綴ったこと。どんな輩も実は、自分の中にある一部分の投影に過ぎない。

分かっている。
次のステップに進むには、”自分を認め、自分一人で実践をひとつひとつ積み上げること” ”自分を満たすこと”なのだ。

それが相当怖い。私は。
だからちゃんと鏡に投影した奴がものの見事なセリフを吐きやがった笑!
[絶対に失敗する!今進んだら必ず後悔してここに戻ってくる。失敗しかないんだ!]
強烈だ。
あっぱれ過ぎる!

昔、志村けんと沢田研二が鏡映しになってやるコントが頭にポン!と浮かび上がって笑いがこみあげてきた。

あー、本当に感謝しかない。こんなにもダイレクト、どっ直球でひっぱたかれれば目も覚める。ありがとう、投影の私。

そう、怖いんだよ。君自身が何のために日々を生きているか目的が定まらずただ毎日を猛烈忙しくして、自分を内観する静寂から逃げ続けているように、私も怖い。
自分の経験、スキル、知識の集大成を整え一人で、誰の皮も着ず、誰かを盾に使わず生きていくと決めることが。

この地点に留まった先の10年は、きっともう取り返しのつかない年齢の自分。
肚の声を聴かず環境に染まって濁りに濁った自分しか見えない。

数年を費やさずに数か月で肚の声を聴き、鏡の中の自分に気づき、認め、決断できたのは生まれて初めてだ。大した成長だ。

これは一人では成しえない偉業。

ましてや誰かに教えてもらえるものでも、何かテキストがあるわけでもない。
鏡に投影した自分をしっかり直視し、受け入れ、そこから逃げないことの先にしかない自己解放と進化だと思う。