会社は偉くない
- 日本企業が失ったものと、これから取り戻すべきもの -
近年、多くの企業が「パーパス経営」を掲げている。
社会にどのような価値を提供するのか。
何のために存在するのか。
どのような未来を実現したいのか。
企業理念やミッション、ビジョン、パーパスが語られることは珍しくなくなった。
しかし、その一方で違和感もある。
本当に問うべきことは、立派な言葉を掲げることではない。
その会社が、自ら学び続ける組織であるかどうか。
その一点である。
なぜなら、会社は偉くないからだ。
偉いのは、会社の中で考え続ける人である。
失敗しても学ぶ人である。
新しい知識を吸収しようとする人である。
現状に疑問を持つ人である。
変わろうとする人である。
企業の価値とは、建物でも看板でもブランドでもない。
人が積み上げた知識と経験の総体である。
にもかかわらず、日本の大企業の多くは、その最も重要な資産を軽視してきたように見える。
日本企業はなぜ強かったのか
戦後の日本企業が強かった理由は単純である。
知識が会社の中に蓄積されたからである。
終身雇用。
年功序列。
社内教育。
長期育成。
ジョブローテーション。
現在では批判されることも多い制度だが、当時の日本企業には一つの強みがあった。
それは、
知識と経験が会社に残ったこと
である。
現場で失敗した経験。
顧客との交渉経験。
品質問題への対応経験。
製造トラブルの解決経験。
技術開発の成功と失敗。
こうしたものが人を通じて会社に残った。
だから改善が起きた。
だから品質が向上した。
だから競争力が生まれた。
トヨタ生産方式が象徴的である。
トヨタの強みは手順書ではない。
改善文化である。
現場で考える人がいることだった。
つまり、日本企業の強さの本質は「人材」ではなく、「学習する組織」にあった。
しかし、いつからか目的が変わった
ところが1990年代以降、日本企業は大きく変化した。
バブル崩壊。
グローバル化。
株主資本主義。
成果主義。
コスト削減。
リストラ。
非正規化。
アウトソーシング。
派遣活用。
業務委託。
外部コンサル活用。
次々に欧米の経営手法が輸入された。
問題は、輸入したことではない。
本質を理解しないまま輸入したことである。
欧米企業が成果主義を導入した背景には、高い流動性と専門職市場がある。
ジョブ型雇用の背景には、専門性を軸としたキャリア形成がある。
アウトソーシングの背景には、自社のコア能力を明確に定義する思想がある。
しかし日本企業は、その土台を十分に理解しないまま制度だけを輸入した。
結果として、
終身雇用の良さを失い、
ジョブ型の良さも得られず、
年功序列の安定性を失い、
成果主義の競争力も得られず、
社内教育を弱体化させ、
専門人材育成にも失敗した。
いわば、
悪いところだけを取り入れた
のである。
「我慢して働く」が美徳になった国
日本の組織文化には、もう一つ大きな問題がある。
我慢を美徳にしてしまったことである。
辛くても続ける。
納得できなくても従う。
上司が間違っていても黙る。
理不尽でも耐える。
辞めずに頑張る。
これらが長く評価されてきた。
しかし本来、仕事とは我慢大会ではない。
成果を出すために働くのである。
学ぶために働くのである。
社会に価値を提供するために働くのである。
我慢するために働くのではない。
そもそも、創造性と我慢は相性が悪い。
新しいことを考える人は疑問を持つ。
改善する人は現状に不満を持つ。
イノベーションを起こす人は空気を読まない。
ところが日本企業では、そのような人材が「扱いにくい人」と評価されやすい。
結果として組織は同質化する。
そして同質化した組織は学習できなくなる。
人事が作った同質的な組織
この問題は採用にも現れている。
多くの企業は、多様性を語りながら、実際には似たような人材を採用している。
同じ大学。
同じ価値観。
同じ経歴。
同じ考え方。
同じコミュニケーションスタイル。
同じ成功体験。
その方が管理しやすいからである。
しかし、それは組織の衰退を意味する。
なぜなら、新しい知識は異質性から生まれるからだ。
異なる専門性。
異なる文化。
異なる経験。
異なる失敗。
異なる視点。
これらが組み合わさることで、新しい価値が生まれる。
ところが同質的な組織では、それが起きない。
全員が似たような考え方をする。
全員が同じ方向を見る。
全員が同じ失敗を繰り返す。
そして外部の知識に依存する。
外部人材活用が問題なのではない
最近はFSOや業務委託、外部専門家活用が盛んに語られる。
しかし問題は外部人材ではない。
問題は、
外部人材を使った後に何が残るのか
である。
知識が残るのか。
経験が残るのか。
判断力が残るのか。
失敗事例が残るのか。
若手が育つのか。
組織能力が上がるのか。
そこが議論されない。
業務が終わる。
成果物が納品される。
しかし知識は残らない。
その結果、次の案件でもまた外部に依頼する。
そしてさらに自分で考えなくなる。
これは効率化ではない。
能力の空洞化である。
製薬企業は何のために存在するのか
この問題は製薬業界で特に深刻である。
医薬品開発は知識産業である。
研究だけではできない。
CMCだけでもできない。
薬事だけでもできない。
品質だけでもできない。
研究、製造、品質、薬事、臨床、事業開発が一体となって初めて成立する。
だからこそ、本来は知識の蓄積が重要になる。
しかし近年、
外部化。
アウトソーシング。
コンサル依存。
CRO依存。
CDMO依存。
が進んでいる。
もちろん必要な部分もある。
しかし、自社に何も残らないのであれば、それは製薬会社ではなくなる。
極論すれば、
専門家を集める。
業者を選ぶ。
契約する。
調整する。
それだけなら商社でもできる。
製薬会社の存在意義はどこにあるのか。
何を中核能力として持つのか。
そこが曖昧になった瞬間に、会社は空洞化を始める。
外資は本当に優れているのか
ここで誤解してはならない。
外資系企業だから優れているわけではない。
実際には、日本化した外資系企業も多い。
本社では自由闊達な文化を掲げていても、日本法人では年功序列的な運営が行われていることも珍しくない。
逆に、日本企業でも優れた組織文化を持つ会社は存在する。
重要なのは国籍ではない。
組織が学習しているかどうかである。
失敗から学ぶか。
異論を歓迎するか。
専門性を尊重するか。
現場を信頼するか。
変化を受け入れるか。
そこが本質である。
会社は偉くない
結局のところ、日本企業が向き合うべき課題は明確である。
採用を見直すこと。
評価制度を見直すこと。
知識管理を見直すこと。
人材育成を見直すこと。
組織文化を見直すこと。
そして何より、
「会社は偉い」という幻想を捨てること
である。
会社は器に過ぎない。
本当に価値を生むのは人である。
学び続ける人。
挑戦する人。
失敗から立ち上がる人。
変わろうとする人。
そうした人たちが報われる組織でなければ、どれだけ立派なパーパスを掲げても意味はない。
パーパスとは企業広告ではない。
企業が何を守り、何を蓄積し、何を未来へ残すのかを示す約束である。
その中心にあるべきものは、利益でも時価総額でもない。
人が積み上げた知識と経験である。
日本企業に必要なのは、新しい経営用語ではない。
学習する組織を取り戻すことである。
それができなければ、どれだけ外部人材を活用しても、どれだけ制度を変えても、どれだけパーパスを語っても、会社は少しずつ商社化し、自ら考える力を失っていく。
そして、自ら考える力を失った組織に未来はない。
参考文献
Peter M. Senge, The Fifth Discipline: The Art and Practice of the Learning Organization
Ikujiro Nonaka & Hirotaka Takeuchi, The Knowledge-Creating Company
Geert Hofstede, Culture's Consequences: Comparing Values, Behaviors, Institutions and Organizations Across Nations
Ronald Dore, British Factory, Japanese Factory
James C. Abegglen, The Japanese Factory
厚生労働省「医薬品産業ビジョン2021」
経済産業省「人的資本経営の実現に向けた検討会報告書」
野中郁次郎『知識創造企業』
エドガー・シャイン『組織文化とリーダーシップ』
ピーター・ドラッカー『マネジメント』
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