国が働き方まで管理するのか

-辞める自由、自営する自由、そして給付制限という制裁構造-

仕事をする。
仕事を辞める。
転職する。
自営する。
休む。
学び直す。
別の働き方に移る。

本来、これらは人の自由に属するはずです。

人は、会社に所属し続けるために生きているわけではありません。会社員であることは、働き方の一つにすぎません。自営、フリーランス、複業、短時間労働、学び直し、療養、地域移動、家族の事情に応じた働き方も、本来は同じように尊重されるべきです。

ところが、現実の制度はそうなっていません。

会社を辞めると、理由を問われます。
自己都合なのか、会社都合なのかを問われます。
正当な理由があるのかを問われます。
解雇された場合には、会社がどう記載したのかが問題になります。
重責解雇と記載されれば、生活保障であるはずの失業給付が制限されます。

これは、本当に自由な社会なのでしょうか。

国は、人がどのように働き、どのように辞め、どのように次の働き方に移るのかまで管理するのでしょうか。
そして、その理由が「正当ではない」と判断されれば、生活保障まで止めるのでしょうか。

ここには、現代社会にふさわしくない発想が残っています。

それは、会社に雇われ続けることを標準とし、そこから外れることを疑う発想です。

1 働く自由は、辞める自由を含まなければならない

職業選択の自由という言葉があります。

しかし、職業選択の自由は、単に「仕事を選べる」というだけでは足りません。

仕事を選ぶ自由があるなら、仕事を辞める自由もなければなりません。
会社で働く自由があるなら、自営に移る自由もなければなりません。
同じ会社に残る自由があるなら、別の職場に移る自由もなければなりません。
働き続ける自由があるなら、心身を守るために一度立ち止まる自由もなければなりません。

自由とは、入口だけの自由ではありません。出口の自由も含みます。

しかし、現実の制度は、会社から出る人に冷たい。

なぜ辞めたのか。
正当な理由はあるのか。
自己都合ではないのか。
本当にやむを得ない事情なのか。
すぐに給付してよいのか。

このように、辞めた人が審査されます。

もちろん、制度濫用を防ぐ必要はあります。不正受給を許してよいわけではありません。働く意思がないのに失業給付を受けるような場合は、適切に対応されるべきです。

しかし、それと退職理由を細かく審査し、生活保障を遅らせることは別です。

本来、雇用保険が見るべき中心は、退職理由の道徳的評価ではなく、現在の失業状態、就労意思、求職活動、不正受給の有無であるはずです。

人が仕事を辞めた理由を、国が細かく評価する。
その評価によって、生活保障を遅らせる。

これは、自由な社会の制度設計としておかしいです。

2 有給休暇の理由を細かく聞く発想と同じ古さ

有給休暇を取るとき、詳細な理由を説明しなければならないという発想は、すでに古いものになっています。

有給休暇は労働者の権利です。労働者が休む理由を、使用者が細かく詮索することは望ましくありません。実務上も、「私用のため」で足りるという考え方が広がっています。

これは、労働者の私的領域を尊重する発想です。

では、退職はどうでしょうか。

仕事を辞めることは、有給休暇よりもさらに大きな人生上の選択です。
職場を変えること、働き方を変えること、自営に移ること、療養すること、学び直すことは、個人の人生設計そのものに関わります。

それなのに、退職については、国が理由を問い、「正当な理由」があるかどうかを判断し、その判断によって失業給付を制限します。

これは、有給休暇の理由を細かく詮索するよりも、さらに強い介入です。

なぜ、仕事を辞める理由を、国に説明しなければならないのでしょうか。
なぜ、その理由が十分でないと判断された場合、生活保障が遅らされるのでしょうか。

この発想は、個人が自由に働き方を選ぶ社会には合っていません。

3 給付制限は、生活保障制度の中にある制裁である

雇用保険の給付制限は、形式上は刑罰ではありません。

裁判所が有罪判決を出すわけではありません。
罰金でも懲役でもありません。
行政上の給付に関する制限です。

しかし、実質的には制裁的な効果を持ちます。

失業している。
受給資格がある。
生活保障が必要である。
それでも、一定期間、基本手当を支給しない。

これは、失業者にとって重大な不利益です。

生活費は待ってくれません。
家賃は待ってくれません。
医療費は待ってくれません。
食費、通信費、交通費も待ってくれません。

にもかかわらず、国は「あなたの離職理由は給付制限に当たる」として、支給を遅らせます。

これは、生活保障制度の中に制裁規定を置いているのと同じです。

雇用保険は、失業者を守る制度であるはずです。
しかし、給付制限は、失業者を審査し、理由によって生活保障を止める制度です。

ここに根本的な矛盾があります。

4 自己都合退職を罰する発想は古い

自己都合退職という言葉があります。

しかし、この言葉は非常に乱暴です。

人が仕事を辞める理由は、単純ではありません。

職場環境が合わなかった。
心身の健康を守る必要があった。
人間関係が悪化した。
ハラスメントがあった。
家庭事情が変わった。
介護が必要になった。
通勤が困難になった。
新しい仕事に挑戦したかった。
自営を始めたかった。
学び直しをしたかった。
働き方を変えたかった。

これらをすべて「自己都合」と呼んでよいのでしょうか。

さらに言えば、仮に本人の意思で辞めたとしても、それは本来、自由な選択です。

仕事を辞めることは、悪ではありません。
会社を変えることは、罰せられるべきことではありません。
自営に移ることは、社会から疑われることではありません。

むしろ、現代社会では労働移動が必要です。

産業構造は変わります。
技術も変わります。
働き方も変わります。
人の健康状態や家庭事情も変わります。

そのような社会で、人が一つの会社に長くとどまり続けることを前提にした制度は、すでに現実に合っていません。

流動性のない社会では、会社の力だけが強くなります。

辞めにくい。
移りにくい。
自営に移行しにくい。
失業中の生活保障も遅れる。

このような社会では、労働者は不合理な職場でも耐え続けるしかなくなります。

これは自由な社会ではありません。

5 会社から辞めさせられた場合は、さらに深刻である

自己都合退職への給付制限にも問題があります。

しかし、会社から辞めさせられた場合は、さらに深刻です。

労働者が自分で辞めたのではなく、会社が解雇した。
その会社が、離職票に重責解雇と記載する。
行政がその記載を入口にして、給付制限を行う。

この構造では、会社は労働者を職場から排除するだけではありません。
その後の生活保障にも影響を与えることになります。

会社の権限が強すぎます。

会社は、業務命令を出します。
勤怠を管理します。
評価を作ります。
懲戒処分をします。
離職票の基礎資料を作ります。
行政に会社側資料を提出します。

労働者は、その資料の全体を見ることができない場合があります。

そのような情報格差の中で、会社が「重責解雇」と記載し、行政がその記載を入口にするなら、会社の内部評価が公的給付制限に変換されます。

これは、会社権力が職場の外にまで延びる構造です。

会社が労働者を辞めさせる。
会社が理由を書く。
行政がそれを入口にする。
失業給付が制限される。

この発想はおかしいです。

6 国が管理するのか、制裁まで行うのか

ここで問うべきです。

国は、人の働き方をどこまで管理するのでしょうか。

会社で働くのか。
会社を辞めるのか。
転職するのか。
自営するのか。
学び直すのか。
療養するのか。
しばらく休むのか。

これらは本来、個人の人生上の選択です。

もちろん、雇用保険は公的制度ですから、一定の要件確認は必要です。受給資格、失業状態、求職活動、不正受給の有無などは確認されるべきです。

しかし、退職理由を審査し、その理由が「正当ではない」と評価されれば、生活保障を遅らせる。
会社が重責解雇と書けば、その記載を入口に給付制限する。
解雇理由が争われていても、給付制限を先行させる。

ここまで来ると、国が働き方を管理し、制裁まで行っているように見えます。

形式上は刑罰ではありません。
しかし、生活保障を止める以上、実質的には制裁的効果があります。

それを、裁判所ではなく行政が行う。
しかも、会社の記載を入口にして行う。

これは、自由な社会の制度として、かなり危ういです。

7「会社に所属していること」を標準にしすぎている

現在の制度には、会社に所属していることを標準にする発想が残っています。

会社で働いている状態が標準。
会社を辞めることは例外。
自己都合退職は疑われる。
解雇された場合は、会社の記載が強く作用する。
自営やフリーランスへの移行は、雇用保険制度の中心ではない。

この発想では、働き方の流動性は生まれません。

本来、社会はもっと柔軟であるべきです。

会社員として働く人。
自営する人。
複数の仕事を持つ人。
一時的に学び直す人。
病気や家族事情で休む人。
地域を移動する人。
会社を辞めて、別の働き方を試す人。

こうした移動が自然にできる社会でなければ、自由な社会とは言えません。

雇用保険は、本来、その移動を支える安全網であるべきです。

会社に戻る人だけを支える制度ではなく、次の働き方へ移る人を支える制度であるべきです。

ところが、給付制限は逆方向に働きます。

辞める理由を審査する。
正当性を評価する。
給付を遅らせる。
会社の離職票記載を入口にする。

これでは、人は自由に移動できません。

8 流動性がない社会では、会社権力が強くなる

労働市場に流動性がないと、会社権力は強くなります。

辞めにくい社会では、労働者は不合理な職場でも我慢します。
転職しにくい社会では、会社の評価に従わざるを得ません。
自営に移りにくい社会では、会社員という働き方に縛られます。
失業給付が遅れる社会では、会社と争うことすら難しくなります。

その結果、会社はさらに強くなります。

労働者は、会社にいる間も会社に縛られます。
会社を辞めた後も、会社が作成した離職票や懲戒理由に縛られます。
行政手続でも、会社側資料が強く作用します。

これは、自由な労働市場ではありません。

自由な社会に必要なのは、会社にしがみつかなくても生きていける制度です。
会社から離れても、生活がすぐに壊れない制度です。
自営や転職や学び直しに移れる制度です。

雇用保険が本当に生活保障制度であるなら、退職理由を審査して支給を遅らせるのではなく、移動する人を支える制度になるべきです。

9 不正受給対策と退職理由審査は別である

制度側は、給付制限の必要性として、不正受給や制度濫用を挙げるかもしれません。

しかし、不正受給対策と退職理由審査は別です。

不正受給は、不正受給として厳しく対応すればよい。
働く意思がない場合は、受給要件で判断すればよい。
求職活動をしていない場合は、求職活動要件で判断すればよい。
収入を隠した場合は、不正申告として扱えばよい。

しかし、退職理由そのものを審査し、「正当な理由がない」と判断して生活保障を遅らせる必要があるのでしょうか。

特に、現代社会では、退職理由は多様です。
本人にも言いたくない事情があります。
健康、家庭、職場環境、人間関係、将来設計、メンタルヘルスなど、詳細に説明したくない事情もあります。

それを行政に説明しなければ生活保障が遅れるという制度は、個人の自由や尊厳に反します。

不正受給を防ぐことと、退職理由を管理することを混同してはいけません。

10 雇用保険は、会社管理社会を補強してはいけない

雇用保険は、会社管理社会を補強する制度であってはなりません。

会社を辞める理由を審査する。
会社の離職票記載を入口にする。
会社の重責解雇記載により給付制限が先行する。
労働者は後から争う。

この構造では、雇用保険は労働者の移動を支えるのではなく、会社の評価を行政制度に接続する役割を果たしてしまいます。

雇用保険は、本来、会社から独立した生活保障制度であるべきです。

会社にいる間は会社の管理を受ける。
会社を辞めた後も会社の評価に縛られる。
行政もその会社評価を入口にする。

これでは、会社から自由になれません。

会社を辞めた後は、会社の評価ではなく、本人の現在の生活状態と次の働き方への移行を中心に見るべきです。

失業しているのか。
求職しているのか。
働く意思と能力があるのか。
不正受給ではないのか。
必要な支援は何か。

この方向に制度を変えるべきです。

11 自由な社会に必要なのは、給付制限ではなく移動保障である

これからの社会に必要なのは、給付制限ではありません。

必要なのは、移動保障です。

会社から会社へ移る。
会社から自営へ移る。
自営から会社へ戻る。
一度休んで学び直す。
健康を立て直す。
家族事情に合わせて働き方を変える。
地域を変える。
職種を変える。

このような移動を支える制度が必要です。

人が移動しやすい社会では、会社権力は相対化されます。
不合理な職場から離れやすくなります。
新しい働き方に挑戦しやすくなります。
健康を壊す前に逃げられます。
会社に依存しすぎない社会になります。

そのためには、失業給付を「辞めた理由を審査して制限する制度」ではなく、「次の働き方へ移るための安全網」として再設計する必要があります。

退職理由を管理する社会から、移動を支える社会へ。

これが必要です。

12 結論 -国は働き方を管理し、制裁まで行うべきではない-

仕事をすること。
仕事を辞めること。
転職すること。
自営すること。
休むこと。
学び直すこと。

これらは、本来、個人の自由に属するものです。

国が管理すべきなのは、人がなぜ辞めたのかを細かく審査することではありません。
会社の評価を使って生活保障を止めることでもありません。
退職理由に制裁的な意味を持たせることでもありません。

国が行うべきなのは、失業中の生活を支え、次の働き方へ移るための土台を整えることです。

雇用保険は、会社に縛り直す制度ではなく、会社から離れても生きていける制度であるべきです。

辞める自由。
移る自由。
自営する自由。
休む自由。
やり直す自由。

これらが実質的に保障されなければ、職業選択の自由は空文になります。

給付制限は、失業者を疑い、退職理由を審査し、生活保障を遅らせる制度です。
その発想は、会社に所属していることを標準とする古い社会のものです。

自由な社会に必要なのは、給付制限ではありません。
移動保障です。

国は、人の働き方を管理し、退職理由に制裁を加えるべきではありません。

会社で働くのも自由。
辞めるのも自由。
自営するのも自由。
やり直すのも自由。

その自由を支える制度こそ、これからの社会に必要な雇用保険です。

文献・資料

[1] 日本国憲法第22条第1項。
[2] 雇用保険法第33条。
[3] 厚生労働省「雇用保険に関する業務取扱要領」52202「『自己の責めに帰すべき重大な理由による解雇』として給付制限を行う場合の認定基準」。
[4] 厚生労働省「雇用保険に関する業務取扱要領」53302「解雇の効力等について争いがある場合の失業認定及び基本手当等の支給」。
[5] 厚生労働省「雇用保険に関する業務取扱要領」53302チ。
[6] 厚生労働省・各労働局「令和7年4月1日以降の給付制限期間の見直し」に関する資料。
[7] 行政手続法。
[8] 労働契約法。

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