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これからもママは、ずっと側にいるよ

「今回の検査をもって、長女さんは、支援級に行くことの認可がおりました。いつから行っていただいてもかまいません」

……そうですか。よかったです。

誰ともわからない声が私の口から漏れた。それを私は他人事のように耳にしながら。
ちょっと先の未来のことを、考えていた。




先日。申請をしていた長女の発達検査が急にキャンセルが出たとのことで、受診してきた。

次女はASD・ADHDがあり、小学校では1年生から支援級に通っている。
1つ上の長女はいわゆる通常級。しかし、2年生の後半から徐々に教室にいられなくなり、3年生……私が仕事に復帰したと同時に、教室に一切入れなくなった。

仕事に行く前。
私の手が離れて、昇降口で涙を流して立ち尽くす彼女の顔が、今も私の頭から離れない。たぶん、一生。

だけど、その当時から、長女は次女の教室にだけは入ることができた。
次女がいる、ということもあるだろうし、次女のクラスの子は、それぞれ特性があるものの、穏やかでやさしく、そして次女のことが大好きな子ばかりだったからだ。

「次女ちゃん! あ、長女ちゃんもいる!」

クラスメイトはもちろん、教室にいる先生たちも。長女のことを見つけると必ず声をかけてくれた。


「ぼく、次女ちゃんといっしょなら教室に行けるかもしんない」


長女が教室に入れなくなって、1年以上がすぎた。彼女の精神の回復にだけ専念し、余計なことは言わないよう、焦らせないよう、自信を失わせないようにしてきたつもりだ。もちろん、時には自分の仕事との折り合いがつかずに「学校に行ってくれていたらよかったのに」と思ってしまうことは、何度もあった。でも口に出すことはしないように努めた。

長女は……少しだけ、前に進みだす勇気が出てきたのかもしれない。
それは私がこうして我慢したから、などではなく、彼女自身が向き合って、変わりたいと思ってくれたから。それが大前提。
だとしても私は、これまでの自分の支えも糧になったようなそんな気がして、その長女の言葉がうれしかった。

「じゃあ、来年から、支援級に行けるように話をしないとね」

人数の限りもある。支援級は「行きたい」と言ってすぐに行けるものではなく、途中から転籍するには許可が必要となる。
そこからは、来年入学したら支援級を希望する双子兄の話とあわせて、バタバタと動き出した。なにせ、双子兄の件も、診断して愛の手帳を発行したものの、うっかりそのまま日々の忙しさにかまけていたら、支援級の手続きをすっかり失念していたからだ。発達検査をしてくれた機関の方から心配の連絡がきて、なんとか手続きを間に合わせることができた形だ。危ないところだった。(毎年こんな感じだ)(いい加減にしなさい)



……というわけで、冒頭のセリフを先日、発達検査の担当者から聞き、なんともいえない気持ちのまま、フワフワと過ごしているのが、今だ。

田中ビネー知能検査Ⅴを長女は受けた。
これは、次女も双子兄も受けたものだ。
長女のIQは想像以上に低かった。
8歳から全く勉強していないのだから、当然だ。
10歳5か月の長女は、8歳8か月の知能だと言われた。
もちろん、IQだけで測れないことは数知れず、IQなんてその気になればきっと上がっていけると信じている。

それでも、不安がまったくないだなんてこと、言えない。
小学校2年生の国語や算数もあやしいですと言われた彼女は、どう思ったろう。

「支援級には今すぐに行くこともできますし、来年からでもいいです」

担当の方はそう言ってくれたけど、私はその場では決めることはできなかった。先生方と本人と相談してみます。そう言って、その場をあとにした。

「やさしい先生だったよ」

発達検査の先生が、「間違っても大丈夫だよって言ってたよ」と長女は言った。たのしかったよ、とも。できなかったけどたのしかったよ、と。
そっか。私は言い、彼女と一緒に家に帰ってから、バタバタと仕事に向かった。




「次女ちゃんと同じとこ行ってもいいって。まあ、学年は違うからメンバーが違うけど……別教室で次女ちゃんといっしょにいる、でもいいし。相談はしていようと思ってるんだけど」

それから数日後の夜。隣で布団に入ってきた長女に言った。
長女は暗い部屋の奥を見つめていた。

「まだ……まだ、心の準備ができてない」

長女はそう言って、自分のねんねを口元に持ってきて、静かに息をした。
私は、すっかり背も追いついてきた彼女の身体に沿うようにくっついて、体温をわけあって眠った。




……そうだよね。


わかってたよね。
支援級に行くってどういうことか。
どういう意味があって、この前、あそこにいっしょに行ったのか。
なぜ、わかるか、わかんないか、いろんな問題で試されていたのか。

でもさ。

あなたは、IQは小学4年生に満たないかもしれない。
みんなよりも漢字は書けないし、
「にんべん」と言われてもなんのはなしかわからないし、
かけ算もできないし、
分数なんてものの存在も知らないし、
蝶々の羽化までの流れも知らない。

だけど。
家族の心の機微にいつでも気づいて一番に動けて。
末っ子の三男の動きを見て、危険が起きそうなことを事前に排除できる。
IQテストでの数字は低くても「空間認知の能力や、イラストでイメージを伝えることは非常に優れている」と言ってもらえたね。

お友達にイラストをプレゼントすると、すごく喜んでもらえるよね。
教室には入れないけど、「ぬりえ係」として、ぬりえを作ってはクラスに持っていったり。
「いつでも待ってるよ」
なかなか会えないけれど、友達はそう言ってくれるよね。


それでいいんだよって、私は伝えたい。


「支援級にいくんだよ」っていうのはね。
「あなたはあなたのままでいい」ってこと。
「あなたはあなたのペースで歩いていい」ってこと。
「あなたも、あの子も、みんなが苦手なことがあって、得意なことがあって、それでいいし、いっしょにいてもいいし、いなくてもいい」ってこと。


私は、ママは、あなたが本当はとても賢い子だと知ってる。


だから。
勉強してないからって、
「ぼくはバカだから」
なんて、言わないで。


絵を描いているときみたいに。
「ぼくが描いてあげる」
って、自信もって、笑って。


来年は、もっともっと笑っていてほしい。
1年前より、長女は笑ってくれるようになったと思う。
その時間が、もっともっと増えてくれたらいい。




「来年は、環境が変わる子どもの側にいたいんです。だから来年度から一定期間は……休職、したいです」

昨日、私は定期面談で上司にそう言った。
勇気が必要だった。
何度も考えたし、そう言っても受け取ってもらえるかはわからないと思った。キャリア面談だったので、今後のキャリアステップの話をすべきだったけれど、私はもうとっくにその未来は捨てている。いや、その話は今ではないというのが正しい。

もう、私が仕事に行ってしまって絶望していた、あの日の長女の顔は見たくない。もし、小学校が始まって、支援級と通常級で離ればなれになる双子もそんな顔をさせてしまったら? 今でこそ不登校にシフト気味の次女が、行かなくなったら?
……私はきっと、怖いんだと思う。


だからこそ私は、今、目の前の家族を大事にしたい。


「長い人生の間、仕事はいったんお休みするっていう期間があっても、私はいいと思うよ。まあ、髙塚さんはまた6人目を生んで、職歴の半分くらい子育てで休んでいるって可能性もあるけどね?」
と、上司は笑って言った。こんな調子だけど、家族の側にいたい私のことを、考えてくれての発言だとわかった。
専門学校の教員として。ここ数年、お互いの子どもの話をしたり、いっしょに学生を支えてきた仲だ。

いろんな方向で、働き方を変えるとか、仕事量のこととか、部署異動も含め様々に考えてくれて。でも、この数か月で、どうにも仕事と家庭の両立が難しいと感じ始めていた私としては、やはり休職の流れが今はベストな気がしている。

「部長には、私から必ず、伝えるからね」

そう言ってくれて、その場は終わった。
上司の一任では終わらない話なので、この話はまだどうなるかわからない。
これが正解かはわからないし、それは誰にも見えない未来の話。
いろいろめんどくさい話になってきたら結局、仕事をした方がいいってなる可能性もある。
でも「いざとなったら、来年は休職しよう」の選択肢がある、と自分の中で提示できたことは大きい。そして、それを「それもありだね」としてくれる上司がいることに安堵している。



今後の人生でやりたいことも
どうやって生きたいかということも
どんな教員になりたいかということも
まだ、わからないことの方が多い。


未知が多いことはつまり、ここからいくらでも希望が増やせるということだ。


30代。
まだ、キャリアのその先は見えないけれど。
子どもといっしょに笑っていられる。
つらいときは「つらい」と言える。
いつだって心が帰ってこれる。
そんな家族を支える母でありたい。
その気持ちは、これまでもこれからも、きっと変わらないことだけは確かだ。


「ママがいれば、ぼくはどこでも行くよ」


長女はそう言って、私の手をとってくれる。
ねえ。その言葉。
ママもそっくりそのまま、返すよ。


あなたが、あなたたちがいれば。
ママはどこまでも走っていくよ。


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髙塚しいも|5児の母 もしこのような記事をサポートしたいという稀有な方がいらっしゃいましたら、ぜひともよろしくお願いいたします。5児の食費・学費にさせていただきます!

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