神の手で、またあなたを捻るまで
宮崎の海を望む丘の上に。
先祖代々のお墓がある。
そのご先祖の足元に広がる海岸で、私と母……オカンは、荒々しく唸る海を眺めていた。ふたり並んでただ海を眺めるだなんて、初めてかもしれない、と思いながら。
その海沿いの小さな町では、親戚のおじさんたちが漁業を営んで暮らしていた。一年中日に焼けた真っ黒な肌のおじさんたちは、真っ暗闇の夜中2時や3時に船を出す。寝坊助の私がのっそりと目を覚ますころにはもうとっくに帰港して、陽も高いうちからすっかり楽し気に酔っぱらっているのが常だ。
彼らが今日も無事に海から生きて戻り獲得してきた、生き物たち。その中から、出荷しない分の魚やら海老やら、生まれてこの方見たこともない形をした魚介類を、せかせかと奥さんたちが仕込んでいく。
朝の光が差し込む台所。大きな鍋につっこまれた伊勢海老が真っ赤になって、いいお出汁を出しているサマは、そこでは当たり前の光景だった。
宮崎の海を目の前に望むその町には、やさしい親戚、広い海岸、先祖のお墓、おいしい魚介類、冷房ガンガンの小さなスーパーがあった。たまの夏休みに訪れるには、十二分に楽しめる場所だった。
でもその日。
オカンと並んで海を眺めていたあの日。
圧倒的に足りないものがあった。
「ねえ」
私は、ぼう、と海を眺めるオカンに言った。
「見て。相合傘」
私たちが座っている木のベンチは、海風にあてられてすっかり軋んでしまっている。そこに、その辺に落ちていたするどい石で、私は相合傘を刻み込んだ。
頼りなくあまりに細いその傘のもとに、私はオカンの名前を書いた。
隣には、父の名前。
一回刻むだけではうまくいかなくって、何度も何度も、その名前を彫った。
ついでに、その相合傘の隣に、私と彼氏の名前も刻み込んだ。私は三兄妹の末っ子で、昔からちゃっかりしているのだ。
「ほら。ついでに、私のも」
私は言った。
「…………ほんとだね」
オカンは。そう言って、少しだけ笑っていた。気がする。
いや、本当は、わからない。
笑ってくれたらいいのに。
そう、私が願っただけかもしれない。
それから、海が穏やかになることもなく。
私たちはどちらからともなく立ち上がり、荒れ狂う海を背に、親戚の家に戻った。
お坊さんが来る時間。
父の納骨の時間が迫っていた。
父は、娘の私からしてみれば、オカンに"ゾッコンLOVE"だった。
言い方がややダサいのは承知だが、父のオカンへの愛を伝えるにはこの言葉がベストである。
高校卒業後、家業であるイチゴ農業を継ぐことなく、名古屋にひとり上京したオカン。その頃の彼女は、百貨店の松坂屋でおもちゃ売り場社員として、箱の包装スキルを最大限まで上昇させるなどしていた。実際、どんなサイズの箱でも、オカンはぴしゃりと隙もなく包装することができるのだ。
その場所に、当時大学生だった父がアルバイトとしてやってきたのが、ふたりの運命の始まりだった。
父の仕事ぶりは正直、ミスを笑顔で乗り切ってなんとかやっていた感じだろうと想像する。
なぜなら、オカンからはいまだに、当時の松坂屋がどんなに栄えていて、忙しく、そしてやりがいのある仕事だったのかを聞くけれど、父からのバイトエピソードなんて、ほとんど聞いたことがないからだ。
ただ唯一、当時のエピソードを聞いた夜のことは、よく覚えている。
私が中学生のとき。酔っぱらった父と、何度目かわからない金曜ロードショー「耳をすませば」を観ていた晩に。
「しいもちゃん。しいもちゃんは、結婚しちゃ、ダメ~!」
天沢聖司の告白シーンを観た父に、そう言って小さく箸を振り回されたので、話をそらすついでに聞いたのだ。
「お父さんは、どうしてお母さんと結婚したの?」と。
「お母さんは、小さくって、白くって。かわいかったんだよねえ。ほら、お父さん、小さい人好きじゃん?」
大きな目をトロンとさせて、父は言った。
今ならば「いや知らんけど」のツッコミをしっかりできるスキルが私にはあるが、それを披露できなかったことが悔やまれる。
「お母さんにはその時、彼氏がいたんだけどね。でも諦めきれなくって。そしたら、お父さんが相談してた同じ職場の人がね、お母さんに何度も言ってくれたんだよ。『○○くんの方が、絶対いい人だよ』って。んで、うまいこといった。ってワケ!」
父ははにかんで言った。
「オレにしとけって良ければ言っておいてほしいです」系男子だ。ちょっと情けない。もしその場にオカンがいたら鋭いツッコミがすぐに飛んでくるので、こんな話はきっと聞けなかっただろう。
場の空気を作り出してくれた、天沢聖司と月島雫に感謝した。
オカンは149センチ。
父は180センチ。
見た目はそんな感じでも、実際には父よりも年上であるオカン。大きくて、大学時代にはアメフトをバリバリやっていた強靭な身体を持つ父も、オカンの「神の手」をもってすればひとひねり。
「しいもちゃんは足がきっと長くなるなあ。お母さんは……ねえ? おしりも大きいしぃ……足もぉ……ウフフ……」
すぐに余計なことを口走る父の言葉を聞きつけると、オカンは父の首根っこを、ぎゅ! とひねる。
「ギャーーー! すいませんでしたっ!」
KONISHKIのように大きな身体を転がし謝っても、オカンはニヤニヤしながら、その手を緩めない。神の手、ここにあり。それを見るたびに、私はさらにオカンを尊敬したものだ。
当然、本当はむちゃくちゃ力がある父のことだ。逆転なんていつでもできただろうけど。その神の手に弄ばれること自体が、その時間が、大事だっただけなんだ。
ねえ。そうでしょ?
あのねえ。
そんなの。
子どもの私にだって、わかっていたよ。
私が高校2年生の秋。
父は
いってしまった。
私と。
就職活動を控えていた長兄。
仕事をやめて、アルバイト先でダーツを投げていた次兄。
そして、愛するオカンを残して。
「別れはいつだって突然だ」
当然知っていたはずのこの世の真理。
なにも、自分の父で痛感する必要はないはずなのに。
私は、悲しかった。そしてそれ以上に何かに怒りたくて仕方なかった。
それは、人生だろうか。この運命だろうか。この世の中の不条理か。
───ごめんね。
そう言い残した。父にだろうか。
ううん。やっぱり。
父には、怒れない。
やさしくて、大好きな父のこと。
誰も、怒るだなんてムリだ。
だからこんなにも、苦しいのだ。
「テスト期間なのに。……ごめんね」
その日。
オカンは、私にそう言った。
ちょうどそのとき、私は定期テストに向けて勉強していたから。
でも。そんなの。心底どうでもよかった。
当然だ。
……だけど。
娘に、そう言ったオカンの気持ちが、私にはよくわかる。
なにか。悲しみに対する言い訳とか、建前でもないと。
この今の気持ちに真正面から、私たちは立ち向かうことができない。
私たちは残された。
だから当然、朝が来る。
いつも通りの寝室で。いつものように目を覚ます。
でも。起きた瞬間からもう、私は理解していた。
この世界にはもう、隣でいつも寝ているはずの父がいない。
高校生になっても、父と母に挟まれて眠っていた私。それでももう、ここに川の字を描くことは叶わない。父はもうこの世界には、現れることがない。
二度と。
大切な人を失った世界で目を覚ました瞬間の、あの日の心の孤独を。
きっとこの先、忘れることはできない。
残されてしまった人間が感じる心の隙間。
その隙間を日々つなぎ合わせて。
それがどれだけ大きいものなのかをわからないよう、誤魔化しながら。
私たちは
残された人間は
生きている。
葬式の手配、親戚や知り合い、父の職場への諸連絡……。
当時の家は、きっと悲しみに暮れている暇もなかったことだろう。
オカンと大学生の長兄が、手続きに明け暮れていたであろうその頃の記憶は、セピア色に染まった断片だけ残っている。
名古屋から父方のばあちゃんとじいちゃんが駆けつけて、オカンを抱きしめていたこと。
オカンの弟である叔父さんが熊本から飛んできて、生活が落ち着くまで随分と家に滞在してくれたこと。
長兄の彼女がやってきて、寄り添ってくれたこと。
当時の彼氏に電話で知らせたとき。
電話の向こうで、号泣していたこと。
そのあとすぐに。
雨の中、傘もささずに飛んできて、ただ抱きしめてくれたこと。
「なにをしたらいいか、わからない。でも、行かなきゃいけないと思ったんだ」
彼は言った。
そこにいたのは、まだ、死に触れたこともない18歳の青年だった。
そして私もまた、ただひとりの17歳の娘だった。
「○○くん。受験も近いのに、なんか、ごめんな」
長兄は彼氏に言った。
「そんなこと……」
彼氏は、そう言って言葉を詰まらせた。
自宅からほど近い場所にあった斎場にて、通夜が行われた。
長年教員として働いた父には、たくさんの知り合いがいた。通夜と告別式を合わせて、計500人あまりの人が参列してくれたそうだ。過去に家族ぐるみで旅行に行った人や、同じ教職員アパートに住んでいた人、父の教え子やその家族。私の高校のクラスの友達までもたくさん訪れてくれ、その姿を見た瞬間、私は涙で震えが止まらなくなってしまった。隣で毅然と参列者に頭を下げていた長兄が、大丈夫か。と背中をさすってくれた。
テスト期間に。忙しい時期に。みんな、ごめんねと思った。
別に、私がやさしいからってわけじゃない。
そう思うことで私はやはり、今ここに座っていることも忘れたかったのだ。
人間は。孤独なときでさえ勝手なものだ。
次の日。告別式の日の朝。
私は親戚一同といっしょに、斎場に併設された宿泊施設に泊まっていた。たくさんの親戚とご飯を囲んだり、今後の話をしていると、残された孤独の輪郭が少しだけぼやけていく気がした。私は小さい子どもに戻ったように、ただただ部屋の隅っこで、うん、と頷くだけの時間を過ごした。
そのとき。夜通し長兄とじいちゃんとともに、蝋燭の日を絶やさないように見守っていた次兄が、ふと喫煙所から部屋に戻ってきた。そしてドアを開けるなり、私に言った。
「しいも。○○君が来てるぞ」
彼氏だった。
彼は受験勉強真っ最中であったので、告別式は参列できないと事前に聞いていた。その後、充電器を忘れた私のガラケーは暗くなりうんともすんとも言わなくなったので、ここに来るだなんて、まったく知らなかった。
真っ白で明るい、さよならの場所で。
まだ暑いだろうに、きちんと真っ黒な学ランに身を包んだ彼氏が、ぴんと背中を伸ばし佇んでいた。
私が静かに駆け寄ると、彼は振り向いた。
「これから予備校行くけど。……その前に、最後の挨拶したくって」
あと。会いたかったし。
彼は言った。
私に会うのがついでで。
父に最後の挨拶をするためにやってきた。
それが、彼の誠実さだと思った。
「お父さんの顔、見てあげて」
私は言った。
いいの? と、彼は言ったけど。私はそのまま彼の手を引いていき、父の棺桶の顔窓に手をかけた。
その小さな窓を開けるとき、彼が小さく息をのむのがわかった。
「…………寝ているみたい、だね」
その顔を見て。少しホッとしたように、彼は言った。私は、うん、と頷いた。父の身体は大きすぎて、その斎場にあった最大の棺桶をもってしても、非常に窮屈そうだった。でも、とても安心したような顔をしていた。
父は解放されたのだ。いろんなものから。しがらみから。この世から。誰にでも気を遣う毎日から。人には気を遣うのに自分には気を遣えない日々から。だからそれを恨んでも仕方がない。よかったのかもしれない。そうかもしれないよね。きっとそう。そうだよね。
でもさ。
さみしい。さみしい。さみしい。
さみしいよ。
「触ってあげてくれる……?」
私は彼の手を握り、そう言った。彼は、うん、と小さく頷いて、そっと父のおでこに触れた。冷たい。小さな声で、彼はささやいた。
そして彼は、書いてきた手紙をそっと、棺桶に忍ばせた。
『おじさんへ』
真っ白な封筒に、彼の居心地悪そうな文字が添えられていた。
彼氏は律義な男なので、けして調子に乗って、私の父に「お父さん」なんて、言わなかった。
「俺。おじさんのこの顔を一生、忘れないよ」
彼はそう言って、じっと穏やかな父の顔を見つめた。
そして、一本の線香をあげて分厚い手のひらを合わせ、ぎゅっと強く、目をつむった。
ああ。私は、この人と生きていきたい。
その学ラン姿の彼の背中を見て。私は思った。
今、こんなにもさみしくて孤独で死にそうだけど。でも大丈夫。この人がいる。まだ大丈夫。生きていける。
そう思った。
告別式は平日の昼間だったのに、多くの人が訪れた。
父は最後の年には小学校低学年の養護教諭をしていたので、小さな子どもたちも参列していた。たくさん黒い人がいる中でわけもわからず、親に手を引かれてやってくる子どもたち。その姿を見るたびに、私は胸を痛めた。
でも、同時に、救われてもいた。
「あ、しぇんしぇい(先生)、だ〜」
小さな男の子が、そう言って父の遺影を指さした。その子のお母さんは、ハンカチを握りしめながら「そうだね。先生に最後の、ご挨拶しよう」とささやいた。
「見てっ。しぇんしぇ~い、笑ってるねえ~」
そう言って。その子は、楽しそうにお母さんの腕に抱きつき、クスクスと笑った。
ほんとだね。と、その子のお母さんは言った。すごく素敵な写真……と言い、そっと涙をおさえながら。そして彼は、何度も何度も、父の遺影に手を振ったり、指差したりした。
私も、オカンも、兄たちも、思わずつられて笑った。同時に、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。ぽろぽろぽろぽろ、それは止まらなかった。
父が亡くなって間もないのに。葬式の準備は待ったなしで、遺影の写真をすぐに選ぶ必要があった。私たちはいろんなものをぐっとこらえながら、家じゅうのアルバムをひっくり返し、父の遺影候補を探した。その中でも、汗かきまくりで、でも、父らしくってすっごくいい笑顔をしている写真を、私たちは選んだ。最後の家族旅行のときの写真だ。たくさんの鯉に餌をあげて、すごいねえと言っていたときの場面。どの写真も父はその満面の笑みを携えていたけど、中でもすっごく良かった。
この写真にしてよかったなあ。私は思った。きっと、オカンも兄たちもみんなが、思っただろう。遺影を見て笑ってくれるだなんて、それ以上にそのときその瞬間、うれしいことはなかった。
「しぇんしぇ~い、またね~」
その子は、細くて小さな手をひらひらさせて、お母さんに手を引かれていってしまった。
ああ。よかった。
父が残したものは、確かに、彼の中で生きてる。
私は思った。
この先彼は、父のことを忘れてしまうかもしれない。
今日この日のことなんて、明日には忘れているのかもしれない。
だけど。
忘れない。
私は、ずっと。ずっと。この先も。忘れないよ。
彼が「しぇんしぇい」と私の父を呼んで笑ってくれたこと。
あの日。その声が、あの場に残されていた私たち家族を、救ってくれたこと。
父がこの世に残してくれたから知ることができた、あたたかさと、さみしさと、やさしさ。
そのすべて。
父の身体は白い煙になって高い空に舞い上がり、実体としては、ひどく美しい骨だけがこの世に残った。
「すごく丈夫で立派な骨です。こんなにも太く、綺麗に残ることはなかなかないですよ」
火葬場の職員の方がそう言って感心しきりだったのを、どこか誇らしい気持ちとともに、私たちは目くばせした。毎日お酒をあんなに飲んで煙草も吸ってたのに、健康だったんだね、なんて言いあった。
「お骨が骨壺に入りきらないため、恐れ入りますが、少し崩させていただきます」
失礼いたします。そう言って手をそっと合わせてから、大きな太ももの骨を職員の方がぎゅ、と骨壺に入るサイズに小さくした。そういうとき専用の棒みたいなもので、父の骨が崩される。
ザク、しゃく、じゃく。
生まれて初めて耳にする、不思議な音が火葬場に響いていた。
そうして、父の大きな体は私の手のひらに収まるサイズになり。私たちが過ごした家へと静かに帰ってきたのだった。
父の美しい骨は、四十九日を家で過ごしたあと。
電車と飛行機での最後の旅をともにしたのち、宮崎の海を望む丘に、先祖とともに納骨された。
そして、さらにその数年後。
名古屋の父方のばあちゃんが、息子が遠く離れた地にいるのが寂しいからと、(いつの間にか)名古屋に新しい墓を建てて、父の骨をそこへと移した。親戚同士の折り合いもあったり、なんやかんや色々あっての話だが、結果的には少しだけ、神奈川に近づいた。
だから、もう。
宮崎の海に、あの日私が残した相合傘が残っているかどうかを確認しに行くことはできない。
あの相合傘はどうなったろう、と、ふと考えることがある。
あそこは海風の強い場所だ。きっと、ベンチごと朽ちてしまって、なくなっているんだろうなって思う。
それで、いい。それでもいいんだ。
あの日の、私たちの孤独を丸ごと包んだ、荒々しい海風。それが愛の軌跡をたとえ打ち消したとしても。
私たちは生き続ける。
ただそれだけ。
私とオカンは、面と向かって「愛している」だなんて言わない。
「大好きだよ」「かわいい」「素敵だね」って、思ってても言い合えない。
いつもまっすぐに言葉を届けてくれた、なにもかも素直すぎた父とは違う。
だからこそ、父を愛していた。
大好きだった。
ねえ。オカンも、そうでしょ?
愛する人を愛しきった人間は、孤独だ。
もっと一緒に暮らしていれば。父の無駄口で嫌な思いをしたりとか、衝突することを繰り返して、少しは嫌いになれていたのかもしれないって想像する。
だけど、そんな隙もない。
それは父が完璧だったわけではなく、私たちが今ここでこれからも生きていくしかないからだ。
じゃあ追いかけたかったか、というと、今は、違う。
私は生きている。
そしてこの世界の片隅にはまだ、父が残した愛が残っている。
父が買ってくれたちょっとお高いランニングシューズ。
父お手製の、手羽元を使ったカレー専用のでっかい鍋。
私が毎日身につけている、オカンと父が愛を誓った大きな指輪。
父が残してくれた、たくさんの8mmビデオ。
私の、お酒に強く、たくましい健康な身体。
そして私の、子どもたち。
それらすべてが、父の愛を思い出させてくれる。
この世界の隅々に未だ転がる、愛のかけらたち。
それらを私たちは、拾ったり、そっと見つめたり、あえて見過ごしたり、たまに心の中に取り出して、丁寧になでたりしながら。
この残された人生を、もらった以上の愛で埋め尽くしたいと決意する。
あの日から私は、「残された人生の意味」を求めてもがいていた。
だけどそれは違うのかもしれない。
だって。そんなのさ。
求めたって、仕方がないよね。
私たちはただただ、残されたこの命を全うする。
そしてその道を歩きながら。
少しでも、父がもっと与えられるはずだった愛を、拾い上げては、ちりばめたり、心に大切に留めていく。
それだけ。
ただそれだけのこと。
いつか。ここではない世界でまた父に会えたとき。
やっぱり、最初は少し怒りたい。困らせてやりたい。
オカンといっしょに、父の首根っこをひねってやって「ギャー!」と言わせたい。
そのあと。この腕で強く強く、抱きしめたい。
「ありがとう」も「ごめんね」もきっと私たちには、意味がない。
ただ父の大きな身体を、力の限り抱きしめたい。
それだけ。ただそれだけ。
それをまた。「いつか、いつか」と考えて。
今日もまた、この世界で息を吸い、吐き、美しい景色を眺め、愛を育て。
生きていく。

やっぱりKONISHIKI氏にそっくり。
純日本人だけど。

誰が撮ったのかな。相当、イカしてる。

親指に光る父の指輪。
この指で父の首根っこをぎゅってやるんだ。
父よ。覚悟していなさい。
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