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平成最後の春。私の、天使がいた。



身長153センチ。
腹囲110センチ。



この異常な体型バランス、想像いただけるだろうか。…いや、やっぱり想像はしなくてもいい…。

この数字は、私の双子妊娠時の、最終測定値である。ちなみに体重は伏せさせていただく。ハズイので。

この測定値を証明する証拠写真はある。
が、あまりにもすごい体型で、なんならグロさすら感じる。人間のお腹はここまで伸びるのかという、恐怖にも似た感情が押し寄せるので、未だに見返すのは勇気がいるほどだ。

街を歩けば、
「もうすぐですか?」なんて言われることもあれど、大半は
「え…???」
「やば」
「でか」
と驚きの目で見られ、公共のトイレでは腹がつまってドアが閉められないこともあった。

少し歩くだけでも、お腹の重みに耐えかねて、足の付け根がぎしぎしと痛む。
立っていても、自分の突き出た腹の上にお皿が置けた。
本も開いて置くことができた。とても便利だ。
いや別に便利ではないか。首疲れるし。いつでも体中が凝っていた。
私は、そんな自分の体形を半分面白がりつつも、早くこの重みから解放されたい、という思いが強かった。

双子妊娠が発覚したとき。私は興奮と不安にまみれ、いろんなことを調べ漁った。
そこでは「双子はつわりが2倍しんどい」という情報も散見されたが
「いや。私は大丈夫だと思う」という謎の自信がこの胸にあり続けた。
1人目も2人目も、ほぼつわりと縁がなかったこともある。
自分の状況が滅多にないことであり、恵まれたものだと自覚するからこそ、弱音は避けていたのもあるかもしれない。
とにかく結果として、私はつわりを感じることはなく、最後までご飯をもりもり食べる妊婦だった。
単に運がよかったのか。つわりの真理は当然、わからない。

夫もオカン(実母)も義母も「双子が中にいるんだしそんなもんでしょ」と私のお腹を見て言った。
3兄弟の末っ子として甘やかされ慣れている私はとことん太った。そして順当に体重を増やし、20キロ以上体重が増えた。
結果、後半は検診のたびに怒られた。
その節はすいませんでした。(深々)



新元号「令和」

当時の菅官房長官がうやうやしく掲げた新元号『令和』。
それが発表されたのは、平成最後の4月が始まった日だった。
双子の出産予定日は、令和元年の5月中旬予定。

「令和元年BOYSだね」

私はお腹に向かって言った。

平成元年生まれの私。
平成元年生まれは、この「元年がんねん」の響きに誇りを持っている。(私調べ)
職場に、かつてギャルだった同僚がいる。平成元年生まれ同士と分かった瞬間、我々は固い握手を交わし
「やっぱ元年は最強っすよね」と通じ合った。
つまり、そういうことだ。(どゆこと?)

きっとこの子たちも……

「え、何年生まれって? まあ……元年っすね。令和元年」

少しイキってそんな言い方するんだろうな……と、まだ見ぬ私のBOYSに思いを馳せた。きっと、多少生意気ながらも、いい男になる気がした。




そんな令和BOYSを楽しみにしながら、のんびり散歩をして過ごした4月のある日の夜中。
なにやら、嫌な痛みが私のお腹でリズムを刻みだしていた。
ずくん、ずくん、とそれはお腹の右側を突いてくる。
前駆陣痛のようで、でもなんだか少し違うような……。

「今日、なんか痛い気がする……」

私は翌日に検診を控えていた。そして私は双子の普通分娩を希望していたので、日中に陣痛が来ればチャレンジできる、と言われていた。その病院は県内でも特に充実した施設と名医がいて、
「あなたならきっとイケる!」と言われていた。
私はすっかりその気になって「がんばります!」と普通分娩する気満々でいたのだ。

そんな中での痛み。
しかし当然ながら、私たちは迷わなかった。
「病院に電話しよう。カバン持ってくる」
夫は言った。私は病院に連絡。「すぐに来てください」と言われた。眠っている年子姉妹を夫に任せて、オカンと義母に連絡してもらい、タクシーに飛び乗る。

「母さんが来たらすぐに俺も行く」と夫は言い残し、タクシーを見送った。


病院で心音を確認してもらうと、どうやらお腹の右下側……生まれてきたら「兄」になる位置にいる子の心音が下がっていると言われた。

「すぐに産みましょう。帝王切開の準備をします。同意書にサインをいただけますか」

そう言われた。と、思う。
駆け付けた夫がサインしたんだったか、私が自分で書いたのか。記憶がない。

横になったまま手術着に着せ替えられ、手術室に運ばれた。
運ばれていく前に、病院に駆け付けていた夫が私の頬に手を添えた。彼はひどく心配なその色を隠して、「がんばれ。ダイジョブ、ダイジョブ……」と、ぎこちなく笑っていた。

「私、名前決めたよ」

彼を安心させたいと思って、私は言った。候補がある中で決め切れていなかった名前。ひとりは決まっていて、あとひとりの名前をずっとずっと迷っていた。
その瞬間に思ったのは、「強くたくましく、生きてほしい」ということ。だから、候補の中でも最も凛々しいと感じた名前に決めた。

「いいね。いいと思う」

夫は言った。
彼の表情がほどけたのを見て、私は安心して手術室に向かった。


双子の出産では、赤ちゃんを取り上げる人がたくさんいなくてはいけない。帝王切開になれば麻酔も必要だし、その分担当医師も増える。たくさんの看護師さんもいた。

「大丈夫ですよ。もうすぐ、会えますね」

病院の入り口で出迎えてくれた看護師さんが、手術中ずっと私の手を強く握っていてくれた。

その場には総勢8~10人くらいいたんだろうか。
医師の方含め、その手術室にいたのは全員女性だった。

「双子くんは、このハーレムの中にやってくるのね」

私のお腹にメスを入れる医師が、そう言って笑った。

「本当ですね。生まれた瞬間ハーレムかあ、いいですねえ」

私も笑った。
脊髄麻酔が効いていても、意識はハッキリとある。お腹にメスが入り、内臓をまさぐられている感覚。これで思わず吐き気をもよおす人もいるらしい。その理由がわかる気がした。人生の中で、できることならば経験はしたくない類のものだ。
でもその時の私は、我が子の誕生の瞬間にゆっくり意識を向けられる嬉しさと、空間の温かさに心が満たされていた。

「お腹を少し押しますよ! 赤ちゃん出ます!」

先生がそう言い、私は看護師さんの手をぎゅう、と握った。

弱々しく、その子は泣いた。双子の兄だ。
すぐさま、次の子のためにお腹が押される。
1分差でこの世に出てきた弟は、兄よりも強く泣いた。甲高い声だった。

兄には即座に呼吸器が付けられた。手で空気を送り込むポンプのようなもので、繰り返し酸素を送り込む。私はドキドキしながら、その様子を見ていた。

「少し、お兄ちゃんの呼吸が弱いので、NICUに行きます。でも、呼吸は弱いけどちゃんとできています、大丈夫。念のためです。弟くんもいっしょにNICUで一晩、様子を見ます」

看護師さんは笑顔を絶やさず、優しく言った。私はやや意識が遠のきながら「お願いします」と言った。
兄、2410g。弟、2222g。
「双子でこれだけあったら、立派よ」
と私は励まされて、ようやく少しだけ、泣けた。

令和まで、あと一週間というところだった。



NICUに双子がいる間。夫は義母や私のオカンと共に、その場に行って抱っこしたり、手を握ったりしていたそうだ。
私はNICUにいる間の双子に会いに行くことは、ついぞできなかった。

意識を取り戻して間もなく、24時間以上寝たきりになっていたのだ。

会いに行けない私のために、
NICUの看護師さんが写真をくれた。
コメントがなんかギャルみを感じて、いい。

後から聞いたが、私は1.5リットル以上出血したらしい。どうりで頭がいつまでもぼう、として、ベッドの上で身体を起こすだけでも眩暈がするわけだ、と妙に納得した。
基本的に丈夫にできている私も、帝王切開の前ではやはり痛み止めを使わざるをえない。背中からのびる脊髄麻酔の管は、抜く瞬間が一番痛かった。ひじの内側から伸びる点滴の管は何度も刺し直された。眠っている間にうっかり点滴が尽きてしまうことが多々あり、腕は腫れてひどく傷んだ。

4月だったからだろうか。
私が3度目の出産で、とても元気そうに見えたからだろうか。
奮発して取った個室部屋には、見習い中らしき医師や看護師さんがたくさん訪れた。新人の看護師さんは私の血管の取得に失敗し、最終的に太ももから採血された。めちゃくちゃ痛かったが、平気なフリをした。

生きるも生かすも、なんとも大変なことよ。
私は腫れた腕と痛む太ももを押さえながら思った。

それでも、産まれた子どものお世話は待ったなし。私が身体を起こせるようになったのを確認すると、助産師さんが速攻で双子を連れてきた。
身体は痛んだけれど、お腹にいた我が子をこの手に抱けることがやっぱり私はうれしかった。
焦らず騒がず、抱きたいときに抱き、休みたいときには休んだ。そして元気なときには、久しぶりに味わう新生児の匂いを、思い切り吸い込んだ。

場所を取るからといって、ひとつの保育器にニコイチで運ばれてくる双子。それがなんとも可愛かったのが、救いだった。

ふたりはニコイチ

小さい小さい双子を見つめているとき。
「早く家族全員で揃いたいな」と私は想った。

私が双子の、あまり変わり映えのない寝ている姿を送ると、夫は姉妹の写真を送ってくる。

「今日は近くの緑地に行ってきたよ」
「ママに会いたいって言ってる」

夫が送ってくる姉妹の写真は、4月の最後の光に照らされて、神々しく輝いていた。

「天使みたいだね」

私はそう送った。

「ママにあげるんだって、お花を摘んでたよ」


光合成がはかどる緑の下で、花を摘む少女たち。
それはまさしく、我が家を守る天使たちの光だった。

うちの天使たち
まばゆい光が目にしみた。



令和元年5月1日。
私は双子~平成LASTBOYS~をつれて、自宅に戻ってきた。

「赤ちゃんだ!」

もうすぐ4歳になろうとしていた長女は、肌身離さず握っているお気に入りのねんねを、双子にかぶせてあげた。
まだ2歳半だった次女は、急に赤ちゃんがふたりもやってきたことに対して、少しとまどうように不機嫌になる。それでも私が抱きしめたら、うれしそうに「ママ!」と笑った。
そしてすぐに、安心したようにお昼寝した。

長女のねんねで眠る双子

平成の最後の春。
令和の始まりの春。
私の大切な天使は、4人に増えた。

天使たちは泣き喚き暴れに暴れ、大きく育った。
気づけば天使は、もうひとり増えた。
あの春に駆け込みで生まれた平成LASTBOYSは、先日、6歳になった。

あっち向いてる、6。
片付かない家。日常。


いつか、双子はきっと誰かに聞かれるだろう。
「お前、何年生まれなん?」
そのときは、目いっぱい背伸びして答えてほしい。

「え、俺? 平成31年4月。平成最後の男……ってな」

これで、ウインクのひとつでもできりゃ上出来だ。
イキりまくりで、生意気で。きっとモテないだろうな。
パパみたいにさ。モテないけどいいヤツになるかもしれないな。
いいね。
その方がおもしれえ。

双子よ。子どもたちよ。
天使でいてくれて、ありがとね。
そしてこっからは。
ますます、おもしれえ人間になってくれよ。

大きくなればなるほど。

天使でいるだけじゃあ、きっと人生、もったいないからさ。








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