5児のまにまに|立ち止まり、たゆたう、春
「まにまに」の意味:
「〜に従って」「〜にまかせて」「〜のままに」といった意味があります。
そう。まさに私の生活は「5児のまにまに」。
不登校の長女あらば小学校に付き添い。
発達障がいの娘あらば資格を取り。
双子が「早くお迎えきてね」と涙すれば仕事をいそいでこなし。
三男が「でんしゃ!」と激ギレすれば、スマホを献上する。
5児の流れに身を任せ。育児の波をたゆたう、この日々を。
忘れないように記憶に残しておこう。
それがいつかの自分を、助けることになる気がするから。
我が家の2025年。春。現在。
長女:小学4年生。不登校。
次女:小学3年生。ASD、ADHD。個別支援級。
双子兄:年長。6歳になった。発達障がい疑いで療育へ。この春進展あり。
双子弟:年長。6歳になった。なわとび、体操、逆立ち歩き。ドンドン吸収中。
三男:2歳児クラス。イヤイヤ期真っ盛り。全身でイヤ具合を示す。
長女の日々が報われますように
長女は小学4年生になった。
4年生になっても、ずっと。
相変わらず不登校。
でも、新しい女性の担任の先生の提案で、交換ノートを始めた。
先生と長女だけの、交換ノート。
先日。
長女は先生からの「なに係がいいか、お返事に書いてね」のセリフに、
「ぬりえ係」と即答した。ノートに書くまでもなく。
「オッケー!じゃあ、ぬりえを作ってきてね」
朝。先生と少し話をして、ノートを渡すと、そのまま長女はまっすぐ私と帰宅する。
すぐに長女はぬりえを作った。

3年生のときにも、ぬりえを作ることで、会えないたくさんの友人が「すごいね」と言ってくれた。それを先生を通じて教えてもらってきたことが、彼女の自己肯定感を支えていた。
まじめな彼女は、一生懸命ぬりえを作った。
これがまた好評だと言われたら、また彼女は描くんだろう。

裏から写したりしていなくてこれは、
なかなかうまくないですか?
でも、ゲームの方がやっぱり好きなので、よくサボることもある。
次女とゲームをしている背中に「明日は学校どうするの」なんて聞くと
「あ。ノート書いてないし……まあちょっと、いっかな」なんて言う。
私はそれを聞いて「なんだよそりゃ笑」と返すけど、それだけ。
4年生にもなると、たくさんの大きくなった友人たちが彼女を囲うこともある。朝、友達に会ってたくさん話をしてくれる子もいれば、すぐに帰る長女を見て、不思議そうな顔をしている子がいるのも感じる。その人ごみの中で彼女の顔が、みるみる硬直するのもわかる。
だから私としては。朝、学校に行って、少し先生に会いに行くだけだけど、よく頑張ってくれているなって感じる。
これでいいのかなってもちろん、悩む。勉強なんて家でまったくしてない。
たまに私は焦って「漢字スキルくらいやんな?」と思い出したように言い出す。
「はーい」と返事はいいが、あんましやらない。(笑)
でも、いいと思ってる。
彼女はずいぶん、素直になった。
そして今の彼女には、たくさんの約束がある。
旅行行こうね。
また遊ぼうね。
いっしょにゲームしようね。
お買い物しようね。
今朝は、絵の具でまた絵を描こうねと約束した。
そんな日々を繰り返していくことで。
少しでも彼女の心が救われていますように。
ママは、ただ、それだけを願ってるよ。

カラピチのるな。
次女の「怖い」に寄り添いながら
「怖い夢を見たから、行きたくない」
次女はそう言って、泣いて学校を嫌がるようになった。2年生の終わり頃からだ。
「算数、ぜんぜんできない。わかんないよ」
ひとつのきっかけは算数。
かけ算の歌は楽しそうに歌うけれど、文章題が問うことの意味があまりわからない。
他にも、個別支援級の人数が増えたことや、友達同士の仲が悪くそこに挟まれがちなこと、そして長女は学校に行ってないことも合わせて、色んなことがあったんだと思う。
不安が押し寄せて寝つけずに、夜のリビングに降りてくるようになった。
自分がしてあげられることは、しているつもりだ。
それでも、学校に行くかどうかの最終的なところは、彼女に委ねるしかない。
実は親がしてあげられることなんて、受け止める、それくらいしかないのかもしれない。そう感じる。
けれど、それがきっと大切なんだ、とも信じたい。

私は4月から仕事をさらに時短にして、6時間勤務。
とはいえ正社員で、14年も働いていれば、給料が減っていたって当然、関係なく忙しい。
その合間を縫いながら、朝は小学校の教室を行ったり来たり。
長女の教室で「すいません」
次女の教室で「またなにかあれば電話お願いします」
いったん家に帰って夫に「じゃあよろしく」
職場に着いたら「遅くなりました」
正直。
私も、疲れる。
迷惑をかけているなと実感する。
日々って。しんどいねえ……。
そんなとき、おもむろに旅行の計画をたてがちな髙塚家である。
5月の末には、長女が10歳になる。
「お祝いもかねて。旅行行こうか」
私が提案すると、みんなが「大賛成!」してくれた。
「ぼく、じゃあ、旅行のためにがんばるよ」
次女はそう言って、がんばって学校に行き出した。
朝、挨拶だけして、長女とまっすぐに帰ることももちろん、まだまだある。
でも、彼女たちの「楽しみな予定」が増えて。それが彼女たちの糧になる。
うむ。ならば私も、がんばるしかないなぁ。

それができるのがすごいんだよ。
次女の背中を見て、私もまた励まされる日々である。
三男のとびひが治らなかった結果…
イヤイヤ期真っ盛りな三男。
むしろ、けっこうしゃべるようになり、
「ちがうよ?こっちだよ?」期である。
さも、こちらが間違ってるかのような言い方をされる。
……なんかイヤなのである。

保育園のヤツじゃないと
「ちがうよ?こっちだよ?」なのである
そんな三男くん。
肌が荒れやすく、とびひが悪化してしまった。
頭にできたもので、隠せないから登園もできないと言われてしまい、登園できず…。
「三男くん、かわいそう……心配だから、双子兄くんもお休みするね!」
ものすごい笑顔で双子兄は言った。調子のいい奴め。
そしてやむなく……

三男君、坊主デビュー。
子ども用のバリカンで、一気にいきました。
かわいいお坊ちゃま風ヘアだった三男。
でも、刈ってみると……
めっちゃかわいい!と、家族に大好評。
頭の形もきれい、触り心地もなめらかで、これでとびひにも効果的ならばもう最&高なんである。
「なにをしてもカワイイよね」と、長女・次女。
わかる。わかるなあ。
そう言うあなたたちも、カワイイしなあ。

この後、三男氏ブチギレである。(安定)
双子の未来~兄の療育の結果~
今年の2月。
療育にて、双子兄の心理検査。
3月には結果が出ましたと言われたものの、予約の関係でようやく先日、聞いてきた。
結果は、軽度の自閉症スペクトラム障害。
次女と同じだけど、予想外なのは「ADHD/注意欠如・多動症」の判定は出なかったことだ。なかなかじっとできない、すぐに思ったことを実行してしまう。ということを、保育園でも報告を受けていたし、私たち夫婦の間でもとくに懸念していたことだった。
しかし問題はどうやらそこではなかった。
不注意傾向が大きかった次女よりも、IQは大きく下回ったのだ。
検査内容の中には、2歳レベルの内容でも厳しいものもあったのが響いたらしい。
このIQだけではすべてのことを測れるわけでもない。けれど、当然ながら多少のショックはあった。
───だけど。
これで、双子兄のなにかが変わるわけでもない。
驚きさえあれど。私たちの芯がぶれることはなかった。
彼は「クラスの中でも一番にやさしくて、たくさん友達に声をかけてくれます」と、どの先生にもいつも言ってもらえる。
お調子者だけど、愛される素養もある。
誰にでも「こんにちは」しちゃうけど、そうやって世界を広くしていける器がちゃんと育っている。
彼のいいところ。
たくさんたくさん、私たちは知っている。
だから、もっともっと彼のことを知って、彼の根っこを思いっきり伸ばしてあげよう。
土を耕し、いろんなものを混ぜこんで。彼に、世界がいかに面白いのかって、伝えたい。

結婚式のようなポーズをしてしまう双子
でも、私が懸念していることがひとつある。
双子弟と、離れてしまうことだ。
夫と私の中では、次女と同じく、双子兄は個別支援級に通うのがいいだろうという見立てだ。次女が2年以上通っている同じ小学校は、近隣の学校でもかなり支援級のサポートが手厚いことでも評判らしい。次女も、不安はあるけど学校が大好き。私も、長女が不登校ではあるけれど、常に最善を尽くしてくれるこの小学校が好きだ。だから、不満も不安も基本的には、ない。
だけど、双子のクラスは必然的に、別れてしまう。
それは、もし普通級だったとしてもそうだけれど。
双子は生まれたときからいつでも、いっしょだった。
0歳で入園し、あっという間に6歳になった。
双子兄はいつでも「双子弟く~ん」とべったり。双子弟は、最近ひとり遊びの時間も目に見えて増えてきて、思春期に近づいているのを感じる。けれど、それでも、いつもそこに片割れがいることが当たり前。
なんだかんだで、彼が爆笑するのは、双子兄といっしょに遊ぶ瞬間なのだ。
そしてひとりが休みなら、もうひとりもお休み。
ふたりはニコイチ。
でも。小学校はクラスは違う。
そして、在籍も違う。
いつ。聞かれるのかなあって、思う。
「ぼくらは双子なのに、どうして違うの」って。
「双子弟くんとぼくはなにが違うの」って。
そのときは、できる限りの本当のことを伝える。
双子だけど、双子兄くんと双子弟くんは、違う人間だってこと。
でも、在籍が違っても、双子なのは変わらないよってこと。
それぞれのいいところがたくさんあって、同じように苦手なこともたくさんあって、それは二人ともおんなじなんだよってこと。
クラスは違っても、これからも支えあって、家族として生きていくんだよってこと。
ほかにも、たくさん。
そのとき、そのときの、彼らにわかる言葉で。
彼らの目を見て。
その温もりを抱きしめて。
ふたりの手をつなぎ合わせて、伝えていきたい。
そう思ってる。
ねえ、わかる?
家族がいれば、きっと大丈夫だってこと。
どんな形になっても、家族はここにあり続けるよってこと。
───きっと、わかってるよね。
お互いが大好きなふたりにはきっと、わかってくれると信じてる。


これからも先の見えない生活。
5児の揺れが大きくなったり小さくなったりしながら、今日も明日もこの日々のまにまに、生きていく。
気がついていないだけで、今この瞬間、私は大きな嵐の大波にのまれているのかもしれない。
でも、私は心配していない。
私の隣には、強くこの手を引く夫がいる。
夫と私の見つめる未来は、いつも同じだ。
同じ光を、嵐の中でも見失わずに、ここまでやってきた。
だからこの先もきっと大丈夫。

旅行にも持っていくぞ!とのこと。

これで爆笑できるんだから平和よね。

心の中で、なんどでも。
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