note 2025.11.8〜11.15
11月8日 土曜日
一周忌。
父の一周忌の日にもかかわらず、朝から母と軽く小競り合い。私が悪いのは分かっている。
◇
霊園の待合室。
私たちの前には二つのお家が納骨をしている。
順番を待つ。
誰もいない、広々とした待合室はがらんとしている。自動販売機が3つあって、その前の椅子に私服のおじさんが腰掛けている。オレンジのジャケットで綿のパンツ、礼服ではない。
受付のおばちゃん達が小声で会話をしている。
半年前の納骨式を思い出す。土砂降りの雨の日で、風が強かった。父は、納骨されたくない、まだ実家にいたいって言ってたのかな、とよく話す。
母は先に父に会いにお墓に行った。何か話してるのかもしれない。
今日は曇り空。風が強い。
親戚が集まる中で、線香に火はつけられるだろうか。
◇
夜はエキストラで撮影に参加した。
合間にマーケティングの勉強を進める。眉間に皺よる。キレながら勉強してる節ある。
勉強のことは置いといて、やっぱり創作現場にいたいなー、なんて思った。
◇
昼間は聖歌を歌って、夜はホテル街繁華街を闊歩して、1日で世界の色がめまぐるしく変化した、気分。
11月9日 日曜日
雨
気圧しんどい
◇
朝目が覚めたら家を出る時間だった。あわてた。
11月10日 月曜日
晴れ。
◇
久しぶりにアイシャドウの付属チップを使った。チップの平らな面をまぶたにそわせたい衝動に駆られた。
うまく塗れたかは置いといて、ひとつの欲が満たされて満足した。
たぶん、わたしは、結果も大事だけど同じくらい過程を大事にしたいのかもしれない、なんて思った。結果がどんなによくても過程で苦い思いをしたら、いつまでも引きずるような気がする。
◇
マーケ領域においてかもしれないけど、戦略と戦術は違うらしい。学び!
11月11日 火曜日
ポッキーの日
◇
去年のことを、思い出す。
撮影前日の11月9日。美容院の帰りに、母と電話。嫌な予感がした。明日の撮影が終わってから、詳しく聞きたい、と伝える。今は聞きたく無い、明日の撮影に響きそうだから、なんて、勝手な理由で突っぱねてしまった。焦った様子の母。嫌な予感が的中しそうだったので、少しだけ、聞く。父の容態が急に悪くなった、入院したことを知る。抗がん剤が終わってから、特に10月はずっと体調が悪そうだった、と。11月10日、朝から撮影する。撮影現場にいられたことで現実のことを考えなくて済んだ。撮影終了後、すぐに母に電話をした。実家へ戻り、詳しく聞く。そのときのことはほとんど覚えていないけど、ずっと泣いていた気がする。11月11日、仕事を休ませてもらい、病院へ行く。10日、「しほみは?しほみはいつ来るの?」とずっと言っていたらしい。お父さん、ごめんね、自分のことばかりで、ごめんね、そんな気持ちを抱えて、病院へ向かった記憶。父は、話すことも苦しそうな状態になっていた。管が繋がれ、自分で呼吸ができず、1人では立ち上がれない状態になっていた。声を掛けても、反応が薄い。体が痛い、と言って、引っ張って起こす。
「びっくりしてるでしょ。でも、お父さんが一番びっくりしてるんだからね。」と言われた。泣いちゃだめだ、と必死に堪えて無理やり笑顔を貼り付けた。役者やってて良かった、と思った瞬間だった。「また明日来るね」と声を掛けて、病院から出た。
◇
今日、日本テレビアナウンサーの菅谷さんの訃報を聞いた。
父の病気が発覚してから、同じ病気を患っていた彼の存在に、何度も心が救われていた。大丈夫、きっと大丈夫って。あの人もがんばっている、元気に過ごしているから大丈夫だ、と、勝手に心のお守りにしていた。
面識が全く無い人、ましてや有名人の訃報にこんなに動揺するとは思わなかった。
菅谷さん、これまでたくさん希望を与えてくださってありがとうございました。ゆっくり休んでください。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
11月12日 水曜日
いつもお世話になっている皆さんに何かあげたい!と思いお店を物色してみたけど、考えすぎた結果、何も買えなかった…ううう
11月13日 木曜日
毎週の確認テストと月1の成績考査を受けたら、やることがなくなってしまったので、久しぶりにのんびり過ごした。eラーニングなので自分の好きな時に学習できるのが良いところ。早め早めにやるとこんなに余裕なのか…次のユニット動画の解放が明後日なので、とりあえず復習とプレゼン資料のブラッシュアップとそのほか諸々進めておこう…
◇
久しぶりに時間ができると、手帳を開いてスケジュール確認するんだけど、11月と見ると、どうしても去年のことを思い出してしまう。去年の今頃、父はまだ生きていたなぁ。母の代わりに昼から夜までずっと病院にいたなぁとか、先生に姉と2人で呼び出されたのって去年の今日だっけ?とか、12日だったかな。父が年内持つかどうか、と母から聞かされていたところ、先生から「お二人には本当のことを言えなかった」とのことで、今月持つかどうか、もしかしたら今週か来週か、と言われた。緩和ケアに同意するかしないか、するということはつまり、延命治療を諦めるということで、その選択は本人では無く家族に委ねられる責任、自分の意思と家族の意思と何より父の意思が同じでは無いから、生きていて欲しい、と言うのは自分の我儘かもしれない、ボロボロ涙流して震えながら同意書にサインをした。そのあと母がサインをした。涙が止まらなかった。その時のことを思い出して今日はずっと泣いていた。時間が出来ると、まだ駄目なんだな。今日は姉と会って、月末のイベントの話し合いをした。「去年のこと思い出しちゃうんだよね」と言ったら「そうだよね」と姉がつぶやいた。
11月14日 金曜日
去年のことを、出来るだけ思い出すようにしている。
思い出せば思い出すほど苦しくて切なくて寂しくて涙が止まらなくて、これは自傷行為と一緒じゃないかと思った。
でも、思い出さないと忘れちゃうから。記憶が時間に溶かされるから。無理矢理にでも思い出して文字にしておかないと、父が存在していたことが消えて、無かったことになってしまいそうだから、痛くて苦しいけど、思い出す。
そう、去年の今日、父が病院から帰ってきた日だ。
五反田の病院から実家まで介護タクシーに母と乗る。無言で重苦しい空気が流れる車内。胸が苦しくなったので父が大好きなサザンを流した。看護師さんとサザントークを交わす。「なんの曲が好きですか」と聞かれて「いとしのエリー」と答えた父。相模川にかかる橋にさしかかったとき、母が父に声を掛けた。「平塚だよ!もうすぐ着くよ!」と。涙が溢れそうだった。堪えた。自分の死を悟らせてはいけないから。
確か、午前中だかに介護ベッドが実家に届いたんだったよな。ストレッチャーがエレベーターに乗らないかもしれない!と管理人さんに相談しに行ったりしてて。
介護ベッドに移る前に父に「ねぇ」と声を掛けられる。「ほれ」だっかも、覚えてない。「写真」と。なんでいつも私にはそんな強気なんだよと心の中で悪態つきながら写真を撮る。ピースをする父。そうだよね、ずっと帰ってきたかったんだもんね。帰ってきたかった家に、やっと帰ってこれたんだもんね。
訪問介護の先生や看護師の方、介護士の方、色んな人と輪になって玄関で話す。父の現状と今後について。症状が深刻なので、覚悟しておいてください、と。姉と私は病院の先生から事前に聞かされていたけど、母はそのとき父があとどれくらいであるかを初めて知って動揺した、とその日の夜に言っていた。
でも、今後のことは分からないよね、明日かもしれないし、明後日かも、1ヶ月後かも、年内かも、もっとかも。それは分からないから、出来ることをしよう。父の寝息を聞き、そんな話をしたような気がする。
夜に何度も起きて声を掛ける父。
何度も起きて答える母。
これから大変な毎日が始まるんだ、と思った。
◇
やばい、急にお金の不安がのしかかってきた。ねむれない。
11月15日 土曜日
今朝は睡眠時間が短かったせいか、それともひたすらパソコンと向き合っていたせいか、ず」ーーーっと目がしょぼしょぼしていた。重たい…
やることがあると重たい気持ちを忘れられて良いのかもしれない。
去年の今日は、「父の介護が始まる、ああこれから大変な日々が続くぞ」と覚悟を決めた気がする。
