明日死ぬとして、後悔があるか?なんのために生きるか、という話
明日死ぬかもしれない。
いつ死ぬかなんて、誰にもわからない。
「もし明日死ぬとして、私は何を後悔するだろう?」
たまに考えるのですけども。
え。
悔い無し。
…え?
いやいやいや、なんかあるだろ、無かったっけ、
と一生懸命考えるのですけども、
思い浮かばない。参った。
思い起こせば、
たくさん遊んだし
勉強もしたし
歌も歌ったし
演技もしたし
ゲームもしたし
漫画も読んだし
本も読んだし
曲も作ったし
恋もしたし
失恋もしたし
うん、なかなか濃くて良い人生だったなあ。
〜完〜
(😌安らかな顔…)
…となってしまう。
苦しみもそれなりにあったし
喜びもそれなりにあった。
これ以上、何をすれば良いんだろう。
なんだか、寿命を無理矢理に
引き伸ばしている気分になる時があります。
そんな事はない…と、思うのだけど。
そういえば、昔読んだスピリチュアル本で、
自殺した父親の魂が、上に登って行く時?に、
後悔している描写がありました。
死ぬべきではなかった!
みんなが悲しんでいる、
愛する妻が、愛する子どもたちが!
…みたいな。
たぶん、ブライアンLワイスの『前世療法』かな?
(スピリチュアル本、読みすぎて記憶が定かでない)
あと、病気だか事故だかで
死にかけて上に登りつつある魂が、
「まだ、自分はその時じゃない!」
って戻って行ったりとか。
その例でも、
「自分の子どもがまだ自分を必要としているから」
といった理由だったと思います。
なんだろ…
人って、自分の欲望を求めて、
ある程度までは
生きていきがちなのかもしれないけど、
結局それだけだと、
行き詰まるように出来ている…?
「誰かのために生きる」ように
魂にプログラムされているのかなあ
なんて思ったりします。
もしかしたら、もう自分は、
自分のためだけに生きる段階じゃないのか…?
もうそろそろ、
人生の後半へ向けて動き出しているのかなあ。
そう考えると、少し納得というか、
それならまだ生きてやらんでもない、
みたいな気持ちになってきます(上から)。
どうせ死ぬなら、誰かのために
何かの役に立ってから、
死んでも良いのかもしれないなあ、
なんて、思いました。
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