第2回|「現場が何とかする」という設計ミス― 善意を前提にした瞬間、組織は壊れ始める ―(思考停止②:善意を前提条件に置く)
この連載が扱っているもの
この連載は、
不祥事や大失敗の話ではない。
むしろ、
**「一見うまくいっている組織」**が、
なぜ静かに壊れていくのかを扱っている。
数字は出ている。
評価も悪くない。
それでも内部では、判断が歪み、学習が止まり、
「頑張れる人」だけが消耗していく。
その原因として、この連載が焦点を当てているのが、
善意を前提にした設計と、そこから生まれる思考停止だ。
「今回はイレギュラーだから、現場で何とかしてほしい」
「細かいところは、現場の判断でうまく回して」
この言葉を、あなたは何度聞いたことがあるだろうか。
一見すると柔軟で、
現場を信頼しているようにも聞こえる。
だがこの一言こそが、
組織設計上の致命的なミスであることに、
気づいている人は少ない。
■「現場が何とかする」は、判断の放棄である
まず明確にしておきたい。
「現場が何とかする」という言葉は、
裁量の委譲ではない。
責任と判断の未定義化である。
何を守ればよいのか
どこまでやってよいのか
どの時点で止めるべきなのか
これらが設計されないまま、
「善意」と「頑張り」に委ねられる。
結果として現場は、こうなる。
「やらなければならない気がする」
「断ったら空気が悪くなる」
「誰かが困るなら自分がやるしかない」
これは自律ではない。
追い込まれた状態での善意の強制だ。
■ 実例:うまく回った“ように見えた”プロジェクト
そのプロジェクトは、
最終的に成功扱いでクローズされた。
納期は守られ、
クライアントの評価も悪くない。
上層部からは
「現場の踏ん張りに感謝する」という言葉が送られた。
だが、その裏側では、
設計上の前提がいくつも崩れていた。
仕様確定が遅れたままスケジュールが動いた
誰が最終判断者なのか曖昧だった
リスク判断は「現場で吸収する前提」になっていた
それでもプロジェクトは止まらなかった。
現場が、止めなかったからだ。
休日対応、担当外業務の肩代わり、
本来レビューされるべき判断の“自主判断”。
それらはすべて、
「今回は特別だから」という一言で正当化された。
結果として、プロジェクトは完了する。
報告書には、こう書かれた。
「イレギュラーはあったが、
現場の工夫により問題なく対応」
この一文によって、
設計が間違っていた可能性は完全に消えた。
■ 現場で「何とかした」本人の独白
正直に言えば、
あのとき「止めます」と言う選択肢もあった。
でも、言えなかった。
今さら?と思われるのが嫌だったし、
自分が止めたせいで遅れるのも避けたかった。
それに、
「自分なら何とかできる」という気持ちもあった。
結果として、何とかなった。
少なくとも、表面上は。
だから褒められた。
「頼りになる」「現場力がある」と言われた。
でも、終わったあとに残ったのは、
達成感よりも、妙な違和感だった。
次も、同じことが起きる気がしたからだ。
しかも次は、
「前もできたよね?」という前提付きで。
あのとき頑張った自分が、
次の無理の根拠になる。
その瞬間、ようやく理解した。
――これは成功じゃない。
――設計の穴を、善意で塞いだだけだ。
■ 管理職側の内心独白
― なぜ、設計を直さなかったのか ―
正直に言えば、
設計が甘いことには、途中で気づいていた。
判断ラインが曖昧で、
現場に負荷が寄っていることも、分かっていた。
でも、今さら止められなかった。
ここで設計を見直せば、
スケジュールは引き直し。
関係部署への説明も増える。
そして、自分の判断ミスが表に出る。
「次はちゃんとしよう」
そう思って、今回は現場に任せることにした。
現場は優秀だ。
これまでも、何度も乗り切ってきた。
実際、今回も乗り切った。
だから、自分の判断は
間違っていなかったはずだ。
少なくとも、結果は出ている。
それに、
「現場を信頼して任せた」という説明は、聞こえがいい。
だが、心のどこかでは分かっている。
自分は、
設計の問題を現場の善意で先送りにしただけだということを。
■ 善意は、前提にした瞬間に“負債”になる
善意そのものが悪いわけではない。
問題は、
設計の前提条件に置いた瞬間に、
それが負債へと変わることだ。
うまくいけば
→「やっぱり現場は優秀だ」うまくいかなければ
→「工夫が足りなかった」
どちらに転んでも、
設計は検証されない。
善意がある限り、
設計は正しいことにされる。
■ 「成功に見える失敗」という共通軸
第1回で扱ったのは、
理念がスローガンになった瞬間だった。
第2回で扱っているのは、
善意を前提にした設計だ。
共通しているのは、これだ。
失敗が露呈しない
誰も悪者にならない
むしろ頑張った人が称賛される
その結果、
直すべきものが直されないまま固定化される。
善意は、
問題を壊す力ではなく、
覆い隠すための道具になる。
■ 次回予告
次回は、
「記録しないほうが楽」という誘惑を扱う。
理念は判断に使われず、
設計の穴は善意で塞がれ、
やがて「残さないこと」が最も平和な選択肢になる。
それは、
失敗が起きない組織ではない。
失敗が観測できなくなった組織だ。
本記事は著者個人の体験と考察であり、医療・宗教・政治・軍事等とは関係ありません。
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