イヤイヤ期とはブレーキのないポルシェである、と脳科学が言う理由
イヤイヤ期の正体とは!?
2歳児にとって、
バナナが折れることは、
世界の終わりでござる。
大げさではない。
まことじゃ。
今朝の出来事を、
聞いてくだされ。
朝食。
長男坊が
「バナナヨーグルト食べたい」と申した。
うむ。
今日は機嫌がよさそうじゃな。
拙者はよーぐるとを深皿に入れ、
目の前でばななを一口大に切り、
ぽいぽいと放り込んでいった。
完璧な「ばななよーぐると」の完成じゃ。
そう思った、次の瞬間。
「いやあァァァァァァァッ!!!」
……え?
超絶激怒。
なに?
なにがいかんのじゃ?
「切ぃーらぁーなぁーいぃーでぇー
ほぉーしぃーかっったぁぁぁ」
どうやら、
切ったのがいかんかったらしい。
いや、ばななよーぐるとは
食べやすいように切って
よーぐるとに入れるじゃろうもん……。
「じゃあ拙者がこれ食べるから、
もう一本新しいの、
そのままあげるでござるよ?」
「いらない」「違う」
「さっきのを切らないでほちかった」
……さっきのを、
切らないでほちかった。
どゆことじゃ。
お主。それはもう、
時を戻す以外の解決策がないでござるよ。
この「ばなな事変」。
実はどこの家庭でも
日常的に勃発しておる。
「ばななむいて」と頼まれ、
むいたら
「自分でむきたかった!」と号泣。
青い皿を出せば
「赤がよかった!」と激怒。
ばななにしても、
「腹に入れば同じばなな。」
……という大人の正論は、
1みりも通じぬ。
「わがまますぎるのでは」
「育て方が悪いのか」
そう自分を責めた夜が、
拙者には何度もあった。
しかし、でござる。
脳科学を覗いてみたら、
この「ばなな絶望」の正体が
はっきり見えてきたのじゃ。
あの子の脳内で、何が起きておるのか
ブレーキがないポルシェ
人間の脳には
大きく2つの装置がある。
ひとつは
「扁桃体(へんとうたい)」。
感情のあくせるじゃ。
嬉しい!
悲しい!
怒り!
喜怒哀楽をどかんと爆発させる装置で、
これは生まれた時から
がっつり稼働しておる。
もうひとつは
「前頭前野(ぜんとうぜんや)」。
理性のぶれーきじゃ。
「まぁいっか」
「しょうがないな」
「次はこうしよう」
こうした気持ちの切り替えを司る。
ところが、でござる。
この前頭前野、
2〜3歳の時点では
まだ基礎工事中なのじゃ。
完成するのは、なんと
「20代。」
つまり、今のあの子の脳は、
超高性能なえんじん
を積んでおるのに、
ぶれーきが無い。
ブレーキがないポルシェ。
そりゃあ、
暴走するわ。
走り出したら止まらない
「バナナが折れたら世界の終わり」は、
決して理不尽なわがままではない。
普通ついてるだろう、という
ぶれーきが届いてないだけ
なのでござる。
脳内の「設計図」がずれた瞬間
もうひとつ、
大事な話がある。
「認知的柔軟性」
というやつじゃ。
難しそうな言葉じゃが要は、
「まぁいっか」と
切り替えられる脳の力
のことでござる。
2歳児の脳内には、
ものすごく精密な
「設計図」が描かれておる。
たとえば今朝の場合、
「自分の前に、
まるごとのばななが来て、
それをヨーグルトに入れて食べる」
という完璧な設計図が
息子の脳内に出来上がっておった。
そこに拙者が現れ、
ばななをバラバラに切った。
(良かれと思って)
この瞬間、
あの子の脳内で何が起きたか。
設計図と現実がずれた。
しかし、
前頭前野が基礎工事中なので
設計図の修正もできぬ。
「まぁいっか」が、できぬ。
結果、脳が
「致命的な暴走」
を起こしたのでござる。
「さっきのを切らないでほしかった」
あの言葉は、
わがままではなかった。
正論は、再起動ぼたんにならぬ
ここで拙者たち親が
やりがちな過ちがある。
正論で説得しようとすること。
「お腹に入れば同じでしょ」
「わがまま言わないの」
「もう一本あるでしょ」
気持ちはわかる。
拙者も何百回とやった。
しかし、でござる。
これは、
ふりーずした古いぱそこんに
向かって怒鳴っておるのと同じじゃ。
「動けーっ!」と叫んでも、
画面は動かぬでござろう?
あの子の脳は今、
その状態じゃ。
論理を受け付ける状態にない。
じゃあ、どうするか。
えらーの内容を
「実況中継」するだけでよい。
「自分でむきたかったんだね」
「切らないでほしかったんだね」
「悲しかったね」
これ、嘘かと思ったら
効果てきめんじゃった。
子どもの感情を言語化してやることで、
暴走中の扁桃体が
少しずつ落ち着いていくそうじゃ。
いわば、
脳の「再起動」を手伝っておる
のでござる。
解決しようとしなくていい。
正論を言わなくていい。
ただ、
えらー画面を読み上げて、
再起動を待つ。
それが最適解じゃ。
お主は「責められておる」のではない
最後に、
これだけは言わせてくだされ。
あの子らは、
お主を困らせたいわけではない。
攻撃しておるのでもない。
ただ、
処理しきれずに
ぱにっくを起こしておるだけ。
そしてな。
ばななごときで
この世の終わりのように絶望できるのは、
「自分の期待」を
しっかり持てるようになった証拠
でもあるのじゃ。
「こうしたい」
「ああしたい」
という自我が、
猛烈な速さで芽生えておる。
あの泣き声は、
反抗ではない。
「ぼくには、
こうしたいって気持ちが
あるんだよ!」
という、
成長の叫び声じゃ。
ぽるしぇのえんじんが
うなりを上げておる。
ぶれーきは、
これからゆっくり届く。
20年かけて届く。
納品を気長に待とう。
だから今は、
暴走しても当たり前。
えんすとしても当たり前。
お主の育て方が
悪いわけでは決して、ない。
あの子の脳が、
順調に、猛烈に、
育っておる証拠でござる
明日の朝も、
きっとまた
何かで泣くでござろう。
ばななが折れるか、
皮を先にむかれるか、
皿の色が違うか。
予測不能じゃ。
その時、
お主の脳内にこの言葉を
一個だけ置いておいてくだされ。
「ああ、ブレーキないんだった。」
それだけでいい。
原因がわかると、
ほんの少しだけ、
心に余白ができる。
その余白の分だけ、
声が柔らかくなる。
その柔らかい声で、
実況中継してあげれば
あの子の再起動が早くなる。
正論はいらぬ。
説得もいらぬ。
ただ、隣に座って、
「むきたかったんだね」
と言ってやれ。
それがお主にできる、
最高の「再起動ぼたん」じゃ。
ニンニン!
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