ぼくは漫才をする
これまでの人生でいちばん楽しかった出来事は何だろうか。ぼくは大学の放送サークルで音声ドラマを作っている。自分で企画を立てて、脚本を書いて、演出をしている。その中でも演出をしている時、ぼくは特に「楽しい」と感じる。それがいまのぼくにとっていちばん楽しい時間かもしれない。でも、振り返ってみると、それ以上に「楽しい」と感じる時間があった。それは漫才をした時だ。ボケ役になって漫才をした時だ。
二年生になったばかりの4月、ぼくがプロデューサーに就いて内部発表会を開いたことがあった。他大学からのお客さんを原則として呼ばず、部員が部員に対して番組・作品を披露するという内輪の発表会である。発表会というよりは「余興」に近い。まあ、一年生の新入部員+入部検討者へのウェルカムパーティーを兼ねた部内レクリエーションだ。
もちろん、ぼくはその内部発表会で自作の音声ドラマも上演したが、それ以外にも番組を企画・制作した。そのうちの一つが「漫才」だ。それはお笑いサークルがやることであって放送サークルがやることじゃないんじゃないかという声も上がったが、まあ、これはあくまでも内部発表会なのだから別にいいんじゃないかという話でまとまった。どうせ漫才の予定枠は5分程度にすぎなかったしね。
ぼくはサークルではいつも裏方を務めている。音声ドラマの脚本と演出、ウェブ番組の構成を担当してばかりで、自分が出演者の側に回ることはまずない。ただ、ぼくは、自分にはエンターテイナー(古語)としての才能もあることを知っている。実際、部室や居酒屋でのぼくは「受け」ではなく「攻め」として活動している。それには放送サークルに入部するやつは内気なオタクっぽい連中ばかりだから自分が「攻め」に回らなくちゃいけないという事情もあるけど、結局、ぼくは人前でパフォーマンスするのが本来は好きな人種だってことなんだろうな。
ぼくはお笑いを「見る」としたら漫才よりコントが好きだが、でも、もし自分が「やる」としたら漫才だと決めていた。コントをやりたいなら、朗読劇タイプ(演劇スタイル)の生ドラマとして上演したほうがいい。つまり、ぼくが普段やっていることで事足りる。ぼくは漫才をやってみたかった。それはぼくにとって未知の領域ながら、パフォーマーとしてのぼくの個性を発揮できる表現形態のような気がしていたからだ。
漫才のネタの台本はぼくが書くとして、問題は相方探しだった。ぼくはボケを担当するつもりだったので、ツッコミ役がほしかった。気を遣いそうだから先輩とはコンビを組みたくない。同期の新二年生の中から探すしかない。気心の知れたやつなら何人もいるが、でも、漫才の相方となるとちょっと違うんだよな。ぼくはまあまあスピーディーな掛け合いの漫才をやってみたかった。それができるような同期なんているだろうか。
部室で部員名簿を眺めてみる。「真井洋人」という名前を見つける。誰だろう。見たことも聞いたこともない。同期の宮田に尋ねてみたら、劇団(大学の演劇部)と兼部していて、そっちで役者として頑張っているらしい。一年生の初めの頃はたまにうちの部室にも来ていたそうだが、逆にぼくは一年生の春学期は放送研究会ではそこまで積極的に活動していなかったので、真井とめぐり会わなかったのだ。その存在すら知らなかったのだ。
大学の劇団に所属しているのか。伊勢崎香莉奈(ぼくの同期の放送研究会部員)と同じ劇団かな。うちのサークルに二人も劇団員がいるなんて知らなかった。「劇団員」っていうだけでなんか憧れる。ぼくは本当は舞台に興味があったりするのだ。とりあえず、真井っていうやつがどんな声をしているのか、どんなペースで会話のやり取りをできるやつなのか知りたい。
後日、大学の近くの松屋で宮田と晩ご飯を食べながら、真井に電話をかけてもらう。出たようだ。「あ、真井? 放研に(ぼくの下の名前)って子がいるんだけど、真井と話したがってるからいま代わる。うん」。宮田からスマホを受け取り、さすがにお店の外に出て話すことにする。そこでぼくは真井と初めて言葉を交わした。「もしもし」。ぼくは「あっ、はじめまして。放送研究会の(ぼくの姓名)という者ですが……ええっと、はじめまして」とぎこちなく自己紹介する。真井は「はじめまして。新二年だよね? (ぼくの下の名前)くんのことは香莉奈ちゃんから聞いたことある。音声ドラマ作ってるんでしょ?」といきなりタメ口である。真井の声を聞きながらぼくはすぐにピンときた。あ、こいつだ。こいつがぼくの相方だって。
宮田経由でLINE IDを交換し、後日、学食で待ち合わせた真井と初めて顔を合わせる。身長はやや低いが、顔はまあまあ男前かもな。劇団員だけあって声の通りもいいし、何より気さくな性格でしゃべりやすい。なんかすぐに友達になってしまった。今度の内部発表会で漫才をやりたいので、ツッコミ役になってくれないかと頼む。真井が「いいよ! よろしくな」と何のためらいもなく承諾したので、ぼくは逆に不安になり、「漫才……漫才って知ってるよね? 何度かネタ合わせすることになると思う。大丈夫?」と確認する。真井が「連絡くれれば行くよ。ただ、こっち(劇団)の稽古が入ってたらごめん。……あ、いま教えとくわ」と言って、劇団の稽古予定表みたいなのを見せてくる。ぼくらは次に会う日をその場で決めた。真井、おそるべし。仕事ができるやつってこういうやつのことを言うのかもしれない。
次に会う時までには台本ができていないとまずい。ぼくはさっそく4分ぐらいのネタを書いた。「海の家でバイトしたいんだよね」「じゃあおれがその練習に付き合ってやるよ」的なコント漫才である。4月の内部発表会で披露するネタとしては季節感を完全に無視しているが、書いてしまったものはしょうがない。ぼくはWordでそれを書き上げると、ボケの台詞は赤色、ツッコミの台詞は青色で揃えてプリントアウトした(分かりやすい)。
数日後、ぼくと真井は空き教室でネタ合わせをする。真井のツッコミの間合いもトーンもぼくの理想通りだ。しかも真井は台詞の覚えも早い。書いたぼく自身より遥かに早く暗記している。「台詞を自分なりの言葉に変えてもいいか?」とは言ってきたが(それはもちろん構わない)、「スタニスラフスキー理論的に台本のここがおかしい」などというクレームはつけてこないのもありがたい。なんだよ、こいつ。最高の相方じゃん。
結局、ぼくらはもう一回ネタ合わせをしただけで本番当日を迎えることになった。それは真井が劇団の稽古で忙しそうだからでもあったが、ぼくらのあいだに特にもうこれ以上やるべきことがないからでもあった。ぼくとしては真井のツッコミに何の不満もない。あとはお互いが台詞を飛ばさなければいいだけだ。ただ、二回目のネタ合わせが終わったあと、ぼくは真井から「(ぼくの下の名前)、お前は滑舌が悪い時がある。一日二回、50音表を一音ずつ読み上げてみな。それだけでも変わるから」と言われていたので、そこは自主練するようにしていた。「あ・い・う・え・お。か・き・く・け・こ……」って。ぼくは本来、他人からそういったことを言われると「何様のつもりだよ」と思ってしまうわがままな性格の人間なのだが、真井からのそのアドバイスだけはなぜか素直に聞き入れることができた。
内部発表会の本番当日。控室となっている教室に行くと、もう真井が来ていた。他にも何名か早めに到着していたが、顔見知りの宮田や河村はまだ来ていないせいか、真井はポツンと一人で寂しそうだった。ぼくは今日は真井とずっと一緒にいてやることに決めた。「おはよう」「(ぼくの下の名前)、おはよう! 稽古するか?」。ぼくらはさっそく教室の片隅でネタを合わせる。「いい加減にしろ!」。うん、ぼくらは優れた漫才師だ。
ぼくはこの内部発表会では自分の作品を出しているだけでなく、全体のプロデューサーでもあるので、結局は真井のことを構ってやれない。控室の向かいの教室(=会場)で、技術部門の確認作業に立ち会ってトラブル(プロジェクターにエラーが出るとか)に対処している。チラッと控室を覗くと、真井は宮田や河村と話して盛り上がっている。ちっ、ぼくが忙しくしているのにサボりやがって(別に真井はサボっているわけではない)。そうこうしているうちに、お客さん代わりの一年生が来場してくる。ぼくは「真井、ちょっと!」と声をかける。「どうした?」と真井がやってくる。呼んでおいてなんだが、別に用はない。暇そうにしてるお前に腹が立っただけだ。「ちょっと……一年生の相手してくれ」と告げる。真井は「おれが?」と当然の疑問をぶつけてくる。「人手が足りないんだよ」とぼくは嘘をつく。
ふう。ウサちゃん(宇佐見)のおかげでプロジェクターが直った。そろそろ内部発表会の本番が始まる時間だ。控室にお茶を飲みに行く。宮田は自分の音声ドラマの準備があるのでその場を離れていたが、真井と河村(とあとから合流した先輩の野島さん)は呑気に雑談している。おい真井、一年生の接客は終わったのかよ。ぼくはその一角に近付き、「野島さん、おはようございます」と先輩に挨拶する。そして真井を指さして「久しぶりにこいつ見たんじゃないですか? でもこれが真井の生前最後の姿になりますから。このあと真井は漫才中に爆発して死ぬんで」などととんでもない暴言を吐く。真井は「おい! そんな演出用意してないだろ」と笑顔でツッコんでくる。
「(ぼくの下の名前)、もう一回、稽古しとくか」。漫才の出番を控え、真井が声をかけてくる。「やっとくかあ」。控室の隅で最後のネタ合わせを行う。うん、問題なし。数分後、ぼくらは出囃子(ゾンビーズの『It's Alright With Me』)に乗って舞台に上がる。うわあ。ぼくらにスポットライトが当たっている。目の前にはお客がいっぱいいる(お客といっても内部の人間+αだが)。ちょっとアガる。ぼくが発表会で「こっち側」に回ったのは初めてだ。「こっち側」ってこんなに緊張するもんなのか。
「はいどうもー!」。真井がぼくらのコンビ名を告げて「よろしくお願いします」と言う。一拍置いて、ぼくが「いやー、そろそろ夏休みですね」とボケる。もうここで笑いが起きている。真井が「まだ新学期が始まったばかりだろ! 新入生から憧れのキャンパスライフを奪うな」とすかさずツッコむ。客席はなぜか爆笑している。最前列の斉藤先輩と仲谷先輩なんて手を叩いて笑っている。ぼくとしてはここでそこまでウケることを想定していなかったので、かなり気が動転する。ぼくと真井はボケとツッコミのラリーを重ねていく。相変わらず客席は爆笑している。笑いの渦が巻き起こっている。
ぼくは想定外の事態に弱い。漫才があまりにもウケすぎているせいだろうか、ぼくは急に頭が真っ白になって、言葉に詰まってしまった。スポットライトがぼくを照りつける。「……えー」。ぼくの異変を最前列で感じ取った斉藤先輩が「(ぼくの下の名前)、がんばれー!」と笑顔で叫ぶ。惨めすぎる。仕方ないのでぼくは斉藤先輩に向かって「がんばる!」とガッツポーズをとる。ここでぼくの記憶が戻った。「……話は元に戻るんだけど」というアドリブの接続詞を入れて、ぼくは台本通りにネタを進めていく。もう言葉に詰まらずに最後まで行けた。4分足らずのネタを完走できた。
言葉に詰まったその一件だけは非常に悔しかったが、ぼくにとって、その4分間は人生最高の4分間とでも言うべきものだった。後にも先にも、あんなに幸せを感じた時間はぼくの人生にはない。言葉に詰まったあの数秒間を除けば、ぼくのボケはずっと爆笑を得ていたし、ぼくが書いた真井のツッコミもずっと爆笑を得ていた。舞台の上で笑いをとるのってこんなにも気持ちいいことだったんだな。
もちろん、ぼくらの漫才があんなにもウケたのは、あれが内輪の発表会だったからということはよく分かっている。芸人も観客も身内同士だったからこそ、あの場では想定外の爆笑が起きたのだ。親戚の集まりで子どもが一発ギャグをやるとおじさんたちおばさんたち大爆笑、っていうやつと一緒だ。親戚の前だったらどんなに退屈な少年も喜劇王になれる。
それでもぼくは、自分には漫才のネタを書く才能があり、それを披露して笑いをとる才能があると確信している。じゃあ将来漫才師になればいいじゃん、これからも漫才をやればいいじゃんって言われそうだけど、ぼくはそうは思わない。だって、ぼくの漫才の相方は真井以外にあり得ない。ぼくが一緒に漫才をやりたい相手は真井だけだ。もしも真井がぼくと漫才師としてやっていくつもりなら、ぼくはこれから先の人生を漫才師として生きていっても構わないが、真井はたぶんそういうわけじゃない。あいつがやりたいのは演劇なのだ。舞台なのだ。客席のほうを向いて「ぼくたちは一人じゃない」とか言っちゃうタイプのまじめなお芝居なのだ。
ただし。とはいえ。しかしながら。ぼくはやっぱり、あの人生最高の4分間をまた味わいたい。昨年度はあれ以降スケジュールが合わなかったら無理だったけど、今年度はどこかのタイミングでまた真井と漫才をやりたい。勝手にだけど、M-1グランプリに出場しようかなんて計画していたりもする。その日がいつ来てもいいように、ぼくは今日も一日二回の滑舌トレーニングに励む。「あ・い・う・え・お。か・き・く・け・こ……」。そもそもぼく、別に滑舌悪くないと思うんだけどな。まあいい。大きく口を開けて音を発するのは意外と気持ちがいいもんだ。
