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No.37 ``ありがとう神戸国際松竹''と「紅の花」

 昨日の神戸国際松竹の閉館に伴い, 先週の日曜日に開催されたイベント「``ありがとう神戸国際松竹''」及び「男はつらいよ 寅次郎紅の花」特別上映会が開催された. 私自身コロナ禍で神戸国際松竹にも随分ご無沙汰していたが, 先々週に件の「銀河英雄伝説 Die Neue These」3rd seasonの第一章を観にいって, 神戸国際松竹の閉館とこの特別イベントを知った. 一瞬

『どうして最後に「紅の花」なんだろう?』

と思ったが, しばらく考えてあのラストが阪神淡路大震災直後の神戸だったことを思い出し, 

『松竹もなかなか粋なことするじゃないか』

と感心して, 「紅の花」への特別な思い入れもあって, イベントに行ってみることにした. 

 「紅の花」は「男はつらいよ」にとっての特別な作品であると同時に, 私にとっても特別な作品であった. というのも私が劇場で観た一番最初の「男はつらいよ」であり, 2年前の「お帰り寅さん」を観るまでの間, 同時に唯一の「男はつらいよ」だった. 親に連れられて観にいったのがもう26年前の正月で, 観終わった後に親が泣いていたのを覚えている. その夏に渥美清が亡くなった際には

『あの時「これがもう最後だ」と思った』

と話してくれたが, 流石に当時の私にはそこまではわからなかった. 

 それから20世紀末くらいに何かの機会でもう一度「紅の花」を観て以降(「紅の花」以外のタイトルはちょくちょく観ていたのに), 20年以上も観ることはなかった. 恐らく全盛期だった(そして最高傑作だった)25作目の「ハイビスカスの花」と比べるまでもなく, 渥美清の限界の姿を見るのが辛かったことも大きい. 四半世紀前に「紅の花」を観た時の私の親(今の私と同い年くらいだっただろうか)もそういう心境だったのかもしれない. 

 そんな思い入れもあり, はからずも実に20年ぶりに「紅の花」を観る機会を得たわけだが, 冒頭の津山の駅の(トンボの)シーンから始まって, 不思議とよく覚えていた. 渥美清の限界の姿は当然以前と変わらずだったが, 「明らかに最後であること」を意識して作られた作品であると思って見返すと, また別の感慨に耽った. リリーとのあのラストも「ハイビスカスの花」のラストを意識していたし(そもそもタイトルの「紅の花」からして明らかなわけだが), 正に集大成の作品だったし, その最後の最後が震災間もない頃の神戸で〆られるというのは, 色々な意味で象徴的な作品に思えた. 「そんな作品がこうして神戸国際松竹の最後に上映されることになった」という不思議な因果に感化されたことも大きかったかもしれない. 

 上映後, 作中に出てきた「くららベーカリー」のご夫婦と松竹撮影所の会長によるトークイベントと山田洋次のビデオメッセージが流された. 前者は特に震災直後と撮影の頃(ついでに渥美清が亡くなった時のエピソードをいくつか)の話がされて, そちらも色々面白かった. 特に渥美清が撮影の際に神戸のホテルで展望風呂に入りながら

「俺らみたいな渡世人がこんなときにこんなとこに居ていいもんなのかね」

と語ったとの行は興味深かったが, 山田洋次のビデオメッセージも良かった. 

 内容は(メモもないのでうろ覚えだが)大体次のような感じだったと思う:

『「男はつらいよ」は, (それこそ神戸国際松竹のような)撮影所の名を冠した劇場が多く作られた時代と軌を一にして作られてきた作品だった. その最後の作品である「紅の花」は震災と関係して神戸とは非常に縁のある作品で. 元の映画の構想は, 震災の際にヤンキーがけが人を病院に運んだり等の救助活動をやっていたというようなことを震災後の神戸に来て聞いて, コレだと思った. つまり平時には役に立たない人間が, 非常時には非常に活躍するというのが寅のイメージにピッタリだと思った. そこからイメージを膨らませて, 一頻り騒動が収まったら神戸から津山の方に流れていくという感じで... 

中略

それで最後の最後映画が神戸の長田町のところで終わるんですけど... そんな作品が歴史ある神戸国際松竹の最後を飾る形でこうして上映されたことを僕は大変誇りに思います.』

 正直, 山田洋次は個人的にはあまり好きな監督ではないのだけれど「なんかいいこと言うな(というか私と似たようなこと思ってるんだな)」と柄にもなく感動してしまった(これが山田マジックか...). 私は4年前に神戸に越してきた外様だけど, どこか古き良き雰囲気を感じるこの映画館のことは気に入っていたし, まして半世紀にもわたってここに親しんできた人々の気持ちについては「推して知るべし」だったに違いない. 

 ちなみにそうした不思議な感動に突き動かされて, そのまま長田町の方(くららベーカリー)へ行ってみた. 聖地巡礼といえば聞こえはいいが, 震災から四半世紀以上を経て, 「紅の花」の当時の様子を伺い知ることは当然のことながらできなかった. 私は当時の親と同い年くらいになってしまったし, そういえば昔初めて沢城みゆきの声を耳にしたとき, 浅丘ルリ子を「連想」したけど, 今回「紅の花」を観たときにその「逆転」(つまり浅丘ルリ子を聞いて沢城みゆきを連想した!!)が起きていたことにも少なからず衝撃を受けた. 

 そんなわけで神戸国際松竹の閉館という60年以上の劇場の節目と同時に, 「紅の花」以降の四半世紀の月日の流れも色々と感じたイベントになった. 昭和も, 平成もどんどんと遠くなっていくものである. 

追記:ちなみにその後, 長田神社の方に回ってから, 阪神に乗ろうと道を下ってきたら, 神戸村野工業高等学校の前に出て驚いた. 「これってあの村野山人翁の学校じゃね?」と思ってググってみるとやっぱりそうで, まさかこんな形で辿り着くとは思わなくて, ここでもまた数奇な運命を感じたというオチが付いて帰路についた休日だった.

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