No.96「タイタニック」3Dリマスター版雑感
0. Abstract
10年ぶり25年通算3回目の映画「タイタニック」を映画館で観てきたのでその雑感を, 「タイタニック」に纏わる個人的な思い出, 作品全般の解釈(「20世紀の映画」としての「タイタニック」), ローズ視点の理解(「ローズの物語」としての「タイタニック」), 例の論争の見解とローズの最期を巡る個人的雑感等々を述べる.
1. Introduction -- 「タイタニック」の思い出 --
私が「タイタニック」を初めて観たのは, 今からもう四半世紀以上前のこと. 確か「もののけ姫」を観にいった次の月だったと思う. あの日は, 当時10歳の私と母と祖母の3人で車で街に繰り出して, 昼に行きつけの料亭で昼食(うなぎだった気がする)を食べて, 映画館に観にいったのだった. 当時小学生の私には映画館で3時間越えの映画というのは中々にキツかったと思うが, 「タイタニック」は(特に後半はある意味アクション要素が多くなるので)普通に観れた記憶がある.
思えば家族でああいう風に休日に贅沢に出かけて映画を観たのは古き良き昭和の culture だったのだろう. 後述するように今回「タイタニック」を改めて観て
『(色々な意味で)20世紀の映画だな』
と思ったが, 観ていたこちら側もある意味「20世紀的な観劇」をしていた, あるいはそれが許された最後の時代だったのかもしれない. 実際, あの時の料亭も映画館も今はもう無くなってしまい, あの時と同じように観ることはもはやできなくなってしまった.
それから月日が流れ, 「タイタニック」を地上波等で観る機会が無かったわけではないと思うが(もしかしたら町の文化会館で上映された時にもう1回観ているかもしれない), そもそも長いのでカット版しか上映されないし(いつだったか, 前後編の2週に分けて放送された時があったような気がする), 随分とご無沙汰していたと思う. そんなわけで「タイタニック」と再会したのは初めて観た年から実に15年後, 今から10年前(正確には11年前), タイタニック号沈没事故100年(2012年)ということで, 再び映画館で上映するということでそれを観に行った時になる. 正直, ジャックとローズのこまいエピソードは大体忘れていたのだが, 不思議なことに彼らの周りの人物(例の神父や楽団たちや電気を最後まで守り続けた船員たち)の描写の方を鮮明に覚えていて驚いた. 恐らく, 幼い頃から私は色恋話より, そういう人間の極限下での極限の話の方が好きだったのだと思う.
ラブロマンスとしての「タイタニック」(恐らくはそういう見方の方が圧倒的多数派なのだろうが)という見方(特にローズの理解)は1回目と2回目では殆ど理解できず, イマイチすっきりしない感じがしていた. 正直な話, 「タイタニック」を極限の物語サイドから観ると(多分私は1回目と2回目はこの視点で観ていた), ローズは完全にノイズでしかない(自分勝手で行動に一貫性がなく, メチャクチャ)ので, それも理解を妨げる要因になっていたと思う.
今回は10年ぶり, 実に四半世紀越しの「3度目の正直」ということで, あえて意識的焦点をローズに絞り観劇したことで, 今まであいまいだったココが割と clear になったような気がする(私も歳を取って少しは「海より深い女心」とやらもわかるようになったのかも?). 実際, 初めて「タイタニック」を観に行った時, 母は初見でわかったみたいだったが(男性と女性の違いもあるのかもしれないが, それに加えて考えてみると彼女は若干ローズに人生が似ている(?)ことも大きいのかもしれない), 私も当時の母の年齢に近づいてきたのでそれぐらいは理解できないと困るよね.
2. 「20世紀の映画」としての「タイタニック」
『「ローズの物語」としての「タイタニック」』についは後述するとして, とりあえずは(もちろんそれとも関係するのだが)全体の評, 解釈に纏わる雑感を述べる. それを一言で言い表すならば,
『「20世紀の映画」としての「タイタニック」』
ということになるだろう. 一見, トートロジーというか, アタリマエな気がするが, 無論私が言いたいことはそういうことではなく, 「20世紀」というものを凝縮, 象徴したような作品だということである.
まず「20世紀」が良きにつけ悪しきにつけ「アメリカの時代」であったということは間違いない. そのアメリカの映画がハリウッド映画だとするのならば(これも暴論と言えば暴論), 「タイタニック」は間違いなくその頂点を極めた作品であり(これに抗するとしたら色んな意味で「風と共に去りぬ」くらい? 後述のように「一人の女性の生き様の描写でもって時代の変遷とその象徴を試みる」という意味でも「風と共に去りぬ」にも通じると思う), 恐らくは未来永劫これ以上の物は作れないだろう(今の技術でやるとかえってダメになってしまうのではないか). 私は基本的にハリウッド映画というのは嫌いなのだが(そもそも「映画」として観ていない. 理由は別の note がもう一本必要になるから言わないが, 一言で言えば「オッカムの剃刀」である), そんな私ですら否応なく「タイタニック」は認めざるを得ないのだから. 大いなる虚構, 大いなる Giantism を突き詰めた一つ到達点という意味で「タイタニック」は「20世紀の映画」なのである(「21世紀の映画」は多分それに比して, あるいは反動として何を目指すべきか模索, もとい迷走している気がする).
次いで作品の中身そのものについても, あのタイタニック号を取り巻く状況そのものが非常に20世紀的である. 正確には19世紀から20世紀にかけて, 一次大戦前夜に貴族たちが没落して, アメリカで成金がどんどん成り上がっていく様とそれに連動して労働者たちも勃興していく様がそのまま凝縮されているのである. そもそも貴族がアメリカに行くなんてのは都落ちみたいなモンだけど, もうそうせざるを得ない時代だった. ローズの家も正にそんなのがモデルになっているわけだが, 恐らく成金達が没落貴族と関係を持つことで「箔」を買いたがった最後の時代が正にあの頃だったのだと思う(「西洋の没落」ということで言えば, シュペングラーが教師をやめて思索にふけりだしたのもこの頃からだっただろうか).
そしてそんな時代も結局, 一次大戦を経て完全に終わってしまう(貴族そのものが殆ど消滅してしまう)わけだが, タイタニック(ここではそれ自身が古き良きあるいは悪しき時代の symbol でもある)が沈没し, ローズが母と決別し, 自身でドーソンを名乗る結末は正にそれを象徴しているとも言えよう. つまり
『世が世ならどこぞの「おひいさま」として生きられたはずのローズが, 自らそれを捨て去って生きざるを得なかったが, 同時にそれはそんなに悪いものではなかった』
というのが作品全体の流れ, メッセージであり, 同時に
『それはそっくりそのまま「20世紀」という時代の評に当てはめて良いのだ』
という解釈である. 作成された時代も考えると(あの頃は「20世紀の総括」という movement は至る所であった), 意識的にせよ, 無意識的にせよ, そういう意図もこの作品にはあったと思われる. あるいは
『21世紀になって20年以上を経た今振り返ると, 「タイタニック」をそのような意味での「20世紀の映画」として位置づけられるようになった』
と言うべきなのかもしれない.
ついでだから述べておくと, 時代に関して言うのであれば, ある意味で日本とタイタニックは切っても切れない関係にあることにも触れるべきであろう. つまり1912年とは明治45年のことであり, タイタニック号沈没事件はこの年の4月であり, つまり明治の最後の年の事件なのである(この年の7月末に明治天皇が崩御され, 大正元年になる). 我々の「業界」で言えばそれこそ「ゴールデンカムイ」のちょっと後の時代ということになる(そういえばさしもの「不死身の杉元」でも低体温症には苦しめられたよな. でも, もし「タイタニック」みたいに氷点下の海に放り出されても, 彼は代謝の良さが異常だし, 普通に生き残りそうなんだよな).
更に言えば, 私の曾祖母が明治45年の1月生まれであり, そういう縁もあってタイタニックの件は個人的に思い入れがある. ちなみに曽祖父は明治39年の2月生まれなので, ワンチャンリアルタイムでタイタニック号沈没事故(6歳の時)を耳にしていた可能性もあるが, 残念ながらそれを確認するには私は余りに幼過ぎた(「タイタニック」の公開時に曽祖父は既に亡くなっていた). ともかくタイタニックと明治との結びつきを考えると,「20世紀」という西欧的な時代区分とはまた別の論評も可能かもしれないが, それに関してはここではこれ以上は述べないことにする.
3. 「ローズの物語」としての「タイタニック」
さて, ここからがいよいよ本題(前置きが too long すぎるだろ). 四半世紀以上わからなかった, ローズの解釈である. 上述したようにどうも私は「タイタニック」をラブロマンスというよりは災害ドキュメンタリー的に観てしまうので, 極限の状況下での人間の極限の生の在り様の方に惹かれ, 意識を向けてしまう. だからメインストーリーの細かい部分は殆ど覚えていなかったのに,
・わずか数秒しか作中で出番がない最後まで発電し続ける人達(MVPとか勲章モンとかそんな次元じゃない人類史上に残る英霊化不可避の大偉業, 奇跡),
・例の楽団員達(「ブラックジャック」のストラディバリウスの話じゃないけど, 楽器を捨てていけなかったんじゃないかなって気もした)
・ブランデーの英国紳士(やはりブランデーは紳士の嗜み)とそのサーヴァント(実は今回初めて彼に目が行った. 何気にサーヴァントの鑑だよね, 彼も)
・夫と運命を共にするために救命ボートから戻った老婦人(これは昔パンフレットに書いてあった裏情報. あのベッドで寝てた老夫婦だけど, ローズが救命ボートから戻ってきた話の元ネタはこれな気がする)
・船に残った二人の子供とその母親(ティルナノーグが出てくるあたりがなんかアイルランドっぽい気がする. 最初の方で「タイタニックはアイルランド人が作った」ってやりとりも出てくるけど, ある意味それの伏線回収もある?)
・船尾で最後の説法をする神父(まぁ「終末の日」と解釈すれば, ありゃあ坊主の本懐だわな)
等々の史実 base の諸エピソードは凄くよく覚えているし, 今回もやっぱりそういう方が気になってしまったが(ちなみに例の一等航海士がピストルで撃ち殺して自殺しちゃうシーンは(史実的にも)ないよなと思っている. 遺族関係者に訴えられそうだけど), かなり「禁欲」してなるべくローズに視点と意識を集中して観劇した(おかげでかなり疲れた).
で, 結局ラブロマンスとしての理解はできたかと問われると, 正直自信が余り無い. 客観的にいっても日数もわずか4, 5日くらい(ジャックとローズ絡みの諸々のイベントの総時間で言えば恐らく24時間もないのではないか)の出来事だろうから, その間に熱愛できるものなのかは甚だ疑問だし, 映画上の描写としても, 特に沈没前日の4月14日の夕方(あの有名なシーン)とその前までとではかなり飛躍がある気がする(何故ローズが「駆け落ちする」とまで言い出したのかその理由がよくわからない).
まぁ, そもそもそういうことに関しては, かなしいかな, 私は全くの素人ですから. だから下手にあれこれ考えたところで恐らく無駄だと思うので, そこはもう考えないことにする. ただ一点. ローズが急に物凄く綺麗というか, 美しくなるシーンが正にあの4月14日の夕方のあのシーンであって, そこには驚いた. これは今回の3Dリマスター版だから気付けた気がするが, はじめにタイタニックに乗り込むシーンのローズが物凄く不細工, 有体にいうと「太く」見える(これはガチ.「あえて3Dリマスターでそのような修正を加えているんじゃないか」と思ってしまうくらい). 正直
「あれ? ケイト・ウィンスレットってこんなんだったっけ?」
とビビった程だったのだが, それが正に魔法がかかったみたいに急に変わるのである(最終的に事故後に救出されて, 一人雨に打たれて佇み「ドーソン」と名乗る様はもはや完全に別人になっている). あれは服装とメイク, そして女優の魅せ方のうまさの賜物なのだろうが, 恐らくそこが何か決定的な「境」なのだと思う. これを認識できたことが今回の3Dリマスターの最大の収穫かもしれない.
それ(つまりローズが熱愛した理由)はそれで不問にしたとしても, この四半世紀私を悩ませている最大の難問がまだ残っている. それは
『ローズが元の婚約者(キャルちゃん)との折り合い(彼はかなり露悪的に描写されているが, ただの狡い小物の成金ってだけで一応彼なりにローズへの愛情はあったとは思う)を一体どうつけたのか』
という点, もっといえば
『「紺碧のハート」の扱い』
である. 恐らくここに『海より深い女心』の全てが集約されている気がする.
で, やっぱり私にはわからない. つまりくれたのはキャルちゃん, でもそれは
「重くてイヤなダイヤで一度しか身に着けなかった」
という. 恐らくこれは本当だろう. だが, そのただ一度身に着けたのはジャックの前で(しかも「女」として身に着けた)だった. そして何の因果か, あの事故の後, ローズの元にそれが残った. そして彼女はそれを80年以上誰にも知らせずに持ち続け, 全てを話した後でタイタニックとジャックが沈む海にそれを投げた. これはどう解釈すればいいのだろうか.
俗に言う
「女は上書き理論」(「男は思い出」だっけ?)
に基づくならば, 「紺碧のハート」をくれたのはキャルちゃんだけど, 4月14日の日没以後から氷山衝突までの3時間ほどのジャックとの逢瀬はそれを「上書き」する「儀式」のようなものだった(ああ, ここでも``キャル虐''が… かわいそうなキャルちゃん…). で, 「上書き」した以上, それはもうジャックとのモノになった. そして以後, 彼女はそれを更に「上書き」することはしなかった. それが(あの絵が見つかるまでの間)ジャックとの間で唯一残ったものだったからなのだろうが, 他方で彼女は結婚しているわけである. そして最後のシーン, 写真という形でローズのその後の生涯の描写が断片的にされるが, そこには決してローズの夫の姿が写り込むことはないのである.
これはなんというか
「小津映画で原節子の結婚(or 再婚)相手の顔は決して見えない」
のに通じるものがある気がする. これをラブロマンスとか, 純愛などという類の言葉で片づけられる程, 「海より深い女心」は浅くないだろう. つまり10年ぶり, 25年通算3度目の「タイタニック」を観てわかったことは,
『「女心」はラブロマンスや純愛よりも深い』
という恐ろしい事実のみなのである.
結局, 今回も「女心」はわからなかったが(そんなだからいつまで経っても彼女の一人も出来ねぇんだよ), わかったこともある. それは
『ローズが, 一人の男が命を張って生かしたに足る生涯を送ったということ,
そしてそのこと(すなわちローズ・ドーソンの生涯)こそが, ローズにとってのジャックの生きた証だった』
ということだ. 確かにこれは(「女心」はわからないとしても)「純愛」と言ってよいのだろう. 私が「純愛」認定する話はそう多くはないのだが(というか殆どない), これはその数少ない例外である「戦う司書」の恋する爆弾(コリオ)と常笑いの魔女(シロン)に通じる(未来から過去への恋と過去から未来への恋)気がする(コリオとシロンの役割が入れ替わった感じかな).
ともかく, 今回も「海より深い女心」はわからなかったが, 「ローズの物語」としての「タイタニック」という意味では『これ』(+ローズはかの男に如何にして生かされたのか, 何故その為に生き, その為に死んだのか)で「答え」と言っていいだろう. そしてこれはロジックでも, レトリックでも極めて説明困難な事象であり, その描写のために「タイタニック」は作られたということである.
4. ``例の議論''についての見解
さて, ローズの最後(最期)に関して話をしたいのだが, それをする上ではどうしても例の論争というか議論は避けては通れない. 本来こんなことが議論になること自体おかしいと思うのだが, 余りに有名らしい(?)「タイタニック」のラストに関しての解釈を一応, 述べておく. 結論から言えば,
「ローズはあそこで亡くなった」
のである. 理由はとても簡単. そう解釈しても何の問題も無いから.
まずあれがある夜にみた夢なのか, 死の際の走馬灯なのかはどちらであろうとも(現実ではない夢現であることに変わりはないので)一向に構わず, そして
「100歳を越えた老婆が今日死のうが, 明日死のうが同じことだから」
である. つまり80年以上一人で秘め続けていた秘密を打ち明け, 「碧洋のハート」をタイタニックの, そしてジャックの眠る海に返した時点で(恐らく自分の代わりに逝かせたのだろう), 彼女は全ての役割を全うし終えている. だからあの日あの場で死なずとも, 恐らくはその翌日, そうでなくともあれからそう遠くはないうちに間違いなく死んでいるのである. ならあそこで死んだことにしてしまって構わないし, 何ならそれが一番幸せな終わりであるからである.
何より単純に演技も演出も, アレは単なる「眠り」のソレではなく, 明らかに「今際の際」のソレ(カメラの映し方以前に女優の息の仕方からして眠りのソレとは明らかに違う)なのだから, そも間違える方がおかしい. 小学生の私にさえ明らかなことだったのに, そんなこともわからないヤツがこの世に腐るほどいるらしいということを知った時には驚愕したが, それも観客の質が下がったということなのだろう(21世紀とはそういう時代なのだ).
極めつけとして, 主題歌のタイトルが
「My heart will go on」
であり, 歌詞をみれば, 答えが書いてあるようなものである(この程度のこと誰か指摘しないの?). あの歌は時制が過去, 現在, 未来が混ざって出てくるのがポイントで, それぞれがどの時点, どの場面に当てはまっているのかを考えれば答えは自ずから出るようになっている. つまり
時制が過去 (Love was when I loved you) はタイタニックの時の場面
現在は事故以後から今に至るまで
と思えば, 未来が何を指すかは明らかではないか.
実際, 最終節にはモロに
You're here, there's nothing I fear
And I know that my heart will go on
We'll stay forever this way
とあり, これを全て語りを終え, 「碧洋のハート」を海に返したあの夜のローズに当てはめるならば,「this way」はもう今生の人生を指していないのだ(恐らくローズが目を閉じて, 最後に沈んだタイタニックが在りし日の姿に戻っていくシーンのデッキから時計台へ続いている「道」を象徴的に意味しているんだろうね). そもそも主語が we なんだからわかるよね?
ただ一点だけ. ローズがあの夜, あそこで亡くなったとすると, ジャックとの約束, 夢を恐らくその生涯で叶えて生き果せた彼女が, 最期の最後に
「温かいベッドの上で家族に見守られながら逝く」
という夢だけは守らなかったことになり, そこにだけ若干, 例の論争が紛れ込む余地があるとは思う. これに関しての私の解答は
「あれはあの時ジャックを一人で逝かせてしまった彼女の後悔と懺悔」
である. つまり「どんなことがあっても生き残る」という誓いを果たすためとはいえ, 彼を見捨ててしまったことに対しての彼女なりのケジメだったのだと思う.
これは私の祖父が言っていた
「いつの日か, こちらに帰ってこれない死んだ戦友たちの下へ俺が行って, その後のことを伝えるのだ」
に通じる「思想」のような気がして, 今ではなんとなくその気持ちはわかる. そういえば, 10年前に「タイタニック」を観にいった時は祖父もまだ健在だったが, その時にはまだその考えには至れなかったな.
5. ローズの最期を巡る個人的雑感
長かったがローズの最期の問題(つまりはアレは最期だということ)は片付いたので, 最後に最期を巡る個人的な雑感を述べる. 先日(今日映画を観る何日か前), 私より一回り若い女性(トーゼン私の girl friend でも何でもない行きずりの知り合い)に「タイタニック」のラストについて聞く機会があった. そこで彼女はあのラストのシーンが「かなしい」と言ってきて, 私はビックリしてしまった.
最期, ローズは, 海へと, タイタニック号へと, 恐らく彼女の生涯で最も輝いていた「あの時」へと還っていく. そこには懐かしいみんなが居て, 最愛の人との再会を祝福してくれる. 私に言わせれば何の文句もつけようもない最高の大団円, 最高の大往生で何をかなしむのかサッパリわからなかった.
かなしむとするならば,
「それが私自身には叶わぬ夢であるという現実」
に対してであり, 「タイタニック」のラストに関してかなしむ要素があるとは思えない.
まぁ, それは若干ゃ嘘で, 「かなしい」と言われるとピンと来ないが, 「切ない」と言われれば幾分得心は行く. そしてこの「切なさ」は説明不可能の類のものである. それでも敢えて言うならば
『失われてしまった愛しきもの, 過ぎ去りし日々への郷愁』
つまり「ノスタルジー」の類だと思う.
たとえば私の生涯には, 死の際に還りたい「輝けるとき」などというものは存在しないが, それでも仮にそこで先に逝ってしまった今はもう会えない人達と再会できたなら, 確かに嬉しいだろう. 明らかにそれはかなしみとは違う. がそれだけではなく, 同時に切ない気持ちにも確かになる気がする.
一体この現象は何であろうか.「郷愁」を感じるということは, この一連の情景を想像している我々が彼岸ではなく, その実未だ此岸にいるので(実際には「夢現」と理解しているから)そう感じるのであって, これが完全に彼岸に逝ってしまえば, この「切なさ」, 「郷愁」を感じることも無くなるのだろうか. つまり, それが「死」の心境, 境地ということであり,
『そこに「郷愁」を感じる』
ということは, 言い換えれば
『我々はまだ生きている(まだはやい)』
ということなのかもしれない.
しかし, 返す返すも大往生だわな. ローズは19世紀生まれ(1912年4月の時点で18歳なので, 恐らく1893, 4年生まれ), つまり日清戦争の頃の明治後期生まれの設定だが, そういう大往生ができた(許された)高貴なる世代である. タイタニックが沈没した年に生れた私の曾祖母も正にそんな感じで, 恐らく最期は彼女が生涯で最も輝いていた女学校時代へと還っていたように思う.
正に「その為に生き, その為に死ねる」, そんな「輝けるとき」が人生にあって, そのように生き果せた(「タイタニック」ではその描写はないわけだが, 大戦やら恐慌やらでそこの苦難も凄まじかったのだと思う)なら最高の人生だとは思うが, 誠に残念なことに少なくとも私にはそんな「輝けるとき」は存在しない. 懐かしい先達に再会したいとは思うが, 還りたいときというのはないのである. 「ドラえもん」であったような家族みんながいた小学生のある日に戻りたいと思うことはあるが, それが私の生涯における「輝けるとき」かと問われれば明らかに違う.
で,
「これは女性的な価値観なのかな」
とも思ったのだけれども, そういうわけでもないようだ. たとえば秋山好古は最期, 奉天戦を夢みていた(「坂の上の雲」のラストの「馬引け… 奉天へ…」)というし, 私の知り合いの軍人たちも最期寝たきりになって, まともにしゃべれなくなってからそんな感じだった(彼らもこの10年でみんなみんないなくなってしまった). ただやはりローズや私の曾祖母たちの「輝けるとき」と彼らの例は何かやっぱり違う気がする. その差異の説明は, 残念ながら今の私にはできない.
あと逆に「輝けるとき」に還らない死に様の描写の人やキャラもいる. その中から私の好きな例を挙げるなら, たとえば「Dr. ストーン」の石神百夜とか? 彼にとっての「輝けるとき」は間違いなく宇宙飛行士になって, 宇宙へ行った時なのだろうけど, 人類文明が滅んでしまった後, いつか目覚めるであろうと信じた``息子''とその仲間たちのために生涯レアメタルを集め続けて, 最期は夜中に川に倒れて
『
ああ良かった… 前向きに倒れられて
水面に宇宙が映ってる
上を向くのは俺じゃなくて構わねー
』
で死んでいくわけだから(ただここも水面の宇宙にチラっと宇宙ステーションの幻を見るんだよね), 「輝けるとき」に還る死に様が全てでもない(つまり私は, ローズの死に様には憧れるけど, 好きなのはコッチの流儀なんだよな).
まぁ, 全てではないことと, 「輝けるとき」が存在しないこととはまた違うんですけどね.
6. 最後に
10年ぶり25年通算3度目の「タイタニック」の雑感で, 月曜の未明まで延々と note を書いてしまった.
『一体何をやっているんだッ!! ワシは!!』
まぁ, こんなのは正に「10年に一度」だし, そんな日が人生にあってもいいだろ. それに, 存外私にとっての「輝けるとき」というのは, 今正にこの時なのかもしれないし. 果たしてそれは喜ぶべきことなのだろうか, それともかなしむべきことなのだろうか.
とりあえずもう寝よ. ただ, これだけ熱を上げられるってことは「タイタニック」はなんだかんだ言ってやっぱり「名作」ということなのだろう.
でも流石に「カロリー」が高いので10年に1度でいいわ(何度も観れるヤツは頭か, 心がおかしい). 10年後, また何かで観る機会もあるだろう.
果たしてその時に私は何を思うのだろうか.
7. Appendix A -- 今日の出来事 --
最後に Appendix として今日の出来事を記録しておく. 今日, 近場の映画館に「タイタニック」を観にいった. チケットは木曜の夜に取ったのだが, その時点で既に前方にしか席が余っていない状況で驚いた. それで今日行ったのだが, 私の隣の席でちょっとした騒動があった. 何でも席がバッティングしているというのである. 先に座っていた3人の女性(多分かなり若い, せいぜい大学生, もしかするとJK)が「ここは自分の席だ」と言っていたのだが, 様子が変だった(彼女らの主張と食い違う人が複数組存在した)ので, 多分彼女たちの方が間違っているんだろうなと思っていた.
で, 案の定上映開始からしばらくして映画館のスタッフがやってきてチケットを確認したら, なんと
明日のチケットだった
という予想のナナメ上だか下にいったオチでビックリした. で, 上映中(ちょうどローズの回想が始まったあたり)だったにも関わらず強制退出. こんなことがあるんかいな. いや, チケットの日にちを間違えたことにも驚いたが, それと同様に, なんでそんなチケットのヤツをシアターに通してしまった映画館の杜撰な対応にも驚いた. 最近は入り口でチケットのバーコードで読み込みをさせるから, こういうことは起こり得ないはずなのでは?
上映後, その強制退出させられた後にやってきたカップルと, 上映終了後に劇場から出るまでの間に少し話をしたのだが, 彼らは今回が初見だったらしい. 歳は19だと言っていたから, 21世紀生まれ(嘘だろ, おい…)で, トーゼン20世紀である「タイタニック」など知りようもないわけか(あちらは私が「25年前に生で観た」と言ったら驚いていたが). 凄い時代だな. 彼らには「タイタニック」も, 「もののけ姫」も, 「ワンピース」も等しく「20世紀の遺産」なのかもしれない.
8. Appendix B -- その他備忘録 --
今回気付いたのは時間及び時計絡みの話である. 一つは
「日没(タイタニックが最後にみた太陽)から6時間後(午前2時20分)に沈没した」
ということから, ジャックとローズのあの有名なシーンの時刻が大体20時頃ってことがわかる. あれは4月15日だから, 春分は過ぎたとはいえ, 夏至まではまだあるのに随分と日が長い. ということはやはりかなり北緯の高いルートで航行していたわけで, そりゃ大きな氷山もあるわなと改めて納得した.
それから氷山に衝突したのが, 23時40分だから, えっとあれから3時間ちょっとの間にローズのヌード画を描き上げて, 船の中を逃げ回って, ついでによろしくヤッてたってこと? うーん… ちょっと色々早すぎませんかねぇ(絵画とリア充の専門家の意見を聴きたい)… 何かその辺のタイムスケジュールが気になっちゃいました(せめて日没が18時くらいならなんとかなりそうな気もするが).
もう一つは設計技師のアンドリュースのシーン. 作中でアンドリュースがローズたちに別れを告げるシーン. なんか時計の時刻が既に2時を回っている(2時10分くらい?)ように見えたんですけど, もしそうだとするとあそこ(ちょうど楽団が演奏しなくなって)から10分で沈没しちゃったってこと? でも映画のあのシーン色々カットが入ったことを入れても体感10分以上ある気がしたんだけど実際はどうだったんだろう. ちなみに個人的には楽団の演奏よりも電気が長く持ったことの方が驚愕(マジなんなの?). 本当に最後のギリギリまで電気はついてたもんね.
最後に一番最後, 時計台のところでみんなが見守る中, ローズがジャックに再会するシーン. 25年間(と言っても観たのは3, 4回なんだけど)気付かなかったけど, あそこの時計, 沈没時刻の2時20分で止まっているのね. それも例の論争への一つの答え合わせなんだな.

