池○さんという知らないおじさんの写真が、死んだおじいちゃんの遺影よりいい位置に飾られている摩訶不思議
今日は、わたしの人生におけるガネーシャについて。
アイコンがガネーシャなので、ちなみます。
「夢をかなえるゾウ」を観たの、もう17年(2008年放送)も前なんだ。ふつーに驚く。まだ独身でした。
古田新太さんを知らなくて、でもあのドラマのガネーシャ役はインパクトありすぎて、ほんと腹かかえて笑ったわ。
本棚に、あの本のゼロ巻から4巻まで5冊そろっていて、実はまだ最後まで読めてないんだけど、読んだらやっぱり新太さんの声が聞こえてくる。それくらい、ガネーシャは新太さん。

いいよね、わたしも新太さんみたいなガネーシャについててほしかったなぁ。
ウチの実家はガネーシャじゃなく、御本尊様ってネーミングで、習字で書いた紙を貼った巻き物を仏壇に掛けるタイプだった。
あと、池田大作っておじさんを、みんなこぞって「先生!先生!」と崇拝するコミュニティ。
その先生って発音、ちょっと独特でした。
選手宣誓の「宣誓」の発音、それと同じ。文字で書くから伝わりにくいかもだけど、ふだんの先生のアクセントは、「先」につくけど、創価の「先生」の発音は「生↗」にアクセントがつきます。
ただ、この先生↗という人。ガネーシャとは違うくて、個人的に家にくるとか絶対ない。めったにお目にかかれない奇特な存在されていて、仏間には額縁にちゃんとおさめられて写真が飾られてた。
アカの他人です。遠い親戚とか友人でもありません。会ったこともなけりゃ、リアルにみたこともない。
見知らぬおじさんの写真は、あと2人いて、どうやら歴代の会長さんらしい。
それが誰か、どんだけすごい人たちなのかは、ちゃんと教育されましたので、「このおっさんら、どこの誰やねん」と、疑問をもつことはなかったけど、その見ず知らずのおっさん3人の写真が、死んだおじいちゃんやおばあちゃんの遺影よりもいい位置に飾られてることは、変な文化だと気づいたのはここ数年のこと。
ってことはぁ、巻き物と写真が当時のわたしにとってガネーシャだったの!?ありゃま。
同じ紙なら、巻き物より写真より、お金のほうが断然役にたちますね。それに気づいたのも40過ぎからでしたけど。
いろいろ、わりと最近やん(遠い目)
あ、そうだそうだ。わたしが初めて池田さんをみたのは、小学生のとき。
日航機墜落事故があった日、八王子にある創価の大学で学園祭みたいなのがあって、何時間もかけて家族みんなで旅行した。
車内のラジオでそのニュースが流れたのを、ずっとあとになって親から聞きました。
ほんとに私が彼をみたかどうかは記憶にないけど、親がえらく興奮してたのは覚えてる。そこでの彼は、まぎれもなくスターでした。
なぜか鮮明に覚えてるのは、彼からスイカの差しいれがあったこと。わたし、その時あんまりスイカが好きじゃなくて、食べたくなかったんだけど、母親や一緒に行ってた親戚のおばさんに「せっかく先生↗からいただいたスイカなんやからいっぱい食べときや!」と、無理やり食べさせられて不快だった。
そうとうの人数が学園祭にきてたから、いったい何個のスイカを切ったんだろうね。
♪うーえーを向ぅいて〜
あぁるこぉぉぉ〜
涙がこぼれーなーいよぉぉぉに♪
まさかこの日、九ちゃんがね…
この名曲を、何度も何度も思い出さなきゃならん人生になるとは、このときはまだミジンも想像しておりませんでした。
創価のコミュニティから抜けてからというもの、ガネーシャみたいな人物にめぐりあうことはなかったけど、自分の力で幸せになってやる!みたいな、負けん気とド根性精神は、知らずしらず身についたかもしれない。
そうじゃなかったら、きっと今も創価コミュニティでどっぷりだったことでしょう。
ただ、時代はもう令和でして、負けん気とか根性とか発言すると化石みたいな扱いをされるので、けして自分からそういったことは口にしませんし、そんな気張らずとも幸せは簡単になれる(在れる)もんだというのが、アラフィフのわたしの持論でございます。
