⑦やっと結婚できた!と思ったけど、結婚はそこまで私を幸せにはしませんでした。
15年の長くて不発ばかりの婚活を終え、やっとやっと願ってやまない結婚ができたわたし。
なのに、待っていたのは、「結婚生活の現実」というものでした。
甘い新婚生活なんて、どこ吹く風。他人と
住むというのはこんなにストレスフルなのか、と思い知らさたような。新婚なのにさっぱり楽しくない。
でも、ありがたくもすぐに授かりました。結婚式と披露宴と新婚旅行もシナリオどおりにしました。そして出産も。37歳の1年間のうちに、人生における大イベントを猛ダッシュで駆けぬけました。15年待った人間は勢いがすごい。
いっぽう、わたしの両親は、創価のことを何も知らない夫を早々に入会させました。当時まだ信仰心があったわたしも、母親を止めることはしなかったので。
そうこうしながら時はたち、結婚して3年ほどたった頃。つまり、実家から離れて3年の月日がたつと、私の心の深いところから「なんでわたしは創価学会やってんだ?」という、ドロドロしたものがじわじわわいてきました。
地域に住んでいる創価学会の人とも交流がありましたが、このあたりから全てを拒否るようになります。
実家の母親には、帰省したタイミングで脱会することを強く訴えました。かなりのバトルでしたし、話は並行線で終わったまま。
いま結婚13年。紙面上では創価学会員として名前はありますが、実際なにもしておらず、一切無関係な暮らしをしています。
気がむけば神社にお参りしますし、初詣もクリスマスもします。
創価学会の新聞はもうずいぶんと読んでいませんし、その集まりに参加することは全くありません。嫁ぐときに持ってきた小さな仏壇は納戸の奥のほうへ。選挙も公明党に限りません。
結婚できた。実家から離れ、宗教から自由になれたのもよかった。ただ、あんなに憧れた結婚には、今だ疑問をもってます。
ほんとに、あんなに、がんばる必要があったのでしょうか。
15年もの夢をやっと叶えたわりに、結婚がわたしの幸せと完全一致するわけじゃないと知ったから。
結婚うんぬんの前に、宗教と母親から引き継いだ思想や観念、規律や縛りから逃れることはできなかったのか。
結婚に逃げていただけで、じつはもっと本質的な自由を求めていたんじゃないか。
今だから想うことがたくさんあります。
「宗教と結婚のはざま」をテーマに、わたしの独身時代からコンニチまでの出来事を荒めになぞって書かせていただきました。
今後は、もっとポイントをしぼって、その時わたしが何を考え何を想っていたのか、細かくみていこうと思います。
「はじめに。」にも書いてますが、宗教の話は時代的にいっても古臭いイメージは否めませんし、関係ない人のほうが思いんじゃないかと思います。
だけど、わたしのような元信仰者もまだ世の中にはいますし、宗教団体が存在してるのも事実で、当事者じゃなくてもなんらかの関わりがあって、その影響が好まない形で顕れてるなら、参考にしてほしいと思って書いています。
