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はじめに。

ガネーちゃんです。よろしくお願いいたします。

お察しのとおり、これはもちろん!ハンドルネーム。どんなアイコンにしようかなーって探していたときに、ふと目にとまったのがガネーシャだったのと、宗教の話をするので遠くないかなと思って。

あと、「夢をかなえるゾウ」のドラマも本も好きなので、古田新太さんにならってあんな風にここでは文章にしていけたらなと。(関西弁ユーザー)

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あらためまして、ガネーちゃんと申します。

アラフィフまっただなか。地方の田舎在住、お勤めしてます。

実家は創価学会バリバリで、親戚そこらじゅうガチの創価勢。その環境がなかなか異様だとわかったのは、ずーっとあとです。

母親とそのあたりの創価コミュニティは、わたしを創価学会の一員として立派な人材にするため、創価ならではの英才教育を施しました。

育った環境、育てられた親の影響は、わたしの人生にモロにあったと思ってます。

人のせいにしたらいけないことくらい100も承知。だけど、これだけは言わせてほしい!

「宗教してたから、しなくていい経験したんだよ!」

だけどほら、親ガチャっていう言葉があるくらい、子どもは親を選べない。

なんなら「この親のもとに生まれてこの人生を死ぬまでまっとうする」と決めて、あっちの星から来たらしいじゃない?

だとしたら、わたしはわざと宗教バリバリのところに飛びこんで、それがベースの価値観で生きることを自ら選んだかもしれず…

なかなかのドМっぷり、度胸ある。けして平坦ではない山も谷もある運命をあえて望むだなんて。

まぁええ。もぅええ。望もうが望むまいが、そんな人生を現実としてやってきたのは間違いないんだし。

そうして50年生きてみて、年の功も奏してか、ようやく広い目でフェアな視点で、宗教のことも自分のこともみれるようになった。

時代でいえば、昭和〜令和がかけ足でうつりかわって、宗教の話をするとどこか古めかしい印象もなくはない。

けど、わたしがこれまで生きてきた時間に、もっとも深く濃く長く関わってきたことは「宗教」、その中でもとくに「創価学会」。

もし日本のどこかに、これまでのわたしみたいな「宗教があったから」こその悩みを今も抱えて、自分だけではどうしようもできず絶望の淵に立たされているなら、一読してってほしい。

創価学会を批判する話を書くつもりはないんです。
なんなら、新しいチャレンジとして、創価をやってて良かったことも書こうと思う。

今だから語れるこれもこれも、宗教ありきの人生がどんなだったか、リアルな体験と経験を記憶のまんま赤裸々に。

それを経て、今現在感じること、考えることを包みかくさず。

さすがに年齢が年齢なだけに、忘れてしまったことも増えてるでしょう。覚えていても誇張したり盛ったりしてるかもしれません。なるだけそうならないようにがんばりますが。

そういう意味では、思い出話なんてしょせん空想みたいなとこあるし、記憶なんてほんと曖昧なもんです。

ので、どっかの小説でも読んでるかのように楽しんでいただけるとありがたい。

現在、結婚して家族と暮すことを10年以上やってます。

創価学会とは一切関係のないところで。

では、どうぞよろしくお願いいたします。

2025.5.8 初稿
2025.5.23 改訂 

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