「台湾人は親日」と言われる理由を、私の家族の歴史から考えてみた
私の母方の祖父は、「鄭」という姓です。鄭成功の「鄭」です。
台湾の彰化から台南にかけて広がる広大な農地には、鄭という姓の小さな集落がたくさんあります。
そのルーツを調べていくと、多くは鄭芝龍(鄭成功の父親)の海賊集団までたどることができます。
明の末期、海賊集団というのは、単純に「人を集めて、盗みをする集団」ではありませんでした。
沿岸地域で生活できなくなった貧しい人や孤児などが、頼ることのできる集団に入っていったのです。当時は、政府もあまり頼りになりませんでした。
その武装集団のリーダーだった鄭芝龍は、とても能力があり、知識も豊富な人でした。何か国もの言葉を話すことができ、自分の勢力を広げることをよく理解していました。
当時は、勢力を広げるために、多くの「人手」が必要でした。
そのため、こうした貧しい人たちの中には、「鄭」という姓を名乗るようになった人がたくさんいました。また、乱世の中で親を失った孤児も多く、鄭芝龍に引き取られた後、自然に「鄭」という姓を名乗るようになりました。
今日は別に歴史の話をしたいわけではありません。
でも、ここから話し始めないと、なぜ「台湾人は親日だ」と言われることがあるのか、うまく説明できないと思います。
もちろん、これは一つの角度だけで説明できる話ではありません。
ここで話したいのは、私の家族で実際に起きてきたことです。
歴史の話をすると、鄭成功は台湾を拠点とし、その息子の鄭経は、長い間、台湾で開墾を続けました。
そして1683年、台湾は清朝に支配されることになります。
その間に台湾で農地を開いて暮らしていた人は、すでに100万人を超えていたと言われています。
当時、台湾で特に多かった姓は、「陳」「林」「鄭」でした。
私の母方の祖父の先祖は、鄭成功の時代から、ほぼ同じ土地で農業を続けてきました。
では、彼らは本当に鄭成功が大好きだったのでしょうか。
実は、そうとは限りません。
ただ、鄭成功が彼らを台湾に連れてきたことで、彼らはここで生きていくことができました。
清朝の時代になって、一番大きく変わったことは、髪を切って、辮髪にしなければならなかったことです。
そして、税金を取りに来る役人も、派遣されてくる軍隊も、みんな自分たちには理解できない言葉を話しました。
北京語と台湾語は、発音がまったく違います。
清朝が台湾に派遣する役人は、基本的に台湾の地元の人ではありませんでした。また、不正を防ぐため、任期も決められていました。
その後、日清戦争の結果、台湾は日本に割譲されました。
これは、だいたい私の母方の祖父の祖父の時代、つまり曾々祖父の時代です。
彼にとって一番大きな変化は、髪を切って辮髪にする必要がなくなったことでした。
そして、税金を取りに来る役人は、相変わらず自分には理解できない言葉を話しました。今度は日本語です。
その後、私の母方の祖父の父親、つまり曾祖父の時代になると、生活は大きく変わりました。
まず、鉄道ができました。
次に、電気が来ました。
そして、灌漑用水路もできました。八田與一が造った嘉南大圳です。
その後、ラジオも普及しました。
曾祖父は、こうした生活の変化を見ていました。
今の私たちに例えるなら、インターネットがなかった時代から、突然インターネットを使えるようになったようなものです。
世界はまったく違って見えたでしょう。
生活は、とても便利になりました。
第二次世界大戦が終わった後、台湾は国民党の支配下に入りました。
私の曾祖父や祖父が当時感じた一番大きな違いは、税金を取りに来る役人や、派遣されてくる軍隊が、また自分たちには理解できない言葉を話すようになったことでした。
また、国共内戦の後、中国から多くの人が突然台湾にやって来ました。
祖父や曾祖父にとっては、生活の中でさまざまな制限や抑圧が増えました。
それだけではありません。
もともと台湾には電気も鉄道もありましたが、国共内戦の影響で、生活は約10年ほど後退したように感じられました。
さらに重要なのは、こうした不満を、以前の時代のように簡単に口にできなくなったことです。
たとえば、昔なら廟の前で政府の悪口を言うこともできました。
しかし、国民党時代の最初の30年ほどは、そんなことを言えば、共産党のスパイだと疑われ、逮捕される可能性がありました。
つまり、鄭姓の台湾の農民の家族にとって、過去300年ほどの間、何度も似たようなことが繰り返されてきたのです。
鄭成功以外は、税金を取りに来る人も、軍隊も、自分には理解できない言葉を話す。そして、自分が好きではないことをやらされる。
ただ、国民党の時代は、それまでとは少し違いました。
国民党が台湾を接収してから最初の20年、つまり1946年から1966年ごろまで、多くの台湾の農民にとって、生活は日本統治時代よりも悪く感じられました。
なぜなら、台湾が接収された後の20年は、生活が根本的に便利になったわけではなかったからです。
だからこそ、彼らは自然に日本統治時代を懐かしむようになりました。
彼らにとって、日本統治時代は、基本的に「年々生活が良くなっていった時代」だったからです。
もちろん、日本統治時代の台湾人は、日本人と完全に平等な権利を持っていたわけではありません。
それでも、懐かしく思う人はいました。
そして、その記憶や感情は、家族や親しい人たちにも受け継がれていきます。
私は子供のころから、母方の祖父からこうした話をよく聞いていました。
そういう話を何度も聞いて育った私も、いつの間にか日本に親しみを感じるようになったのです。
