見出し画像

『脱時機』でのんびり生活/シリーズ・トキノナガレ①

誰もが公平に与えられているもの、それが「時間」である。

ただし時間の捉え方は人さまざまだ。「ひと時も無駄にしたくない」と考える人、「ゆっくりと楽しんでいこう」と考える人。どれが正解ということはなく、時間の使い方には、各々の哲学が反映される。

僕自身振り返ると、「無駄にしてきたなあ」とか、「もっと違う使い方があったかなあ」と、若干の後悔を覚える。と、同時にこれ以上やることを詰め込んできたら、体が持たなかったのではないか? 既にオーバーワークなのではないか? というような疑問も浮かぶ。

時間は有限だが、時間に身を置く私たちにとっては、無限のように感じるものだ。過ぎ去ってから、初めて無駄だったとか、充実していたとか、そういう感情が浮かび上がってくる。

藤子F作品には、「時間」をテーマとした作品が、物凄い数存在する。時間とSFは相性も良いこともあるだろうが、「時間」をどのように捉えて、いかに使っていくか、いかに日々を過ごしていくか、そういう人間の生きざまが強く反映されるテーマについて、藤子先生は惹かれていたようにも思う。

そこで数回に渡って、時間の使い方・感じ方に関する作品を集めて、F作品がどのように時間を描いているのか、検証していきたい。

「キテレツ大百科」『脱時機』
「こどもの光」1974年5月号/大全集1巻

まずシリーズ第一弾として、本稿では「キテレツ大百科」の第二話目にあたる『脱時機』から見ていく。名物キャラのあの人も登場してくるので、どうぞお楽しみに。

「キテレツ大百科」第一作目で、「奇天烈大百科」を手に入れた木手英一は、さっそくコロ助を作った。本作はその続きとなる。第一話の記事はこちら。

夜中にコロ助と発明をしているキテレツ。ママが「何時だと思っているの」と注意しに来る。時間の経つのを忘れて作業しているキテレツだったが、ママに貰った目覚まし時計を分解しようとしたところで、本格的に叱られ、ようやく寝ることに。

画像1

この時、「脱時機」という道具を作っていることが明かされる。

寝ようと思ってトイレに行くと、裏の家にも電気が付いている。真夜中なのに、誰が何をしているのか。キテレツはこっそり様子を見に行くと、受験勉強に勤しむ勉三さんであった。

勉三さんは、「キテレツ大百科」のアニメを見ていた方には有名だが、キテレツの隣家に住んでいる”永遠の”受験生で、本作では一浪している設定となっている。トレードマークは着古した詰襟学生服と、視力どれだけ悪いんだ?といった眼鏡である。アニメでは何浪もした結果大学生になっていたが・・。

勉三さんは、昔はキテレツを映画やハイキングに連れて行ってくれた頼もしいお兄さんだったが、今や勉強一筋。

「映画やハイキングか・・・。この世にはそういう楽しいこともあったんだなあ。かすかに覚えている」

遠い目になったと思ったその瞬間。

「余計なことを思い出させるな。今は一秒も惜しんで勉強しなくちゃ、まだ落第するぞ。キ~~イ。帰ってくれ!」

とキテレツを追い出してしまうのだった。

画像2

人が変わったと思うキテレツ。皆時間が足りない。「脱時機」を早く完成させなければならない。

今日中に完成させると、集中的に作業を始めるキテレツ。コロ助はキテレツの代わりに買い物に行ったり、おやつを食べさせてあげたり、トイレを持ってきたり(!)、助手として大活躍。二人の名コンビぶりがさっそく発揮されている。

そして、「脱時期」が完成。この道具は、タイマーのついたランドセルのような道具で、タイマーのスイッチを押すと、時間の流れから抜け出すことができるのだという。つまり、時間を止める夢のような道具なのである。

画像3

さっそくスイッチを押し、本当に時間が止まったか確かめ行くキテレツとコロ助。ちなみにスイッチを押したキテレツとは別にコロ助も動けているが、後ほど、時間から抜け出した人が触った人も、同じように「脱時」できるという設定が出てくる。

ママがアイロン中に動きが止まっていることを確認し、少しいたずらをして、勉三さんの家へと向かうキテレツたち。勉三さんは、「また邪魔しにきた」と言ってバケツの水を掛けようとしてくる。そこで脱時機を使って時間を止めて、勉三さんも時間の流れの外に抜け出してあげる。

いくら勉強の邪魔だと言え、隣家の小学生に水をかける勉三さん、既に勉強ノイローゼとなっているようだ・・・。

勉三さんは時間が止まるという状況に驚きながらも、少しずつリラックスしていく。裏山のような場所までいくと、

「日の光、草の色、土の匂い。すっかり忘れていた」

ふだん見向きもしないような自然を感じた勉三さん。野原に寝そべって、そのまま眠ってしまう。受験勉強疲れが溜まっていたのである。

画像4

キテレツは勉三を寝かせたまま、散歩していくと、野球場で何やら揉めている(時間が止まっているので揉めているように見える)。

時間を動かして話を聞くと、九回二死満塁で逆転のチャンスに打順が回ってきた男の子が、塾に行く時間となってしまい抜けてしまったのである。ちなみに最近記事にした「エスパー魔美」の『魔女・魔美?』でも九回二死満塁で高畑くんに打順が回ってきていた。

そこでキテレツがピンチヒッターに名乗り出る。脱時機を背負ってバッターボックスに立ったので、チームメイトに心配され、相手チームにはバカにされる。そして投げられた球が手元に来た時に、時間を止める。

さすがに止まっているボールなら打てる。慎重に球を狙ってバットを振ると、ズガンとボールが飛んでいく。そしてその瞬間に時間を動かして、いつの間にか大ホームランを打ったようになる。

是非ともレギュラーに、と友達が集まってくるが、そこでもう一度時間を止めて行ってしまうキテレツ。文化系の男なのである。

画像5

裏山に戻ると、ゆっくり休めて生き返ったと勉三さん。ここで名言。

「ゆとりって大事だね。もうあんまりあくせくするのはやめたよ」

「そのうち映画やハイキングに行こう」と約束して、勉三さんと別れるキテレツ。

「ゆとりか…。僕も少しノンビリしないといけないな」

キテレツは家に帰り、のんびりとテレビで「ドラえもん」を見ているのだが、その様子をみてママが心配して、

「どうしたのボンヤリとテレビなんか見て。具合でも悪いの」

と額に手を当ててくる。急にいつもと違う時間の使い方をすると、周囲に驚かれてしまうというオチである。

本作ではキテレツと勉三さんという「忙しい」二人を時間の流れの外側に連れ出して、のんびりすることの大事さを実感させる展開であった。

画像6

作中で「ゆとりが大事」という言葉が出てくるのでちょっとだけ脱線。

本作が描かれた1974年頃は、大学受験についての議論が巻き起こっていた。大学によってテストの内容が異なり、難問や珍問も平気で出題されていた。そこで、国公立の大学入試を同じ問題にするべきだという議論が出てきて、1979年には「共通一次試験」(後のセンター試験)が実施される。

大学進学率も上がり、大学受験のハードルも上がっていった。「受験地獄」という言葉も定着していった時代だった。勉三さんは、そうした寝ずに勉強する受験の申し子のようなキャラクターなのである。

そうした中、受験勉強=詰め込み教育という批判が出てきて、その反動として「ゆとり教育」という考え方が登場する。まさしく本作で語られたような、「ゆとりは人間性を取り戻すために大切である」という主張に基づくものである。

今やゆとり教育の考え方で学んだ世代を「ゆとり世代」と言って揶揄するのが当たり前となっているが、ただ時間をかけて机にかじって勉強してきた人たち(=「詰め込み世代」)が正しかったとは僕には思えない。

本稿の冒頭で、時間の使い方は人それぞれで、各々の哲学が反映されると書いた。それは勉強についての考え方も人それぞれということを意味する。ゆとりがダメ、いや詰め込みがダメと何でも画一的に、批判したり反省したりするのは間違っているように思うのである。


いいなと思ったら応援しよう!