「諦めたらそこで完成よ」
ここしばらくは時間があるので、ゆっくりとnoteに向き合うことができる。
もちろん、やる気(執筆欲)がいつも湧くわけでもないし、他にもやっておきたいこともあるので、note一本という訳にはいかない。
そもそも、まとまった時間を使って文章を書くという行為は、案外と気力と体力を使うので、「時間が空きました、では書きましょう」ということにはならないのだ。
今までも長期にわたってきちんとした文章を書けなかったことがあったが、その度に僕は、過去に書いた記事のリライト(推敲)から取り掛かるようにしてきた。
文章は、その長短に関わらず、一度目に書いたものは、とかく不十分な出来栄えとなる。
誤字脱字や「てにをは」の訂正以外にも、文脈が繋がっていない部分、言い足りない部分、不必要な部分などの修正ポイントが必ず出てくる。
文章は推敲しないと、完成に至らないのである。
ライターの古賀史健さんによる「取材・執筆・推敲:書く人の教科書」という本があるが、タイトルの中にわざわざ「推敲」と入れている部分に、とても膝を打つ思いである。
少し前に書いた文章は、勢いに任せているものもあったりして、読み直すことが辛く感じる時もある。
けれど、不思議なことに、加筆訂正を細かくしていくと、愛着の湧く文章に変貌したりする。
推敲作業が面倒とか、どうでも良いと思っている人がいるとは思うが、是非ともマメに過去記事のおさらいをすることをオススメしたい。
ただ、推敲しすぎも考えものだ。完璧を目指すあまり、世の中に発信することが躊躇われてしまう可能性もある。
どこかで踏ん切りをつけて、世の中に放り出さねばならない。
先日「ブルーピリオド」という漫画を読んでいて、作品は「諦めたらそこで完成よ」というセリフが出てきて、大きく頷いた。
世に何かしらを提示するのならば、どこかで一区切りを付けて、「作品」を完成としなくてはならない。
文章にとって推敲は大事だけど、どこかで打ち切らなくてはならない。
「リハビリはリライトから」というタイトルでこの文章を書いてきたのだが、一度目の推敲の結果、タイトルが変更となった。
まあ、発信(作品)とはそういうものであろう。
