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『容疑者xの献身』 証明に足りない小文字のx

※ネタばれがありますので、未読の方はご留意ください。

学生の頃から、東野圭吾のファンだった。

『放課後』から始まり、読んだことのない文庫本を見つければ買っていたということは以前にも書いた通り。『容疑者xの献身』も確実に読んだのだが、なぜか本棚にない。仕方がないので改めて買い戻した。

買い戻すと装丁や帯が新しくなっていたりする。それはそれで悪くない。

そして、あらためて表紙を見て気づいたことがある。

「x」が小文字になっているのだ。

数学者にとってのxは変数だ。条件を組み替え、矛盾のない式を作り上げていく。

石神哲哉が組み立てたのは、事件を解くための式ではない。靖子に罪が及ばないよう疑いの向きを変え、最後には自分が罪を被るための偽装である。いわば、靖子に罪はなかったということを証明するための偽証なのだ。

そこには、証明のために必要なものがただ一つだけあった。

それが、「x」 なのだ。


さしのべられた手

花岡靖子は、面倒な元夫・富樫慎二に振り回されている。

しつこく復縁を迫られ、娘にまで手を上げられ、ついには取り返しのつかないところまで追い詰められる。隣室の石神が様子を見に来なければ、靖子は自首するしかなかっただろう。

そう考えると、石神は手をさしのべるしかない状況になってしまったようにも見える。困っている母娘を前にして、自首するか、死体を処理するかと問いかける。

靖子は、その手を拒まない。

ここが靖子のしたかさである。

彼女は決して悪女として描かれてはいない。慎二によって人生を乱されてきた被害者であり、娘を守ろうとした母親でもある。

ただし、守られるだけの弱い女性でもない。差し出された手を握り、石神の指示に従い、頼るべき相手を見極めている。

ある意味では、靖子は慎二と石神、二人の男性の人生を狂わせるほど手玉に取っていることになる。

それでも悪女には見えない。この均衡が絶妙だ。


気づいてはいても

石神は木訥で、自分の感情をほとんど言葉にしない。

靖子に感謝されたいわけでもない。恋心のようなものは抱いているが、恋人になりたいと迫ることもない。見返りを求めず、彼女と娘が平穏に暮らせるように、自分の人生を犠牲にしてひとつの証明を構築していく。

おそらく石神は、靖子のしたたかさにも気づいている。

彼女が自分を頼っていることも、自分の思いと同じ強さで応えているわけではないことも織り込み済みだ。それでも構わない。それこそが数学者、石神なのだ。

石神は靖子に騙されているのではない。

靖子のしたたかさに気づきながら、自らを犠牲にする方向へ進んでいく。

石神が純粋だからではない。

相手の感情が自分と釣り合っていないことまで理解したうえで選んでいる。


証明を崩してしまった湯川

その石神の証明を崩すのが、大学時代の友人・湯川学である。

警察が追っているのは事件の真相だが、湯川が見ているのは石神だ。なぜ、この男がこんなことをしたのか。どこまで計算し、何を守ろうとしたのか。

湯川は旧友の思考をたどり、事件の成り立ちだけでなく、その根底にある石神の感情にまで到達してしまう。

けれど、すべてを言葉にして、表沙汰にしようとはしない。

石神が言葉にしなかったものを、湯川もまた必要以上には語らない。互いの思考を読み、答えにたどり着きながら、湯川は沈黙する。警察には真相を明かさず、石神にだけ反証してみせる。

この二人の思考パターンが、実に理系なのだ。

論理で相手を理解する。理解したからこそ、その石神の意思と情を尊重する。

靖子の無実を証明するために必要だった唯一の要素「x」は、石神が犯行を自白することだった。

それで証明は完成し、石神が罪を被り、靖子は娘と平穏に暮らせるはずだったのだ。

石神の完璧な証明は、湯川に崩されたものの、湯川の沈黙により完成するはずだった。

しかし、靖子の自白によって根底が崩れてしまった。

靖子の愛情が自分に向けられることはない。そう信じていた石神にとっては、靖子のこの行動は痛恨の誤算だった。思わぬ自白は、靖子の石神への愛情の告白にほかならない。

だからこそ、ダルマの石神は泣き崩れたのだ。
(2025.02.19.)
バナーはChatGPT Image 2.0で生成しました。

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