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新しい教育制度と札幌短期大学

1950(昭和25)年3月14日、札幌短期大学(札幌短大)の設立が正式に認可された。この知らせは、札幌文科専門学院(文専)の教職員と学生が、昇格運動のなかで積み重ねてきた努力が実を結んだ瞬間でもあった。戦後の混乱期に始まった大学昇格への挑戦は、ここにひとつの到達点を迎えたのである。

金糸の校章も鮮やかな札幌短大の校旗

この年は、日本の教育制度にとっても大きな転換期であった。1947(昭和22)年の「学校教育法」制定により、いわゆる六・三・三制が導入され、新しい教育体系が段階的に整備されていった。四年制大学が先行して発足する一方、短期大学制度は法整備を経て、1950年3月にようやく本格的にスタートする。全国では同年度、短期大学149校(公立17校、私立132校)が認可され、在籍学生は約1万5千人にのぼった。女子学生が約4割を占め、のちにその比率がさらに高まっていくことも、この制度の特徴のひとつであった。

北海道内でも同年、札幌市に4校、江別市に1校、計5校の短期大学が誕生した。設置学科は、経済・英文系のほか、酪農、厚生、家政など多様であり、戦後復興期の地域社会が実務的な高等教育に強い期待を寄せていたことがうかがえる。

短期大学設置の目的について、当時の設置基準は、「高等学校の教育の基礎の上に二年(又は三年)の実際的な専門教育に重きを置く大学教育を施し、良き社会人を育成すること」と示していた。これを受け、札幌短大の設置の目的と使命として、以下の四点を掲げた。

(1) 北海道総合開発の実務担当者の養成
(2) 北方文化の植民地的停頓性及び跛行性の打破
(3) 短期大学に対する世間の熾烈なる要望への順応
(4) 教育の機会均等と男女共学の励行

(『札幌短期大学設置申請書』1949.10.15)

地域社会に根ざした実践的教育機関としての性格が、ここに明確に打ち出されている。

初代学長には、文専学院長であった苦米地英俊が就任し、1950年4月1日、札幌短大は新たな一歩を踏み出した。講義は4月20日から開始され、7月9日には札幌市民会館で開学記念式が盛大に挙行された。

札幌市民会館で行われた開学記念式典(1950年7月9日)

式典では、文専創立者や期成会関係者、同窓会に対して功労表彰が行われ、草創期に27歳で逝去した南部芳明助教授への追悼の言葉も捧げられた。午後には音楽部や演劇部による記念行事が催され、開学の喜びを学内外で分かち合った。

開学初年度の入学者は、商業科104名、英文科51名、計155名であった。新制高校出身者が中心であったが、文専からの進学希望者も少なからず含まれていたとみられる。一方で、発足間もない短期大学制度は社会的認知がまだ低く、当初は志願者集めに苦労したことも新聞は伝えている。それでも札幌短大は、時代の新しい教育需要に応える存在として、着実に歩みを進めていった。

新聞に掲載された大学昇格の見出し付き受験案内広告(1950年3月)

札幌文科専門学院を母体とし、教職員と学生の情熱によって生まれた札幌短期大学。その船出は決して平坦ではなかったが、戦後教育改革の潮流のなかで、それまでの歩みの上に立ち、本学の歴史はここから新たな段階へと歩みを進めていくこととなったのである。


※本記事は、2000年に発行された『札幌学院大学50年史 通史編』の記述の一部をもとに再編集したものです。原文の趣旨を尊重しつつ、現代の読み手にも伝わりやすい形で構成しています。