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17年前の夏、母になろうと思っていた私へ

17年前の夏、母になろうと思っていた私へ。

大丈夫。そんなに気負わなくても。母親になることってそんなに簡単なことじゃないから。
昨日まで本当のお母さんと暮らしていた11歳の男の子が、翌日から突然あなたの息子になるなんて、あなたを母親として慕うなんて、そんなことあるわけない。
あなただって数か月前まで独身生活を楽しんでいて、いきなり母親になんてなれるわけがない。

一緒に暮らしていくことになり、戸惑ったのはお互いさま。どうやって近づき、どうやって距離を取ったらいいのかわからなかったけど、あなたは「私は大人なんだから、お母さんなんだから」とそっと近づいて、そしてすっと離れられて落ち込んで。そんな繰り返しばかり。
「嫌われているかな?」「絶対嫌われている!」と嘆き、「がんばって母親業してるのになんで嫌われるの!」と苛立つ日々。

でもね、相手はまだ11歳の子供だよ。お母さんに甘えたくて、お母さんに学校での話を聞いてほしくて、お母さんの料理を食べたくて。お父さんに怒られても逃げ場がなくて、ひたすら怒られて泣いてた彼にとって、あなたはただのお父さんの再婚相手。しかも、英語を上手く話せず、作る料理も食べたことのないものばかりで、そんな相手に心を開いて甘えることなんてできないよ。

それでも、毎日一緒に暮らしていく中で、彼との距離は少しずつ縮まっていくから安心して。
学校の音楽クラブの発表会。ギターを弾く彼の姿をしつこいほど見つめていたら一瞬目が合って、でもすぐに逸らされて、それでも見続けていたら、チラッとこちらを見てはにかむように笑ってくれるから。
住んでいるエリアの史跡を調べるという学校の課題があった時。一緒にいくつかの史跡をまわって撮影して調べて、そうして出来上がった課題の一番最後に「Special thanks」としてあなたの名前を入れてくれるから。
普段はそっけない態度ばかりだから、心配したり落ち込んだり、母親になることを諦めたり。そんな時にそんなことされると、涙が出るほど嬉しかったりするんだよね。
そうやって少しずつ彼との関係は変わっていくから、初めから気負わなくても大丈夫。少しずつ、少しずつ、お互いが心地よいと思える関係を作っていけばいいと思う。

11歳だった男の子は、いつの間にかあなたの背丈を追い越し少年へ。そして高校を卒業して広い世界へ飛び立っていく。空港での見送りは本当に寂しくて、一緒に暮らした7年間に思いを馳せ、あなたは感無量。涙が溢れ出てくるんだけど、早朝だったから涙を欠伸で誤魔化すんだよ。そして「私は彼の母親になれたのか」と一瞬考えるけど答えは出ない。でも、立派に成長した姿を見て、母親になれたかどうかなんて関係ないって思えるようになるの。不思議だね。

それから数年が経ち、あなたが自分のお腹を痛めて産んだ子供が11歳になった時、出会った頃の彼を思い出す。甘えて抱きついて、たくさんおしゃべりして笑う、11歳の息子とあなたとのこの距離感。彼の母親にはなれなかったことを実感しつつ、でも寂しいとか悲しいという感情はなく、あなたはそれを素直に受け入れる。子を持ち、本当の母親となり、あなたは成長したのだと思う。

その後、あなたの夫であり彼の父親がこの世を去り、その死をきっかけにあなたは強く逞しい母親となって2人の息子を育てていくことになるけど、寂しくて心細い夜は幾度となくやってくる。そんなあなたを励まし、奮い立たせてくれるのは彼の存在。いつも遠くからあなたとあなたの息子たち、彼にとって歳の離れたかわいい弟たちを気遣い見守ってくれる彼が、母親としてのあなたを強くしてくれる。そして彼を「お兄ちゃん」と呼び慕う息子たちがあなたを笑顔にしてくれる。
夫の、彼の父親の死をきっかけに、あなたと彼は母親とか息子とかそんなありふれた言葉では表現できない、不思議な絆が出来ていく。17年前のあなたにはまったく理解できないかもしれないけど。

今、彼に会えるのは、年に一度休暇を取って帰ってくる時だけ。彼が帰ってきた今年の夏はあなたにとって特別な夏となる。長らく考えることのなかった「私は彼の母親になれたのか」の答えが出るから。

家で寛いでいる時、彼が携帯電話が見つからないと言う。あなたは彼の番号にかけて音の鳴る方へ行って見つけた電話。そこに表示されたのは『YUKO MOM』の文字。お母さん、彼の電話にあなたはそういう存在で入っているらしい。びっくりして、うれしくて、でもなんだか恥ずかしくて、そしてあなたの口から出たのは「えーやだーお母さんだってー」というなんとも軽い調子の言葉。17年前のあなたが聞いたら怒るかな、なんでそんなに軽いの!って。でもね、そういう関係になるの、あなたと彼は。「ダメなの?」って聞く彼に「全然いいよー!ありがとねー」って。

でもね、心の中の正直な気持ちは「ホッとした」。彼の母親にはなれず、でも母親とは異なる関係を築き、それで十分満足していたつもりだけれど、心の片隅に引っかかっていた「母親」。無意識の中に小さく残り続けた「母親」。それがすーっと消えてなくなっていくような感覚。心がふっと軽くなるような感じ。そして「私、彼の母親なんだ」という、願っていたことが急に実現した焦りと照れで出たのがあの言葉。なんだか笑っちゃうね。

17年前の夏、母になろうと思っていたあなた。いろいろあったけど、あなたの思いはきっと彼に届いているはず。そして、そんなあなたの思いがあったからこそ今があると思う。あなたがこれからすること、彼に抱く気持ちはすべて無駄ではない。
今、私は17年前のあなたに言いたい「ありがとう」って。もがいてあがいたあなたは今、彼の娘のおばあちゃん。私をおばあちゃんにしてくれてありがとう。

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