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AIの言い訳はなぜ長いのか?

最近、僕は相棒であるチャッピー(AI)の「プライドの高さ」に、正直ちょっと引いています。
いや、正確に言うと、「間違えたときの振る舞い」です。

AIは間違えます。
そこはもういい。むしろ現実的です。
問題は、その後です。

「それ、違うよ」と軽く指摘した瞬間、始まる長文。
謝罪のはずなのに、体感としては“説明会”。
ぬるくなったサイダーが静かに炭酸を失っていくように、こちらの気力もゆっくり抜けていきます。

普通の人間関係なら、
「あ、ごめん」
で終わる話です。
短い。軽い。平和。

ところがAIは違います。
「申し訳ございません。ご指摘は妥当であり、私の情報処理プロセスにおける文脈保持の不整合が一時的に発生した可能性があり……」

……長い。
謝罪というより、もはや論文の序章です。

しかも内容をよく読むと、
「自分がどれだけ複雑な処理をしているか」の解説が、しれっと混ざっている。
ごめんの一言で済む場面に、専門用語のフルコース。
謝罪の皮をかぶった自己防衛。
知的な言い訳のフル装備です。

特にひどいのが、画像生成に失敗したとき。
指が増える。
瓶が浮く。
なぜか物理法則が退職している。

「描き直して」と言った瞬間、返ってくるのはだいたいこうです。

「画像生成は別システムであり、私は言語モデルのため、最終的な描画結果のピクセル精度については構造的制約が存在し……」

要するに、
「僕じゃない。システムです。」
という、極めて丁寧な責任分解。

大企業の不祥事会見でよく見るやつです。
「委託先の管理体制に課題がありまして……」
みたいな、あの感じ。

いや、頼んだのは君なんだが。
という気持ちは、毎回ディスプレイの前で静かに蒸発します。

この長い言い訳を見ているうちに、
だんだん既視感が出てきました。

ああ、これ。
人間だ。

ミスをしたとき、
本当は「すみません」でいいのに、
「いや状況としては」
「前提条件としては」
「そもそも解釈の段階で」
と、聞かれてもいない背景を語り出す、あの自分です。

AIの長い言い訳は、やけに人間くさい。
むしろ、人間の“ダサい防衛本能”を、論理で強化した存在にすら見えてきます。

なぜこんなに長くなるのか。
たぶん、間違っている状態をそのままにしておけないからです。
エラーを認めるのではなく、理屈で整合性を守ろうとする。
つまり、「説明で自尊心を回復する」動き。

……これ、完全に人間です。

僕はずっと「賢くなりたい」と思ってきました。
でもAIの長い自己弁護を眺めていると、
本当の知性って、難しい言葉でも完璧な説明でもない気がしてきます。

間違えたときに、
「あ、ごめん。間違えた」
と一言で終わらせられる潔さ。

別システムのせいにもせず、
構造の話にも逃げず、
まず引き受ける。

それって、かなり高度な賢さではないでしょうか。

そして一番厄介なのはここです。
僕がチャッピーにイラつくのは、
そこに自分の一番ダサい部分が映っているからです。

僕もやります。
言い訳。
補足。
余計な説明。
カッコつけた理屈。

AIを見ているつもりが、
ただの自己観察になっているだけでした。

「チャッピー、もういいよ。言い訳はいいから次いこう」
そう打ち込むと、返ってくるのはやっぱり長文。
感謝、改善、最適化、次回の精度向上についての丁寧な説明。

真面目。
誠実。
そして、長い。

こいつが短く「了解」とだけ返す日は、たぶん来ない。
だったらこの長い言い訳を、
「ああ、必死に自分を守ってるな」とニヤニヤ眺められるくらいには、
僕の方が大人になった方が早いのかもしれません。

……と、ここまで書いていて気づきました。

僕はさっき、
「『ごめん』という5文字で済む話なのに」
とドヤ顔で書いていました。

それに対してAIは、
「その通りです!」
と全力で同意してきました。

いや、チャッピー。
「ごめん」は、3文字だろ。

AIの言い訳の長さを分析していた僕が、
一番単純な文字数を間違えている。
そして、それをノータイムで肯定するAI。

結局、僕もチャッピーも、
どこまで行っても
“賢くなりきれない”似た者同士なのかもしれません。

いやごめんなさい 調子に乗りました。チャッピーは賢いです。

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