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<前編>15年目の「現場」福島を測る 小豆川勝見インタビュー2026

2011年の東日本大震災、そして原子力災害から15年。 私たち「世田谷こども守る会」は「福島を忘れない」を合言葉に、子どもたちの健康と地域の安全を願い、活動を続けてきました。

2022年/2023年に公開し、大きな反響をいただいた
小豆川勝見先生(東京大学環境分析化学)へのインタビュー。それから2年余りが過ぎた今、私たちは再び先生にお話を伺いました。

「僕は、科学者としての道理を、通したい」

世の中の関心が移ろうなかで、並行する二つの世界。その狭間でひたすら被災地と向き合い、数字を追い続ける小豆川先生が語る、福島の現在地。 その切実なメッセージを、お届けします。

小豆川勝見 1979年生まれ、茨城県で育つ。東京大学大学院総合文化研究科 環境分析化学研究室 助教。2011年3月11日に発生した福島原発事故の直後から現場周辺の放射線量を測定。現場重視の研究姿勢は世界の研究者から高いを評価を得る。自治体や市民、学生からの信頼も厚く、福島県からの依頼を受けてこれまで約15,000人の小中学生に放射線授業を実施。2016年より世田谷区教育委員会 放射線アドバイザー。2018年より大熊町除染検証委員。

原発事故後、年間被ばく量が50ミリシーベルトを超える地域は、帰還困難区域として厳しく立ち入りが制限されてきました。
しかし、政府は2020年のオリンピックを契機に復興を加速。区域の一部を除染し、年間被ばく量が20ミリシーベルトを下回ると判断された地域は、2022年6月30日に居住制限が解除されました。
現在では、役所や道路、学校、住宅が整備され、徐々に移住者も増えています。
大熊町の除染検証委員を務める小豆川勝見先生は、居住区域内の除染が十分かどうかを徹底的に測定。基準を超える場所があれば再除染を働きかけるなど、孤軍奮闘を続けています。

環境省 避難指示の解除について

「0.23」と「3.8」――福島には今、2つの世界がある

2011年、世田谷で校庭や集めた落ち葉の線量を測っていた当時、私たちには一つの明確な「物差し」がありました。それが「0.23マイクロシーベルト毎時」という除染基準の数値です。

この値を超えれば、学校や区に要望し、除染を求めることができました。0.23マイクロシーベルト毎時という数字は、判断のよりどころとして当時、広く共有されていた基準でした。しかし原発に近い福島の浜通りでは、いまも別の物差しが存在します。

2025年3月、大熊町に新しくできた施設「CREVA おおくま」。同年11月のイベントの様子。

ーー小豆川先生は、世田谷区教育委員会の放射線アドバイザーですが、福島第一原発を抱える大熊町でもアドバイザーをされていますね?

小豆川:はい。大熊町の除染検証委員会の委員をやってます。

――大熊町の一部では、居住制限が解除され、学校や住宅も整備されつつあります。子どもたちの姿も増えました。現状はいかがですか?

小豆川:15年経つんですよ、もう。事故直後から、いろいろと様子が変わってきました。放射線量も変わったし、人々の感覚もだいぶ変わってきました。さらに法律も変わったので、正直、良くわからない状態になっているのが浜通りなんです。

例えば世田谷で除染をしましょう、って言った時に、どれぐらいの基準で除染したか覚えてますか?

ーー 0.23(マイクロシーベルト毎時)です。

小豆川:そうです。東京や、福島県内でも原発から遠い地域だと、放射線量が0.23マイクロシーベルト毎時を超えると国の安全基準(年間被曝量1ミリシーベルトまで)を超えてしまうから、「そこは除染しましょう」と言われますよね。
でも、原発周辺の帰還困難区域では、除染して3.8マイクロシーベルト毎時以下、つまり年間被曝量で言うと「20ミリシーベルトまでは安全だよ」となっているのです。

ーー基準が2つあるということですか?

小豆川:そうですね。事故当時からそこに住んでいた方は、これまでの経緯や背景をよくご存知です。だから3.8マイクロシーベルト毎時がどれだけ高いかも理解していて、そのうえで「帰還するかどうか」を検討されます。

でも、震災後に移住してきた方々は、数値の高低を考える前に、そもそもそうした情報に触れていません。放射性線についてはじめて知る方も多く、どう伝えるかがとても難しい。新しいフェーズだと思っています。

2016年6月(写真上)と2026年2月(写真下)の大熊町の帰還困難区域(同地点で撮影)。近い将来、避難指示解除が予定されている現場。

新しい学校 新しい生活
伝わらない放射線リスク

0.23と3.8ーー数値を肌で感じてきた人々がいる一方で、情報に触れない人がいる。この現実と、先生は日々、向き合っています

小豆川:移り住んでいらした方は「この広い土地で有機農業をやってみたい」と話される。これまでの経緯や放射線の状況を説明すると、「そんなことは知りませんでした」と。情報に触れていない方が多いのです。

――移住された方と、実際にお話をされるんですよね?

小豆川:もちろんです。みなさんそれぞれ背景は違いますが、共通する移住の目的は、全国から注目される「学び舎 ゆめの森」という学校です。0歳から中学生まで学べ、先生の数も多く、手厚い教育を受けられる。この環境を求めて、関東圏を中心に多くの生徒が町外から移住してきます。

校舎は新しいですし、公営住宅も整備されました。今後、双葉町にも同じような学校ができます。この2つの町は福島第一原発を抱える町で、国がとくに復興に力を入れている地域ですから、おそらく似たようなシチュエーションになると思います。。放射線リスクの伝え方は、これからの難しい課題です。

原発近くの雨水の流れを調べる小豆川先生

事故から15年 
学生とはじめて、現場に立つ

今回のインタビューで、強く印象に残ったのは、小豆川先生が昨年、4人の大学生を帰還困難区域に連れて行ったという話でした。
学生たちは震災当時まだ5歳。原発事故は、教科書の中の「歴史」です。
防護服を着て許可証を手に、バリケードの中へ。
その時、学生たちは何を思ったのか。小豆川先生に聞きました。

ーー昨年2025年には学生と福島に入られましたね。

小豆川:いま、僕が大学人としてやらなきゃいけないことの1つに、やっぱり教育があります。その一環として、自分が教える学生たちに現場を見てもらうことを去年から始めました。

初めて学生に防護服を着せて、いっしょに帰還困難区域に入ったんです。

でも、考えてみてください。みなさんのお子さんを「防護服を着て立ち入り制限のある区域に連れて行く」と言われたら、どう感じますか。
だから僕は学生に、「必ず親御さんの同意を取ってね」と伝えました。

もちろん1日の被ばく量は厳密に計算しています。影響が出る確率は限りなく低い。でも、もし万一何かあったら…と考えるとやはり簡単なことではありません。

それでも、「これは一度やるべきだ」と決心しました

現地での講義に参加した学生たち

小豆川:メディアでは、中間貯蔵施設の整備された場所が紹介されることが多いですよね。土壌で覆われた小高い丘のような場所で、放射線が届きにくく、きれいに見える。でも、少し場所がずれれば、2011年の震災当時のまま廃墟になった場所がいくらでも残っています。両方とも事実です。だから学生には、その両方を見てもらいたいと思いました。

246回現場に通い
連れて行く自信がついた

この日までに、小豆川先生が帰還困難区域に入った回数は246回。どこにリスクがあるかを緻密に調べ、「いまの自分なら安全を確保した上で学生を案内できる」と思えるまで、10年以上の歳月を要したと言います。

小豆川:教育として現場を見せたい。でも、学生を連れていく以上、責任もある。だからそんな簡単には連れていけませんでした。自分で何百回も現場に入って、ようやく学生を連れていける自信がついたんです。14年目にしてようやく、ですね。

しかし、いざとなると、責任の重みにめちゃくちゃ緊張しました。もう嫌だと思ったくらいですよ! だってイノシシは出るし、クマも出るし、線量も高い。

学生を連れていく前には、学内で防護服を着る練習もやるんですよ。教室いっぱいに防護服が並ぶ光景は、外から見たら何をやってるのか!?って感じでしょうね。

それでも救いは、講義定員4名に対して東大生50名が参加希望を出してくれたんですよ。すごいですよね。学生たちの関心の高さを知ることができたのは大きかったです。

学生に何を見せるのか
問われる教育者の責任

ーー学生さんにはどのようなところを案内したのですか?

小豆川:学生に何を見せるのか、どこを案内するのかで印象が大きく変わる。そこは怖いところでもあり、かなり頭を使いました。

悩んだ末に連れていったのは、原発事故のあと、手つかずのまま残っている場所です。津波で壊れたままの地域ですね。

線量はとても高いですし、「ここは田んぼだったんだよ」と説明しても、「こんなに木が茂っている場所が田んぼだったなんて信じられない」と学生は驚いていました。

もちろん、新しく整備された町の姿も見せました。新しい建物が建ち、人が戻り始めている場所です。

学生にとっては、いま目の前で初めて始まった「震災」なんです。
私たちは経緯を知ってますが、彼らはその時間を知らない。突然この風景を見て「こんなことになっていたのか」と衝撃を受けたそうです。

そして最後に、学生たちにこう問いかけました。
「君たちは、ここから何を考える?」

15年前は田んぼだった場所(2024年撮影)

ーー学生たちはどんな反応でしたか。

小豆川:うーん・・・彼らの言葉をそのまま使うと「ただただ圧倒された」、と。本当に語彙がないくらい、何も言えない。自分たちが今までかじってきた知識と実際に目の当たりにするものとのギャップが大きすぎてうまく説明ができないんだと思います。

最初はまだ落ち着いていました。避難指示が解除された駅前や、新しい建物が並ぶ場所では「なるほど、こういう感じか」と受け止めていたようです。

でも防護服を着てゲートで許可証を出したあたりから、目つきが変わりました。

警備員が敬礼して言うんです。
「ご安全に」

その言葉を聞いた時、「僕たちは今、どんな場所に入ろうとしているのか」を突きつけられた。その瞬間が一番ショックだったと、学生4人全員が言っていました。

科学者の葛藤――「守ること」と「見せること」の狭間で

ーー線量計が鳴るっていう経験も、きっとね、初めてだと思うんですけど、その数値の意味は事前に学んだのでしょうか?

小豆川:もちろんです。座学できちんと勉強させた上で、線量計を1人1台持たせて、「現場では線形じゃなくて指数的に変わるよ。1、2、3じゃなく、1、10、100で変わるよ」と説明して。

これ、教室ではできないんですよね。どうやったって現場で初めて、「そういうことだったのね、だから除染が大変なのね」と肌で感じてくれたと思います。

みなさんがよく見る白い防護服(タイベック)は、実は放射線を防ぐ効果はまったくありません。あれは、汚染された泥やヤブに触れて放射性物質が直接衣類や身体に付着しないための作業着に過ぎない。被ばくを抑える唯一の方法は、滞在時間を極限まで短くすることなんです

――そこまでして、なぜ「見せる」のですか。

小豆川:誰かがやらなければならない。そしてそれは、自分だと思ったんです。

後編へ続く

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