自分がやりたいことを誰かと一緒にやろうなんていうのは大間違いである
他人に期待してしまうから、人間のすれ違いが起こるのだと心底思う。
自分の価値観、自分の趣味、自分の思考軸でやるべきことがあり、自分と近い存在の人間ができたとき、人はそれを他人にも期待してしまうことがある。食事は同じものを食べるとか、休日の過ごし方が同じとか、こうしたシンクロを求めてしまうことが少なくない。意識していてもこれをやめることができない人は多いだろう。
期待しないのは無関心、関心や愛情があるから期待するんだと主張する人もいるし、期待や執着しないのは愛情じゃないという人もいる。そういう考えも正しいと思うし、人間らしさを失ったらそれはそれで味気ないとも思う。
ただ、いがみ合ったり気持ちを濁してまでこの期待感情を尊重する価値があるのかと問われれば、答えは否だ。誰かが何かをしてくれるから満たされるという感情が暴走することに寄り、他人をコントロールすることが自分自身の満足の必要条件になってしまう。
自分自身のコントロールが及ぶ範囲=感情の100%部分=A
相手の行動や成果により満足する部分=100%以上のプラスアルファ=B
ととらえられれば、何かうれしいことがあればラッキーとなるし、他人の行動が特に気にならなくなる。自分の感情メーターの内数とするから、それがないとイライラしてしまうけど、外数にしてしまえば、あくまでもオプションであり、グリーン車や高級料理みたいなものになる。他人の存在や行動は「あったらいいな」であるから、余裕をもって接することができるけど、「○○じゃなきゃだめだ」となると、他人に機嫌を委ねることになる。A+B=100%ではだめなのだ。
私は妻に何も期待していない。ただ、一つ妻に望んでいることがあり、できればそれをかなえてほしい。それは、笑顔でいること、ご機嫌でいることだ。妻の笑顔さえ見れれば、あとはどうでもいいし、逆に、一緒にいる人がつらそうな顔をしていたり、苦しそうな顔をしていたり、不機嫌や、イライラしていると、自分も悲しくなるし、息苦しくなってしまう。やるべきことじゃなくて、やりたいことをやってほしい、それだけは結婚前に何度も丁寧に伝えた。妻も当初はこれまでの経験から、何も要求や期待されたり強制されないことに違和感を示していたが、徐々にこの雰囲気になじんでくれている。
妻に自由な生活を送ってもらっているのはそのためだ。周りの人間は子供を持たずに働かない妻の実態を知ると「奥さん仕事しないんですか?」的な話を振ってくることがあるが、妻が何かやりたい仕事があるならまだしも、無理に義務感で夫に合わせて働いて毎日余裕がなかったり不機嫌になるくらいなら、遊び呆けてご機嫌でいてくれる方が、私は100倍満足なのである。だから家事も仕事も「義務」ではなく、「やりたい人がやればいいタスク」として、私たちは位置づけている。
食事も週末の過ごし方もそうだ。無理に足並みをそろえて同じことをしない。あくまでも、個人の自由、個人の好きなタイミングでやる。妻は朝が弱いから土日はよく寝ているけど、私は朝に副業や趣味をやるので、その時間を有効活用し、妻が起きるまでの間、ゆっくり朝食を作れる。誰も損していない。無理に朝寝坊の妻を起こしても何もメリットがない。それだけの話なのだ。
趣味もそう。それぞれが趣味を楽しんでご機嫌で、その楽しさをちょっとだけ晩酌しながら共有すればよく、深く濃く共有する必要なんてない。楽しんでいる心地よさだけを共有すればいいのである。無理に自分の趣味につき合わせたり、そのよさをわかってほしいという欲望を向けると、それが悪い方向への期待に変わり、期待通りにならずにイライラしたりする。自分のやりたいことは自分一人でやって満足できる精神を持つことが重要で、誰かが精神的な補完をしてくれることを期待してはいけない。
条件付き友好関係に拘泥したくないのである。それが夫婦が長続きするコツの一つだと思う。わかったつもりになったり、ひとつになったつもりでいると、もっと理解しようとか、落ちついて向き合おうという気持ちの余裕を失う。
家が安全地帯であるだけで十分なのだ。ただ理由もなく、一緒にいていい、一緒にいても責められない、誰も怒らない、そういう場所や関係が安全地帯になる。それだけで十分。何かをしなければ不機嫌になるとか、何かを求められる関係というのは、愛情とは言えない。
