【日記】恵まれているという暴力
恵まれた家庭に生まれた人は、恵まれなかった家庭に生まれた人の気持ちが分からないことがある。
円満な家庭というのは、疑いようのない当たり前の世界の常識で、円満じゃない家庭が存在することに想像が及ばない。
家族とうまく折り合いがつけられない人に対して、「家族は大切にしなきゃ」という恵まれている側の常識で傷つける場面はよくある。
大切にしたいけど、できないんだよ、そんな簡単な気持ちじゃないんだよ、と、複雑な感情が存在することに理解が及ばない。恵まれていることで相手を暴力的に傷つけることがある。
容姿が恵まれている人から恵まれていない人へ、努力できる人からできない人へ、体格が良い人から体格が良くない人へ、自分が恵まれた環境や資質を持っていることに無自覚でいることは、時に人を暴力的に傷つける。
2023年に芥川賞を受賞した「ハンチバック」を読んだ。
「先天性ミオパチー症候群」によって、背骨が湾曲した、重度障害者女性の物語。
自力歩行が困難なばかりか、車椅子の上でも同じ姿勢を取り続けることができない。
また、呼吸障害を起こしているため、喉に空けた人工呼吸器が手放せない。
作者本人が「先天性ミオパチー症候群」にかかっている重度障害者だ。
本書の中で、印象に残った言葉がある。
私は紙の本を憎んでいた。
目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、──5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。
その特権性に気づかない「本好き」たちの無知な傲慢さを憎んでいた。
「目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること」が誰もが当たり前に持っているものではないことに驚いた。
自分にとってあるのが当たり前すぎて、恵まれていると自覚することすらなかった。
なるほど、これが自分が恵まれていることに気がついていない傲慢さか、と実感を持って少し理解できた気がする。
「本を読みたいなら本屋に買いに行けばいいじゃん」自分が当たり前にできることが、聞く人の立場によっては傲慢で暴力的な意見と感じ取られる可能性がある。
では自分の恵まれた立場に関して、周りに配慮し、謙遜しながら生きていく必要があるのかというと、それは違う気がする。
持って生まれた資質や、掴み取った環境などは誇るべきだと思う。一回しかない人生、与えられたものを存分に享受し発揮していく方が楽しいし、周りに良い影響を与える気がする。
大切なのは「恵まれている」ことに自覚的になることなのかもしれない。
恵まれた家庭に生まれたこと、恵まれた容姿を持ったこと、恵まれた知性を持ったこと、恵まれた健康な肉体を持ったこと。
それらが当たり前ではなく、誰かにとっては一生かけても手に入れることのできないものかもしれない。
私もハンチバックに指摘されて初めて、自分の恵まれている立場に気がついた。
今から投げかける自分の恵まれた常識は、振り上げた拳になっていないだろうか、と立ち止まれることが世界を少しだけ優しくするはず。

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