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『朗読者』

陽灼けで、頬が熱い。

ベルンハルト・シュリンク、「朗読者」。
※作品の内容に核心に触れています。未読の方はご注意下さい。

十五歳の少年と、二十一歳年上の女性。歪な年齢差から始まった恋は、朗読という儀式を通じて二人の心身を繋いでいく。だが、数年後の法廷で明かされたのは、彼女がナチスの看守であったという衝撃の過去だった。「愛した人間が罪人であったとき、その記憶をどう扱うべきか」。個人の愛と歴史の断罪の間で揺れる、ある男の生涯にわたる葛藤の記録。



十五歳のミヒャエルと、三十六歳のハンナ。この設定に、私は最初からゾッとしていた。二人の関係を素直に恋愛として受け取れない。作者の選んだこの年齢差は、なんの意味を持たせているのかという猜疑心に、つい眉をひそめてしまう。

ところが、ハンナと過ごす時間が濃密に描かれるほど、彼女に惹かれていく少年の感情を、外側から批評することができなくなっていった。そこには確かに恋の幸福があり、身体を通して相手を知っていく、十五歳の少年にとって切実な時間がある。自分の倫理観が物語の中に入っていくことを邪魔しているようでうんざりすることもありながらも、作者の思惑通り、いつの間にか私は十五歳の少年になっていた。

そして数年後にハンナがかつてアウシュヴィッツの看守であったことを知ったとき、物語の足場が大きく揺らぐ。愛していた人間が、取り返しのつかない罪を犯していたと知ったとき、その人を愛した過去の自分をどうすればいいのかという主人公の葛藤は、この物語が突きつけてくるものなのだと思う。

もちろんハンナの罪はあまりにも重い。それでもシュリンクは、彼女を単純な「絶対悪」として描くことも、ミヒャエルの愛を純粋なものとして擁護することもしない。愛していたという事実と、その人が犯した罪。そのどちらも消すことができない場所にミヒャエルを置くこの終わりのない葛藤に、すっかり置いてけぼりにされた気分になった。(私なら、百年の恋も冷めるわね)。


そして物語は、個人の恋愛からドイツの戦後史へと広がり、ナチスの過去を次の世代がどう引き受けるのかという問題を、ミヒャエルの記憶のなかに持ち込んでくる。

十五歳という年齢も、ハンナの文盲という秘密も、物語が個人の恋愛から戦後ドイツの問題へと広がっていく展開も、もうすべてが「何を考えさせたいのか」という作者の意図の上に置かれているように感じられ、心が落ち着かない。ここまで来ると、私は物語そのものを追うことよりも、作者がなぜこういう物語を作ったのかが気になってしまう。


作者は、過去を終わったものとして片づけることができない人間を描いている。『階段を下りる女』では、恋をすることで過去の自分の行為を振り返り、人生そのものとの和解へと向かっていった。そして『朗読者』ではかつてハンナに身体を求めることしかできなかったミヒャエルが、後年、彼女に朗読を送り続ける。それは、あのとき身体しか持たなかった彼が、今度は知識と文学を渡すことで、過去の自分を贖い彼女を愛してしまった過去に折り合いをつけているように見えた。

今回は計算された構成だったとはいえ、過去に言葉を与えることで自分自身を解放しようとする自己完結型の告解は、私にとってやはり美しい作法だった。


それにしても、ハンナの死という結末には、どうしても少し釈然としないものが残る。『階段を下りる女』のイレーネもそうだった。重要な登場人物を死なせることで物語を収束させる、その作為が見えてしまう。それなのに、作者自身はその死によって、きれいに物語の外へ出ていく。そこには少しばかり「それで自由になったのは、あなた(作者)だけじゃないの」と言いたくなるところがある。

それでも、そうしたところまで含めて、シュリンクが物語によって過去から自由になろうとする、その哲学なのだと受け取った。
文句を言いながらも、私はこの自己完結の美学が好きなんだよね。

風が、気持ち良かったのよ。

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