森鴎外の『高瀬舟』を読んで
いわゆる「安楽死」の問題をテーマにした作品だ。医療技術の進歩によって、患者の死期を極限まで延ばすことが可能となり、ときには植物人間として生き長らえられるようになった今の時代、誰もが直面しかねない、大きな難しい問題だ。
しかし、この作品が書かれた時代に「安楽死」が社会問題として広く認識されていたとは思えず、かなりセンセーショナルな作品だったのではないだろうか。あるいは、当時の多くの人にはピンと来なかったかもしれない。
「安楽死」の典型例は、不治の病にもだえ苦しむ肉親の姿にいたたまれず、懇願に応えてやむなく命を絶つというものだろう。わが国の裁判では、これまで無罪とされた「安楽死」の例はない。最近の判例(平成7年横浜地裁)では、安楽死が許される場合の4つの要件が示されている。
第一に患者が耐え難い肉体的苦痛に苦しんでいること、第二に患者の死が避けられずその末期がせまっていること、第三に患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし他に手段がないこと、そして第四に生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があることとされている。これらの要件のうち、どれか一つ欠いても安楽死とは認められない。
しかし、自分の肉親が激しい苦痛にもだえ苦しむ姿を目の当たりにして、冷静でいられる人間は希有だろう。むしろ患者以上の苦悶を味わい、うろたえるのではないか。そうした場合に、いちいち4つの要件を満たしているかどうかなどと考えて安楽死を施すなどできるわけがない。
そういうことを慮ってか、当該裁判所も、「これらの要件について、安楽死が許容されるための現段階における一考察である」とし、「将来の状況を見通しつつ確立された普遍のものとしての安楽死の許容要件を示すことは困難である」とのコメントを残している。人間の心と行動を単純に類型化することの難しさの所以だろう。
ところで、弟殺しの罪人・喜助に対する罪状認否と量刑は、いかなる過程をたどってなされたのか。詳しくは書かれていないが、「高瀬舟に乗る罪人の過半は、いわゆる心得違いのために、おもわぬ科を犯した人であった。ありふれた例をあげてみれば、当時相対死といった情死をはかって、相手の女を殺して、自分だけ生き残った男というような類である」との記述から、喜助は罪一等減ぜられた気配がある。
喜助のとった行動と、自殺を図って息も絶え絶えとなった弟の状態をつぶさに読んでいくと、何と前掲の裁判所が示した4つの要件をみごとにクリアしている。そうして作者は、高瀬舟に同乗した同心の庄衛兵に「オオトリテエ(権威)にしたがうほかない」と言わしめ、きわめて高度な問題提起をしている。江戸時代が過ぎて間もないあの時代にだ。まことに驚くほかない。
